北の教会-8
アンスリウムが胸を張って放った言葉が耳から入って、アストラガスの体は燃えるような怒りに支配された。この騎士が、何を言っているのか分からない。喉が震えて、細く息が漏れる。
邪法とは、これほどまでに強い物なのかと、心が恐怖に震えた。かの栄光の騎士も、このようにして狂っていったのだろうか。
助けを求めるように、隣に立つ吟遊詩人へと顔を向ける。しかし、彼もまた強い意志の籠った瞳で、ただこちらを見つめてくるだけで、アストラガスはこの吟遊詩人もまた騎士と同じ思いなのだと悲嘆した。
「自分が何を言っているか、分かっているのですか……?」
「あなたこそ、しっかりと彼を見てください。異邦人などという、おぼろげな物ではなく。」
「……あなたは、教会の中を見たでしょう。この化け物が私たちに何をしたか、その目で見たのではないですか。」
そこで、はたと思い当たった。そうだ、彼らにもう一度あれを見せれば、彼らは正気を取り戻すかもしれない。五年前の折りにも、この方法は試されなかった。もしかしたら、彼らを邪法から解き放つことができるかもしれない。
震える体を抑えつけて、アストラガスはいつの間にか乱れていた呼吸を整える。どうして今日に限って、教会の仲間たちは皆で払ってしまっているのだろう。本当なら、まず異邦人を拘束してから、彼らを正気に戻すべきなのに、自分一人では手が足りない。
「教会の中に、何かあるのか……?」
おずおずと問いかけたのは、海良だった。彼は戸惑いに瞳を揺らしながらも、しっかりと意志の籠った声で、真っ直ぐにアストラガスに問いかける。「あっ。」という声が上がった。海良の隣にいたラウルが、慌てて自分の口を押え、気まずげに視線を逸らした。
「なあ、それがさっきの答えなのか?」
海良がアンスリウムを見上げて、強い口調で問い詰める。
「お前が見る必要はない物だ。」
アンスリウムも、負けじと首を振った。
アンスリウムの返答は、アストラガスにしてみればあまりにも非常識なものだった。関係ないはずない。これは異邦人という生き物の脅威を語り継ぐ上で、最も重要な役割を担うはずの物だ。それをこの騎士は関係ないと言い切り、異邦人当人は知らないというのか。
その事実は、到底許されるものではない。
「見せてさしあげましょう。」
にこりと笑って、アストラガスは言った。彼の瞳が、初めて海良を捉える。まるで人の形をした、ただの化け物。それが視線を合わせた途端に、少しだけ表情が和らいで、不安に揺れていた瞳に光が戻る。
一歩踏み出そうとした海良を、アンスリウムの太い腕が押さえる。
「行く必要はない。お前は謝罪をし、先方はそれを受け入れなかった。それで良いだろう。帰るぞ。」
厳しい顔で、アンスリウムが海良を制する。どうしてアンスリウムが頑なに海良を教会に入れたくないのか、海良にはよく分からない。馬車の中で、アンスリウムはそれを「慈悲」だと言った。
しかし、海良の中には小さな蟠りがずっとある。
この世界に来てからずっと、俺のためと言って付き添ってくれたクレイは、俺に嘘をついていた。何一つ、本当のことを教えてくれなかった。
だから、この人もそうなんじゃないかと、心のどこかで思ってしまうのだ。馬車の中で、どれだけ裏表はないと説いてもらっても、彼が騎士で自分が異邦人である以上、自分に与えたくない情報があるのではないかと、そう勘繰ってしまう。アンスリウムの優しさは、アンスリウムに都合の良い優しさなんじゃないだろうかと。
「行く。」
海良が放った言葉に、アンスリウムが目を見開く。息を詰めて、何を言うべきか頭の中で言葉を探す。とにかく、海良が教会に行くのを止めたかった。
「良い心がけです。礼拝堂へ案内しますよ。騎士殿も、そこの彼も、どうぞこちらへ。」
アストラガスが衣を翻して教会の中へ姿を消す。固い床を鳴らす冷たい足音が、静かな廊下の壁に反響して振ってくる。海良は迷いなく、彼の後に続いた。
「ダメだ、行くな。」
アストラガスが強く海良の腕を取る。それを振り払って、海良は言う。
「俺、ちゃんと知りたいよ。それを教えてくれたのは、あんたじゃないか。」
「お前が知る必要はないことだ。帰ろう。」
頑なに、アンスリウムは首を縦に振らない。その強固な態度は、海良にしてみれば不可解極まりなくて、どうしても彼のいう通りに従うのが正しいとは思えない。いつもであれば、噛んで含めるように教えてくれるはずなのだ。ちゃんと納得がいくように、アンスリウムは自分にも、相手にも理解を促す。そんな彼がどうして、この件については口を噤み、何も言葉を発しないのかが分からない。
困惑の中で、海良は縋るようにラウルを見る。いつもの軽い口調で、彼が助け舟を出してくれないだろうかと、一縷の望みを託して。しかし、頼みの綱であったラウルすら、顔を強張らせて廊下の先の暗闇を見つめたまま動かない。彼は、少し青ざめているようにも見えた。
「来ないのですか?」
アストラガスの声が聞こえる。彼は動こうとしない三人を見て、喉を震わすようにして息を吐きだした後、踵を返して戻ってきたと思ったら、立ちすくむラウルの腕を強い力で引いた。
「早くご覧ください。これは、あなた達のためでもあるのです。」
「いえ、私共は……。」
躊躇いがちに首を振るラウルの言葉も待たず、アストラガスは彼の手を引いて歩き出す。凄い力だった。腕を強く掴まれる痛みに、ラウルは呻く。引きずられるようにして、ラウルの足は一歩、教会の中へと踏み入れた。
強い力で腕を引かれながら、ラウルはただ、アストラガスに付いて行くしかない。何を言っても、今の彼に言葉は届いていないようだった。人気のない広い廊下を抜け、アストラガスは抵抗にもお構いなく足を進める。連れて行かれるラウルに少し遅れて、海良とアンスリウムが後に続いた。
「おやめください、神官殿!」
扉を目前にしても、アンスリウムはまだ強く抵抗感を示した。聞く耳を持たないアストラガスに懸命に声を掛け続けながら、ダメ押しとばかりに、ドアノブを握るアストラガスの手を上から強く握って、強く首を振る。
「あなたも仰っていたではないですか。ここは、目を背けたくなる場所だと。それを理解すると、あなたは確かにそう仰った。なのに何故、そこまで意固地になられるのです。」
チラリと、アンスリウムが海良に視線を送る。その仕草一つで海良は理解する。何故意固地になるのか。その言葉が己にも向けられたものだと。
アンスリウムはまるで聞き分けのない子供を窘めるような視線で、アストラガスは海良に胸中の探索を促してくる。それが鬱陶しくて、海良はフイと彼から視線を外した。
「随分と勝手なものですね、騎士団長殿。」
地を這うような声で、アストラガスが呻いた。
「共に救国の子孫だと歌いながら、今度はその口で私の献身を弾劾されるだなんて。良いですか、これは貴方の為でもあるのですよ。そして、そうですね……。」
冷たい視線が、海良を舐めた。ストンと感情の抜けおちた表情で、アストラガスは無感情に言葉を紡ぐ。
「貴方の言うアレも、知りたがっていることです。」
そうして、アンスリウムの制止を振り切って、アストラガスは渾身の力を込めて、礼拝堂への扉を開け放った。薄暗い廊下に光が漏れだして、風がフワリと衣類の裾を持ち上げる。
天井のステンドグラスから差し込んだ日が、祭壇というにはささやかな装飾の檀上を照らし、整然と並んだベンチがキラキラと日の光を反射した。まるで宝石でも埋め込まれているみたいに、礼拝堂の中はチカチカと光が点滅を繰り返して、まるでおとぎ話の中に出てくる魔法のお城のようだと、ラウルは思った。
星の神殿。ファング王国が栄光を欲しいままにした時代、この場所はそう呼ばれていた。今までは、この教会の外観の美しさから大げさに名づけられたのだろうと考えていたが、今初めて本当の事が分かった。この礼拝堂の美しさを、人々は讃えたのだ。
そして、その星とまで称された美しさの中に「それ」はあった。
キラキラと瞬きを繰り返す星の海を遮るように「それ」はベンチに座りながら祭壇を仰ぎ、あるいは隣に居る者と談笑し、居眠りの中、礼拝堂を縫うように歩きながら、思い思いの日々の中で全てが時を止めていた。
海良は、その光景にジッと見入っていた。隣にいるアンスリウムが息を詰めるのが聞こえる。心臓が凍りつくように痛くて、上手に瞬きが出来ない。今見ている物が何なのか、考えることを頭が拒否しているみだいだった。
人の形をした真っ白な石が、そこら中にあった。石の老婆が祈りを捧げながら祭壇を仰ぎ見ている。年若い少年の姿をした石は、腕を組んで眠ったポーズをとっていた。挨拶を交わして席に腰を下ろそうとしたまま止まっている中年男性も、また他と同じように石だった。祭壇の上にある小さな少女の背格好をした石像が、じっとこちらを見つめていた。それは美しくも、ぞっとする光景だった。
「如何です?」
アストラガスが囁く。
「これがお前のしたことだ。お前たち災厄は、このロータス教会に訪れた人々を、日々を過ごしていた神官を、そしてこの教会の根幹を為す巫までものすべての命を奪った。それだけでは飽き足らず、彼らをまるで見世物のように石にして、この世界に繋ぎとめた。分かるか、災厄。これがお前の罪だ。」




