旅の始まり-5
あれから何時間走ったのだろうか。高かった日が地平線に沈む頃、ようやくクレイは馬を止めて、すっかりと寝てしまった海良を揺すって声をかけた。
「起きて。これ以上寝ると、夜寝られなくなるから。」
「…ん、ああ、俺寝てた?」
「疲れたんだよ。魔術砲を弾いたんだから当然だ。まだ使い方も分かっていないだろうに、全く…。」
「魔術砲を弾く…?」
クレイの言葉に、海良は寝落ちる前の光景を思い出す。あまりにも凄惨で、非現実的なまでに美しかったあの光景。散った光の粒が、今も目に焼き付いて離れない。
「あれ、どうなったんですか。何とかっていう人とか、狼男とか。」
「さあ?君を連れてあの場を離脱したわけだから、俺も状況を理解できていない。けどまあ、予想くらいはつくかな。」
「どんな…ですか。」
「君が魔術砲を防いだせいで、取り囲んでいた奴らには隙が出来て、獣人は一通り暴れた後にあの場を離脱。今は俺たちを探していると思う。もちろん、あいつらも。」
「何が起こってるんですか、これ。どういう事……。」
「それを説明するには少し時間がかかるから、とにかく野営の準備をしましょう。君はとにかく、今は体を休めて。」
そう言ってクレイは手早く火を起こし、湯を沸かして、食糧を海良へと分け与えた。その手並みは鮮やかで、本当に海良は眺めているだけしかできず、途中でクレイが掛けてくれた毛布に包まっているしかなかった。申し訳なさそうに眉を下げる海良に、こんなことは何でもないのだとクレイは笑う。
彼の笑みは、海良の心を温かく、同時にむず痒くさせた。柔らかく緩められる目元も、海良を包み込むような眼差しも、今は全てが居心地悪く、心が逸る。クレイの仕事が終わるのをソワソワと待っていると、両手に暖かなカップを携えてクレイが腰を下ろした。片方を海良へと手渡すと、クレイも一息つく。
「さて、どこから話そうか。」
黙ってクレイを見つめていると、クレイは視線を彷徨わせた後、一つ指を立てた。
「まず、君は命を狙っている奴らがいる。先ほど襲ってきた傭兵の集団がそれです。」
「傭兵?マジで?」
「ああ、だからこれからは俺の言う事を出来るだけ聞いてほしい。俺は君の騎士だから、絶対に君を守り抜く。約束しよう。」
会った時から、彼は海良に常にそう言い聞かせてきた。自分は海良の騎士だから、と。その意味が良く分からず、海良が問いかけようと口を開けると同時に、クレイは二本目の指を立てた。
「君をここに連れてきたのは獣人と呼ばれる奴らで、彼らは君を攫って自分たちの街へと連れて行こうとしている。つまり君は、命を狙われながら誘拐犯にも付け狙われている。ここまではいいかな?」
「良くない。全然良くない。」
二本立てられた指に手を伸ばしてぎゅっと掴むと、クレイが目をまん丸く見開いた。その顔は初めて見るな、と思いながら海良は強く言い募る。
「まず、何で俺がココにいて、ここがどこでアンタが誰なのか教えて下さい。あと、携帯貸して!」
反対側の手を差し出すと、クレイが困ったように笑う。
「そうか…そこに疑問が返るわけか。じゃあ、そもそもの話から始めよう。えっと、そうだな。まず初めに、こちらから聞きたいんだけど。」
「何?」
身構える海良に、クレイはあっけらかんと
「君の名前は?」
と問いかけた。
そう言えば、出会ってからここまで名乗った事がない。
しばらくの逡巡の後、海良はそんな事に思い当たって、うんうんと一人頷いた。この男、名前も知らない奴に向かって騎士だとか、守るだとか大それたことを投げ売りセールの如く大安売りしていたのか。
ちょっとクレイの評価が下がったと共に、新たな不安が頭をもたげてくる。
俺こんな奴と行動を共にしても大丈夫なんだろうか。あの時、兵士たちから助けてくれたから、その成り行きでついて来てしまったけれど、もしかしたら失敗だったのでは。これはとにかく事情だけ聞いたら、頃合いを見計らってさようならするのも手かもしれない。取り敢えず話だけは聞いてみよう。
「海良真です。立澤大学付属高校の三年生。」
「カイラ…シン…?」
「そう、えっと…海が良いって書いて海良。シンは真実の真。」
「なるほど、じゃあ真。自己紹介が遅れてすまなかった。改めまして、俺はクレイ。王宮騎士団の一員で、君のお迎え兼、護衛係だ。」
「王宮騎士…?え、なにその、めちゃめちゃ偉いっぽい感じの役職名。」
「あはは、大して偉いわけではないけど…そうだな。君の護衛になる前は、騎士団長だった。だから、君の事は俺がこの剣に誓って必ず守り抜くよ。」
そう言って、クレイは腰に帯びていたあの剣をスラリと抜き、舐めるような炎へと照らした。
「そういえば、さっきも凄く強かった。騎士団長だったんだ。」
「ええ。とりあえずは納得してくれたかな?」
海良が頷いたのを見て、クレイは満足そうに微笑んだ。
「真にはそろそろ事実を受け入れてほしいんだけど、ここは真が住む世界とは違う。獣人たちが君をここまで連れて来たんだ。」
「受け入れがたいな、その事実。」
何となく、そんな気はしていた。信じたくはなかったが。学校に突然現れた狼男。じわじわと変化していく学校の造り。そして階段から落ちた後に目を覚ましたら全然知らない街の中と知らない男。なんか魔術砲とかいうすごいやつ。
「難しくても受け入れて貰わないと、ここから話が進まない。とりあえず信じてもらうために、はいこれ。」
そう言ってクレイが差し出したのは、見覚えのあるガラケーだった。恐る恐るそれを手に取って開ける。待ち受け画面は真っ暗なままで、押そうが振ろうが、うんともすんとも言わなかった。
「充電切れてるじゃねぇか!」
「以前の異邦人召喚の際に彼が所持していた物で、初めは光ったり、色々な音が鳴っていたのだけど、そのうちに反応が無くなってしまったんだ。」
「そりゃ充電切れだからな!充電したらまた使えるようになるよ。」
「ジュウデン…。それは、俺にもできるかな?」
「その前回のイホウジンとかいう人、これと一緒に長いコードとか持ってなかった?それをコンセントに差して、反対側を携帯に繋ぐんだよ。」
「コンセントにさす。」
「や、待て待て、これ持ってる前回のイホウジンさんとかいう人がいるなら、その人と会わせてくれないか?その人のいう事なら俺も信じるよ。」
真の言葉に、クレイは表情を歪めた。
「彼には会えない。」
「何で……?」
「先ほど君を狙っていた人間がいたでしょう。この持ち主は彼らに連れ去られてしまって、会うのは難しい。真のような異邦人を取り巻く関係は、少し複雑なんだ。」
「そういえば、何であいつらは俺を狙ってるんだ。異邦人って何なんだよ。それに、災いって聞こえた。俺がその異邦人っていうやつなら、俺は何か良くない存在なんじゃないのか。」
「いえ…そうではなく。そうですね、まずはこのファング王国に伝わる昔話からお話ししようか。」
そう言って、クレイは真へと物語った。
昔、ファング王国が最も栄えていた頃、ここは三つの領地に分かれていた。
一つは南の王都。王が政を為す文化の地。
一つは北の教会。司祭が祈り、神託によって民を導く信仰の地。
一つは東の塔。英知によって学を修める賢者の地。
この三領地を以てファング王国は成り、権力を分散させることでより理知的な統治を実現させ、栄華を誇っていた。
真は、ふと思い出した。一つだけ聞き覚えがある単語があったからだ。初めて会った時に、クレイが口にしていた。
「東の塔。」
「ええ、そうです。我が国土の最東に位置する石造りの街、セネシオ。白き街道、賢者の都、またの名を、東の塔。君が一番初めに降り立った、あの街だよ。丁度君が隠れていたあの岩陰、あのあたりかな。あそこに、立派な塔が立っていた。天にも届くような輝かしい、乳白色の塔がね。」