北の教会-7
淡々と、アストラガスは言う。そこには憎悪も嫌悪もなく、不自然なほど無感情で、海良はその冷淡さに身を震わせる。言ってはいけなかったのだと、その時初めて理解した。どうしてラウル達が打ち明けることに反対したのか、ようやく海良はその身を持って知った。
心のどこかで、自分を追ってきてくれたラウルのように、アストラガスとも和解できるのではないかと期待していたのだ。アストラガスは高潔で立派な人だから、海良という人間に敬意を払ってくれるのではないかと。少しだけ、期待していた。
それは余りにも身勝手で、甘えていたのだと、アストラガスの態度がそう語っている。もう彼の瞳は海良を見ようとしなくなっていた。
「騎士団長殿は何を思って、これを教会へと連れてきたのですか。コレを殺さず連れまわすなど、叛逆行為ですよ。許されるとお思いですか。」
「墓守殿、貴方がおっしゃりたいことは痛いほど分かる。」
アンスリウムが、苦悩に顔を歪めて重い口を開いた。その言葉に、海良もまた視線を足元へと落とす。自分は異邦人で、災厄を運ぶ化け物で、嫌われ者なのだ。アストラガスならず、アンスリウムもそう思っている。それが、心が痛かった。
アンスリウムの言葉は続く。
「北の教会は先の魔族との大戦時、誰よりも何よりも早く、蔦王フェルトブッシュへと力を貸した。我らは共に、魔の脅威に立ち向かった英雄の子。墓守殿。いいえ、アストラガス殿。」
騎士の顔をした男が強い瞳で墓守を見る。墓守もまた彼を真正面から見据えると、紡がれる言葉を待った。
「我が家名はクルシア。創国の英雄ロゼア・クルシアに連なるファング王国の騎士なれば、この名に免じてこの者の話を聞いて頂きたいのです。」
「英雄の子だと言うのであれば、今この場、その手で災厄を処断なさい!」
アストラガスの怒号が響く。決して大きくはない彼の体から出たのだとは思えないほどの勢いと、受け止めきれないほどの恨みが込められて、それは海良の鼓膜を揺らした。
「魔物の言葉など聞きたくもない!これは東の賢者を殺し、北の教会を辱めた化け物だ。すぐにその剣で命を絶つのです。」
「お待ちください、アストラガス殿。彼から貴殿の事を聞きました。冷静かつ公明正大で、慈悲と慈愛を持った正しい人物だと。街で無用の暴力に晒された彼を、貴方は助け、民には誇りを説いた。そうでしょう?」
「彼が災厄だと知っていれば、助けたりしなかった。私が救いたかったのは、無辜の民です。これではない。」
馬車を離れたラウルが、様子を伺いながら花壇の間を縫ってこちらへと近づいてくる。ただならぬ雰囲気に怯みながらも、彼はしっかりと海良の隣に立った。見知らぬ人物の参入に、アストラガスはラウルを一瞥しただけで、すぐに視線をアンスリウムへと移す。
「罪なき者には施しを。しかし、罪ある者には罰を。私は民に、怒る相手を間違えるなと言ったのです。異邦人に情けを与えよと教えたつもりはありません。」
「俺は……。」
二人の会話に割って入ったのは、躊躇いがちな海良の声だった。アンスリウムは喉まで出かかっていた反論を飲みこみ、アストラガスは不愉快そうに肩を揺らした。
「ただ、あなたにお礼を言って、謝りたかった。」
まるで海良など存在せず、声も聞こえていないような素振りで、アストラガスはただじっとアンスリウムから視線を外さない。それでも、言葉を止めるわけにはいかなかった。
「異邦人は、あなたたちに酷い事をしたんだと思う。あなたに会った時には全然何も理解してなくて、それは俺も最近知って……、いや、そんなの言い訳にならないな。でも、とにかく、異邦人は教会にいる多くの人を傷つけた。それを、お詫びしたい。それで、出来れば彼らのお墓に、参らせてもらえればと。」
ピクリとアストラガスの眉が跳ね上がった。目じりを吊り上げて、憎しみの籠った顔を海良へ向けると、軋むほど奥歯を噛みしめる。唇から小さな呪詛が零れ落ちた。
「墓参りですって……?」
「恐れ多くも神官様、私からもお願い申し上げます。彼に懺悔の機会を頂けませんか。」
ラウルが口を挟む。異邦人を庇おうとする人間が一人増えたことに、アストラガスは驚愕した。気の狂った騎士のみならず、純朴そうな旅の吟遊詩人までもが、異邦人の肩を持ち、話を聞けと言う。彼らが何を言っているのか分からない。
彼らは、知らないのだろうか。異邦人が災厄をもたらすことを。もちろん、このファング王国において、異邦人による破壊の歴史を知らない者などいない。しかし、そうとでも思わなければ、アストラガスには納得できない事態だった。彼らが、異邦人をまるで人間のように扱い、庇い、弁解するなど。
それはまるで、あの愚かな騎士と同じではないか。
「ああ……、なるほど。そういうことですか。」
思わずポロリと零したアストラガスの言葉に、騎士と吟遊詩人は首を傾げた。込み上げ、吹き出していた怒りを収めて、アストラガスはゆったりと笑みを浮かべる。
思い当たったのだ、この異常な事態の原因に。
五年前、異邦人の邪悪な力によって思考を歪められた、悲運の騎士がいたと聞く。その男は異邦人を一人の人間として扱い、己に与えられた職務を放棄し、王都にまで連れて上がったという。今起きている事は、それと全く同じではないか。
彼らは、異邦人の邪法でおかしくなってしまったのだ。考える力を奪われ、異邦人の思った通りに動く、悲しき人形と成り果てた。そうに違いない。そうであれば、彼らには何の責もなく、その束縛から解放するのが己の神官たる役割ではないだろうか。
「よろしい。あなた方の事情は良く分かりました。」
凪いだ海のように、アストラガスは笑う。
そうだ、私は間違えない。怒るべき理由も、憎む相手も。それらは全て、正しい相手に向くべきであり、異邦人は正当な怒りによって正当な裁きを受けるべきなのだ。
「まず、理解して頂く必要があります。あなたは異邦人で、私たちの教会を滅ぼした。」
アストラガスの目が、初めて海良を捕らえた。
その言葉は、死刑宣告にも似て、海良の心に深く刺さる。
そうだ、俺は異邦人で、アストラガスさんの大切なものを滅ぼした人と同じものだ。だから、その人がいない以上、そして俺がここにいる以上、俺が受け止める必要がある。彼の行っていることは、とても正しい。
そうだ、と海良は頷こうとする。それを手で制したのは、アンスリウムだった。
いきなり自分の胸元に差し出された手に、海良は驚いて彼の顔を見上げる。アンスリウムは、ただ眉に微かな皺を寄せ、悲しげな瞳で海良を見つめていた。そして、彼は再び前を見る。
心は決まっていた。
アンスリウムはずっと、アストラガスの頑なさを仕方ないと思っていた。彼はロータス教会の生き残りで、墓守で、異邦人の災厄をずっと見続けてきた人だったから。それは確かに自分とは違う。俺には思い入れがない。異邦人に滅ぼされた北の教会の事も、東の塔のことも。だから、彼が怒りを抑えられないのは仕方がないのだと、そう思っていた。だが、これだけは言わなければならない。彼の海良に対する怒りが、まるで全く正当の物のように扱われるのは、間違っている。
懐に仕舞われた、騎士紋が重い。それでも、言わなければならない。自分は知ってしまった。
「それは、彼ではない。」
この少年と短からぬ時を共に過ごした今ならば、あの夜ツワブキの街で、どうしてゲンゲツがあんな目でこちらを見たのか理解できる。だからアンスリウムは、己の中の異邦人に対する憎悪に誓って言い切った。
「彼は、教会を滅ぼしてなどいない。数日前に、こちらの世界の勝手な都合で連れてこられた、ただの善良な少年だ。」




