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北の教会-6

「ええ、ええ。覚えておりますとも。やはり君だったのですね。」


 アストラガスは何度も頷くと、そっと少年へと手を差し伸べた。


「私を訪ねて来る者などおりませんので、もしかしたら君なのではと考えていたんですよ。」


再会の握手のつもりで差し出した手は、しかし途中でアンスリウムに阻まれる。気遣わしげにアストラガスの手を遮ったアンスリウムは、遠慮がちに彼の腕を取ってその手を下げさせた。その不可解な動作に、アストラガスはふと動きを止める。


 握手を拒まれたということは、この少年は貴族なのだろうか。それなら、王宮騎士が護衛についているのも納得がいく。その割には、あまりにも平凡で腰が低いのが気になるが、本人の資質によってはそういう貴族もいるのかもしれない。


 しかし、ならば何故この騎士からは敵意を感じないのだろう。墓守がそうと知らずに貴族へと気安く握手を求めたのならば、この騎士はもっと怒ってもいいはずだ。なのに、彼から向けられる視線は、むしろ心配の色が濃い。一体、彼らは何者なのだろうか。


「俺、あの時のお礼が言いたくて来たんです。あの時は本当に、ありがとうございました。」


 穏やかな笑顔でアストラガスにそう言う少年は、しかしやはりその顔色には何か窺い知れない心労が見て取れた。彼の心に何が引っ掛かっているのか、アストラガスには分からない。


「いいえ。礼を言われるようなことではないのです。不当な嫌疑によって誰かが危害を加えられている、その状況を看過することに、私自身が耐えられなかった。それだけのことなのですから。あれは、私のエゴなのです。」


 あの時の街の風景を思い出す。誰もが得体のしれない不安を抱えながら、何とかそれを振り払おうと足掻く姿。それは結果的に悪意となって、些細な違和感を切っ掛けに一人に向かって押しかける。


 それは、アストラガスにとって耐えがたい光景だった。


 人は、そのように醜い物ではないはずなのだ。


 誰もが己の内に湧き上がる不安と戦い、理性によってそれを支配下に置くことが出来る高潔な生き物だと、アストラガスは人の性根を信じている。だから、彼らが彼ら自身の誇りを傷つけようとするその瞬間を、自分が見過ごす事をどうしても許せなかった。それだけだ。


「でも、そのエゴに、あの時の俺は確かに助けられました。」


 目の前の少年がにっこりと笑った。


「だから、本当にありがとう。アストラガスさんが居なければ、俺は今ここにいない。」


 海良にとって、彼は光だ。暗い行く手を照らす、眩い明かり。アストラガスには二度助けられた。一度はツワブキの街で民衆につるし上げられた時。二度目は足の竦むような地下の暗がりで。

 だから、海良は彼に伝えなければならなかった。


 自分が異邦人で、アストラガスが憎むその物であることを。


「それで、その……。」


 意を決して紡いだ言葉が、喉の奥に張り付いた。どう切り出せば良いのか分からなくて、浮かんだ思いばかりが海良の頭の中をぐるぐると回った。言いたいことは決まっている。けれど、それを伝えてどうしたかったのかは、曖昧になっていた。


 お礼が言いたかったはずだった。


 ありがとうと、そしてごめんなさいを伝えたかった。


 しかしそれを伝えたとして、俺は彼に何を求めているのだろうか。それが、良く分から

ない


「よろしければ、少し外に出ませんか?」


 海良の苦悩を察したかのように、アストラガスが二人に言う。蜂蜜色の髪を揺らして、裾の長い祭服を翻しながら、アストラガスは返事も待たずに固い床が続く廊下の先を目指して歩き出した。海良とアンスリウムが慌てて後ろに続くと、少し歩調を緩めながら目を細めて窓の外に視線を向ける。


「ロータス教会の庭園はもうご覧になりましたか?」


「あ、はい。来た時に。すごく広くて、すごく綺麗でした。」


 しどろもどろな返答を返す海良の言葉に、アンスリウムが呆れたように長いため息をついた。


 もう少しまともな感想が言えないのか。


 言葉にしなくても伝わってくるアンスリウムの苦情に、海良はムッとして彼を睨み付ける。


「あの庭園はロータス教会の創立より信徒の手で世話をしてきた、自慢の庭園なんですよ。今もここに残る者たちで手入れをしています。」


 長い廊下を抜けた先、荘厳な建物には不似合いなほど、こじんまりとした扉にアストラガスは手をかけると、それをゆっくりと開く。石造りの暗がりに、日差しが射して風が吹き込んだ。


「今日は特に美しい。見て下さい。」


 青空の下一面にピンク色の花が咲き誇っているその光景は、まさに絶景と言って差支えがない。花弁に濡れた雨露が、日の光をきらきらと照り返していた。花壇は教会へと続く石畳を挟むように左右に広がっていて、その奥には海良たちが乗って来た馬車がひとつ音もなく佇んでいた。微睡んでいる馬の隣に、ラウルが立っているのが見える。彼は教会から出てきた人影に気付くことなく、穏やかに馬の背を撫でていた。


「水やりの手間が省けました。先ほどの通り雨のおかげです。」


 慎ましやかにアストラガスが微笑む。


「この石畳を通って、北の教会には多く人が訪れたと聞きます。花は人の心を慰め、教会は星のように民を導いた。星の神殿。」


「教会の首長である巫は代々、志強く、慈悲は深く、嫋やかな乙女で国王陛下との親交も深かったと聞きます。」


 アンスリウムの言葉を聞きながら、海良は彼らのいう「かつて」に思いを馳せる。このキラキラと輝く庭園を多くの人が笑顔で眺め、口ぐちに希望を語り合い、教会で祈りを捧げる。そんな過去が確かに、ここにあったのだろう。


 ゲンゲツに聞けば、その時の様子を生きた言葉で語ってくれたかもしれない。しかし、ここにいる三人は三人とも、栄華を誇った教会を見たことがない。だから、もう少しで耳にまで届いてきそうな人々の喧騒を、最後の最後で海良は捉えられなくなってしまった。


 捉えきれない過去の声にもどかしさを感じながら、海良はもう一度、アストラガスへと言葉を紡ぐ。


「アストラガスさん、俺、あなたに言わなければいけないことがある。」


 心得ているとでも言うように、アストラガスは一つ頷いただけだった。瞳はただ、花壇へと向けられている。


「俺は、異邦人です。」


 アストラガスの表情が凍りついた。遠く過去を眺めていたはずの瞳が、行き場を失ったままで花壇へと釘付けになっている。彼の口からは、疑問一つ漏れない。息すら止まってしまったのではないかというほど、アストラガスは瞬き一つしなかった。


「黙っていたことを謝りたくて、ここまで来ました。俺は、あなた達が災厄と、化け物と呼ぶ、異邦人です。」


 事実を包み隠さずに全て吐き出す。一度言葉にしてしまえば、頭の中にぐるぐると渦巻いていた思いは、簡単に言葉となって海良の口に落ちてきた。それをただ、ひたすらアストラガスの前に並べる。受け取ってもらえるか、跳ね返されるかは、全てアストラガス次第だと思った。


 花壇の花が風にそよぐ。ふわりと花弁が舞って、それに気が付いたラウルが顔を上げるのが見えた。彼は教会の入り口に立つ三人の姿に目を留めると、手を振ろうとして、途中で上げた腕を止めた。


「あなたが、異邦人ですって?」


 アストラガスの言葉は、酷く冷たかった。彼の声にドキリと心臓が跳ねたが、それを深呼吸で押さえつけて、海良はひとつ頷く。


「異邦人が教会へ踏み入るなど、許されることではない。」


 彼はそう言うと、海良ではなくアンスリウムを見た。


「騎士団長様は何をしておいでですか。早く首を刎ねなさい。それが貴殿らの仕事でしょう。」


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