北の教会-5
その必要はないと、そう言いかけてアンスリウムは二の足を踏む。おそらく自分の発言は、この少年には聞き入れられないだろうし、そもそも彼が頑なに教会へ来たがった理由の一つが、その墓守と再会することだったのなら、それを果たさなければ彼は納得しないだろうと思ったからだ。だから、誰もが海良をどう説得しようか考えあぐねている中で、アンスリウムは「分かった。」と一言、彼の言葉を受け入れた。
「しかし、まず俺が行く。お前たちはここで待っていてくれ。」
その方が話が拗れることなく、素直に通ってくれるだろうという希望から出た提案だった。騎士団長という身分を明かして面会すれば、少なくとも初手で相手を混乱させずに済む。まあ、どちらにしても獣人と異邦人と行動を共にしている事が発覚した時点で、どうしても嫌疑をかけられてしまうわけではあるが、それでも多少はマシだろう。
「分かった。待ってる。」
不承不承ではあったが、海良もそれを受け入れる。しかし、理解したような口ぶりではあったが、海良の瞳には確かに反抗的な色が浮かんでいるのをアンスリウムは察していた。もしアンスリウムが面会の取次に失敗した時は、無理矢理にでも次は自分が行くという決意。そしてそんな海良の様子を見て、呆れた顔をして腕を組んでいる獣人と、にこやかに笑う吟遊詩人。その光景に、アンスリウムは内心不思議な感覚にとらわれる。
随分と信頼されたものだ。
以前ならば、一挙手一投足に至るまで、俺がこの異邦人を害すのではないかと密かに見張られていた。それがどうだ。今では彼らは、俺が何かよからぬ事を企てているかもなどと露にも思っていない。
そして、その信頼が嫌ではない自分がいる。
それはとても不思議な心地よさだった。
教会には、礼拝堂に至るまでの長い廊下を備えた神殿がある。初めアンスリウムは神殿の重々しいドアを叩いたが、そこに人の気配は全くなくて、しばらく待ってみるが物音ひとつ聞こえない。心の中で誰かしかに詫びながら勝手にドアに手をかけると、思っていたよりもそれはすんなりと開き、アンスリウムを招き入れた。
がらんとした清純で繊細な造りの神殿に足を踏み入れて、一本道の廊下の先を目指す。辿り着いた礼拝堂の前で立ち止まると、再び立ちはだかったドアを叩いて、今に至る。中から返事が返って来たときには、ほっとした。アストラガスという名を告げた時の、ドアの向こうにいる相手の反応も悪くなかった。おそらく、異邦人が探している青年は教会の中にいるだろう。あとは、いかに墓守たちの機嫌を損ねずに話ができるかだ。
アストラガスは考える。自分に、王国騎士団の共をするような知り合いがいただろうか。近くの街を回ることはたまにある。食べ物や日用品を買いに行ったり、世間が慌ただしく動いた時などは人々の不安を鎮めるために各地を旅したりもする。しかしその道行で知り合いを作ることはまず無くて、名乗りを上げることすら珍しい。市井の人々は単に、ロータス教会に仕えた者に多くみられる髪の色と、着ている服と、立ち振る舞いで、アストラガスのことを墓守だと認識し、そう呼んだ。
ああ、そういえば。ひとつだけ思い当たることがある。
見知らぬ少年が膝をつかされていた広場で、私は珍しく名乗りを上げたのだった。広場にいたものであれば、私の名を訪ねてきても不思議ではない。少年の護衛も騎士であったし、今扉の向こうにいる男も騎士だと言う。それなら辻褄が合うじゃないか。
アストラガスは扉まで歩みを進める。礼拝堂の中で、行く手をまばらに遮る「それ」を丁寧に避けながら、間を縫うようにして扉の前へと辿り着いた彼は、重々しく閉ざされた扉をゆっくりと両手で押し開けた。扉は軋む音一つさせず、なめらかに動く。隙間から凛々しい顔立ちをした一人の騎士が見えた。
「失礼致しました、クルシア騎士団長様。私の名前はアストラガス。ロータス教会へ仕える者に姓はございません。ただのアストラガスです。」
「貴殿が……。」
姿を現した青年を前にして、アンスリウムは絶句した。青年に何か問題があったわけではない。正確には、アンスリウムが言葉を失くしたのは、彼の出てきた礼拝堂の中。質素ながらも洗練された出で立ちの、蜂蜜色の青年の向こう側。それを目にしてすぐに、アンスリウムは押し黙って目を逸らしてしまった。
彼の様子に気づいたアストラガスが苦笑して、扉を後ろ手にそっと閉める。
「教会へお越しになるのは初めてですか?」
寂しげな彼の声色に、アンスリウムはハッと顔を上げた。
「申し訳ない。無礼をお許し下さい、墓守殿。」
「いいえ、構わないのです。誰もが目が背けてしまう。コレはそういうものです。かくいう私も、直視に絶えない時がございます。見たくない物ではありますが、しかし同時に、見なければならぬ物でもないのです。見なくて済むなら、それで良い。」
「ご慈悲を感謝致します。」
胸に手を当てて深々と頭を下げたアンスリウムに、アストラガスもまた深く頭を垂れて応える。辛い出来事を記憶し、その悔恨に囚われるのはロータスに属する者だけでいいのだ。自分たちの役割は、その負の念を一身に受けること。そして、そこから学び出された「不幸を繰り返さないための方法」を誰かに伝えて繋ぐこと。だから、それでもアレに敬意を表してくれる、この騎士の真摯さは、アストラガスにとって大変幸福なことだった。
「それで、私に用がある人がいると、そういうお話でしたね。」
「ええ、それなのですが、少し話を聞いて頂けますでしょうか。少々、厄介な話なのです。」
改まった態度で言うアンスリウムの固い口調に、アストラガスはキョトンとする。てっきりツワブキ宿場での話だと思っていたが、違うのだろうか。騎士団長が自ら足を運んでする「厄介な話」とは、一体何なのだろう。
「あなたは先日、ツワブキの街で一人の少年を助けませんでしたか。」
アンスリウムの言葉に、アストラガスは一つ頷く。やはりその話じゃないか、という確信を込めて。
「覚えております。広場で異邦人の疑いをかけられていた、黒髪の少年でしたね。」
「左様です。彼が……。」
その時、パタパタと軽い足音が廊下に響き渡った。背後から二人の元へと近づいてくるその足音に気付いて、アンスリウムは振り返る。まさかとは思っていたが、そこに居たのはアンスリウムが予想していた通り、息を弾ませた海良だった。
「来るなと言っただろう。」
足を止めて片手を挙げる海良をアンスリウムが咎める。肩を竦めた海良は、気まり悪そうに「ごめん。」と言った。
「でも、あんまり遅いもんだから心配になって。」
「何故よりによってお前が様子を見に来るんだ。ラウルはどうした。」
「ゲンゲツさんを一人にしておくわけにもいかないから、どっちが様子を見に行って、どっちが馬車に残るかっていう話になったんだけど、俺とゲンゲツさんをセットにしておくのは誰かと会ってしまった時にマズイんじゃないかって。だからラウルが残った。」
「どっちにしても頭の痛い話だな、全く。」
「待ってろって言い付けを破ったのは、ごめん。」
しょんぼりと肩を落とした海良は、ちらりとアンスリウムの向こうで話が終わるのを待っているアストラガスに目をやった。突然の闖入者にも動じず、にこやかに佇む彼の姿はあの時見たものと変わりなくて、海良は胸を撫で下ろした。
「本当にごめん。口を挟まずに大人しく待ってる。説明はアンスリウムさんに任せるよ。」
呆れたため息と共に、アンスリウムは腹を決めてアストラガスへと向き直る。
「あなたに会いたがっていたのは、彼です。」




