北の教会-4
天幕を叩いていた雨音は次第に弱まり、そのうち降り出した時と同じようにパタパタと乾いた音が数えられるほどになって、雲の隙間から太陽が顔を出した。雨粒を纏った木々がキラキラと日の光を照り返して、その華やかさにゲンゲツは目を細めた。背後の荷台からは、賑やかな話声が聞こえてくる。珍しく、アンスリウムがカラッとした声で笑っているのを知って、ゲンゲツは口角を上げた。
笑っているアンスリウムを、海良が咎めている。彼を援護するように、ラウルもまた騒がしい声で何事かを捲し立てた。
まだ、彼らのそんなやり取りを聞いていたいと思いながらも、もう目前に迫って来た北の教会を見て、ゲンゲツは惜しい気持ちを押し殺して声を上げた。
「もうそろそろ到着だ。アンスリウム殿、替わって頂けるか。」
すぐ後ろに垂れ下がっていた天幕の裾が上がり、隙間からアンスリウムが顔を出す。目じりを柔らかく下げた彼は、そのまま荷馬車の行く先を見ると、朗らかな口調のままで
「ああ、替わろう。」
と言った。常の彼らしからぬ柔らかさに、ゲンゲツもまた自分の心が和らいでいくのを感じた。アンスリウムはまだスピードが落ち切っていない荷台からヒラリと身を翻すと、危なげなく地面へ足をつける。着地から少し遅れて動きを止めた馬車へと駆け寄ると、ゲンゲツが座る御者席へと手をかけた。
「申し訳ないが、この先は頼む。」
ゲンゲツが頭を下げると、アンスリウムは何でもないように頷いた。
「俺が先頭に居る方が、何かと都合がいいだろうからな。教会の墓守たちも、突然獣人が乗り込んでくるよりは、いくらか心安かろうさ。請け負おう。」
アンスリウムと入れ替わるようにゲンゲツは馬車の荷台へと移動しようとして、ふと動きを止めた。不自然な動きで止まったままのゲンゲツに気付いたアンスリウムが、何事かと振り返ると、ゲンゲツは決まり悪そうに頬を掻いた。
「いやなに、わざわざ騎士殿にお出まし頂かなくとも、ラウル殿に頼んでも良い役割だったかなと思っただけだ。」
ゲンゲツの言葉にアンスリウムは顔を顰めると、唇の端を引きつらせた。
「吟遊詩人が曳く馬車の荷台から、王宮騎士と獣人と異邦人が仲良く現れるなんて、どんな悪夢だ。そんなに教会の墓守たちを地獄へ叩き落としたいか。鬼だな。」
「そうか。そんなにか。」
「そんなにだ。あんたは大人しく荷台に居てくれ。」
ゲンゲツが荷台に足を踏み入れると、そこで待っていた二人が歓声を上げて迎え入れた。そして二人は、アンスリウムという男がいかに嫌な奴なのかを、楽しそうにゲンゲツに説明し始める。彼らの口から飛び出るのは、ゲンゲツには褒め言葉にしか聞こえなかったが、本人たちは必死にアンスリウムの非道さを詰っているようで、どうにも微笑ましい。
好ましい騒がしさに耳を傾けながら、ゲンゲツは心地よい揺れに身を任せた。教会は、もうすぐそこだった。
死んだように静まり返っている空虚な廊下に、普段は響くはずの無い足音が高く反響して、幾重にも教会中に満ちた。その酷く耳障りな音が近づいてくるのに気付いたアストラガスは、天高くに描かれているステンドグラスから視線を外すと、背後に遠く伸びている礼拝堂の入り口へと向き直る。不躾な足音は、礼拝堂と廊下を隔てる扉のすぐ側まで近づいてくると、その場でピタリと音を止めて、一呼吸置いた後に嘘のような静かさで以てノックの音が数度鳴った。
硬質で冷たい礼拝堂の壁に当たった音が、アストラガスの耳へと落ちてくる。
「何か。」
アストラガスが返事をすると、扉の向こうで待っていた男が固い声で告げた。
「ロータス教会の墓守殿でいらっしゃいますか。」
誰に告げたわけでもないその二つ名は、いつの間にかアストラガスの本名のようにその身に付きまとっている。
ロータス教会が異邦人によって滅ぼされた時、運命のいたずらで難を逃れた教徒たちがいた。彼らはその時に教会におらず、余所の街へと出かけていたり、郷へ帰ったり、教会の裏に広がる花壇で花の手入れをしていたりして、そうやって、滅びを迎えた仲間たちと運命を共にすることができなかった。そんな教徒が数人いた。
彼らは悔恨からこの地に留まり、生涯にかけて教会の世話をすることにした。何代も何代も、彼らはこの地で墓守として生きた。
そんな不幸な教徒の子孫、それがアストラガスだ。
今も、アストラガスの他に数人の墓守がここに住んでいる。
「ああ、私は確かにここの墓守です。何か御用で?」
教会に誰かが訪ねて来るのは珍しい。それも、墓守に会いに来る客人は特に。
「アストラガスという青年を探しております。こちらにいらっしゃいますでしょうか。」
扉の向こうの男が口にした名前に、アストラガスは眉を潜めた。それは確かに自分の名であり、自分は教会の墓守であるが、尋ねて来る人に心当たりがない。
「名も名乗らず、用事も打ち明けぬ相手に、ロータス教会の信徒が仲間の居場所を告げるとお思いですか。」
少し意地が悪かっただろうか、とアストラガスは口にしてすぐに後悔した。礼拝堂へと勝手に足を踏み入れなかった相手に対して、意地悪で失礼だったかもしれない。しかし、扉の向こうの男は気を悪くした気配もなく、むしろ狼狽した声で言った。
「不躾をお許しください。私は王宮直属深緑騎士団が長、クルシア家の第一子、アンスリウム・クルシアと申します。」
「王宮騎士団……。」
最近よく縁がある名だと、アンスリウムは数日前のことを思い出していた。ツワブキ宿場で町人たちから嫌疑をかけられていた少年、その彼を連れていたのもまた、王国騎士団の騎士紋を持っていた。
「こちらには私情で参りました。私が共にここへ来た……知り合い、の中に、アストラガスという墓守に会いたい者がおりまして、彼を探しているのです。」
扉を隔てた広い廊下の真ん中で、背筋を伸ばして扉を見据えるアンスリウムは、突然それを言い出した異邦人の少年の事を思う。教会の前面に広がる庭園に立ち、雨露を纏って輝く教会を眺めた彼は、意を決したようにアンスリウムに言った。
「俺、会いたい人がいるんだ。」
彼の言葉に、アンスリウムは驚いた。
「初耳だ。教会に知り合いがいるのか。」
「言ってなかったからな。前にツワブキ宿の広場で、俺を助けてくれた人がいて、その人が自分はロータスの墓守だって言ってた。」
海良の言葉にラウルが目を剥く。それほどに、彼の言った事その場に居る者にとっては常識外だった。
「ロータスの信徒が異邦人を助けたですって?それは、それはおかしいです。」
「その時は、その人は俺を異邦人だとは知らなかったから。」
「ならば、身分を明かしてもう一度会うのは得策ではないのではないか。」
そう言ったのはゲンゲツだった。彼の言葉に、アンスリウムも頷く。ロータス滅亡の原因である異邦人を、そうと知って助ける信徒などいるはずがない。ならば、その信徒にとっても海良にとっても、身分を明かした上でもう一度会うのはお互いのためにならないのではないか。しかし、彼らの不安を余所に、海良は首を横に振った。
「それでも俺は、もう一度アストラガスに会って話したい。直接彼に、お礼と……。」
謝罪を。
海良はそれを言葉にしなかったが、アンスリウムには聞こえた。分かってしまう程には、アンスリウムはこの異邦人の事を理解しつつあった。彼は、自分ではない異邦人たちの分の責も背負おうとしている。




