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北の教会-2

 こんな時ばかり、アンスリウムは絶対に視線を逸らさない。正面からひたりと海良の顔を見据えて、彼の声に耳を傾けるその姿は、海良が思っていたアンスリウムという人間像よりも遥かに真摯で、心が熱くなる。癇癪を起した子供の様に、顔を歪めて泣くのを我慢していた海良は、目に溜めていた雫が急に軽くなって、自分の頬を伝って地面に落ちていく感触にはっとした。


 ああ、泣いてしまった。


 今までどうにか耐えていたはずなのに、こんなところで。


 一度流れてしまった涙は、もう海良がどうこうできるものではなかった。次から次へと溢れてくる雫をどうにか零すまいと、口を引き結んで歯を食いしばるけれど、抵抗も虚しく淚は滝のように頬を流れていく。


 泣くのは卑怯だと、海良の心が叫んだ。泣くのは負けだ。それは、試合放棄と同義で、相手と対等にぶつかり合っていた舞台から、両手を上げて逃げたことになる。それはだめだ。だって、俺はまだ納得していない。言い負けたわけでもない。諦めてもいない。だから、泣いてはいけなかったのに、この男がこんな顔をするのが悪い。


 まだ瞳からはボロボロと涙が溢れていたが、それでも目に力を入れて、海良は顔を上げる。

 眼前のアンスリウムは、狼狽した様子もなく、ただ真っ直ぐに海良を見つめていた。泣き始める前と何も変わらない、そのままの姿勢で、真正面から海良が問うた答えを探している。


 何事かを考えているアンスリウムは、とても静かだ。それは、今までもそうだった。彼が己の中に答えを探すときはいつも、静かに心の内を探して、おぼろげで霧のような感情や経験や思いを、くるりと思考に纏めていく。分からない事を分からないと素直に告白する彼の口調は、いやにあっけらかんとして、同時にどこか思慮深さを感じさせる。


 それはまるで、本棚に仕舞った蔵書の背表紙を、一文字一文字拾いながら探り当てるような、おびただしい資料の中から目的の一冊を手探りで探していくような、そんな作業を彷彿とさせる静かさを纏っていて、今はそれが酷く海良には心地よい。


 海良の中で今まで悪戯に騒ぎ立てていた焦りの声が、小さく沈んで、最後には消えていく。


 すっと流れた淚指で払って、それでは足りないと、両袖の裾で目尻を豪快に擦った。これで、準備は整った。そしてもう一度、彼に問う。


「俺は何も知らなくていいと、あんたもそう思うか?」


 アンスリウムが首を横に振る。


「お前が目指す事のためにも、お前は様々な事を知るべきだ。」


「なのに、俺の問いをはぐらかすのか。」


 今度は、一度だけ首を縦に振った。丸い木の球が、コトリと穴に落ちたような仕草だった。


「知るべきことがあるのと同時に、知らなくても良いものもある。それ以上も、それ以下もない。クリーデンスがどうかは知らんが、俺はお前に『俺の言う通りに行動してほしい』などという願望は持っていない。だから、率直に言おう。北の教会の件は、深く内情を知らなくても目的を達することができる。深入りをするな。これは貴重な、俺からの慈悲だ。黙って有り難く受け取ってもらえることを期待するよ。」


 最後は皮肉気に口の端を上げながら、アンスリウムはそう言った。そして、彼は「ああ。そういえば。」とわざとらしく手を打った。


「つまり、北の教会を訪れるような人間は特殊なんだ。経緯から見ても、好かれた土地ではないからな。東の塔に人が住まないのと同じだよ。異邦人と関わり合い、滅びた土地には大抵の人は寄り付かない。いるとすれば、ロータス教会に住んでいた人たちの墓を守っている、生き残りたちくらいのものだ。そして、そいつらは関係者と言っても過言ではないから、今ゲンゲツの姿を見られようが、後でゲンゲツを紹介しようが、結果としては同じということだな。」


 立て板に水とばかりに捲し立てて、大仰な仕草で肩を竦めると、荷台の柵へと背中を預けて目を瞑る。これで話はおしまい、ということなのだろう。海良が助けを求めてラウルを見ると、ラウルもまた困った顔で苦笑いを浮かべていた。


「ええと……、そうですね。この話はここまでにして、シン君の魔術のお勉強しましょうよ。どのくらい使えるようになったんです?僕見てみたいなー、なんて。ね、アンスリウムさん。」


 冷や汗をかきながら行われた強引な話題転換だったが、ラウルの振りにアンスリウムはしっかりとした口調で「ああ。」と同意した。片目だけを器用に開けて、海良に視線を送る。何かやって見せろという期待を浴びて、海良は両手を前に出した。


「教えてもらった『光』と『焔』、あと『颯』は身について来た感じ。今は『滴』の練習中。」


「明かりを灯すもの、炎を燃やすもの、風を吹かせるもの、そして水を湧かせるものですか。良いですね、魔術の基本でありながら、絶妙に一般人では魔術道具抜きでは会得できない物ばかりです。でも、折角魔術の基礎から教わっているのに、使っている魔術は従来のものなんですね。てっきり、シンくんのオリジナル魔術を作り出しているのかと思っていました。なんでしたっけ?ライター?」


 小首を傾げたラウルに答えたのはアンスリウムだった。


「出来上がっているのなら、出来上がったものを使った方が効率良いだろう。」


「なるほど。割り切ってますね。」


「時間もあまりかけていられないからな。まずは魔術を使うという行為を体に馴染ませなければ話にならん。」


 そう言って、アンスリウムは海良の肩に手を置くと、そっと近くに寄ってきた。


「じゃあ、『滴』だ。やってみせろ。」


 低く落ち着いた声に促されて、海良は頭の中に雫を思い描く。初め、アンスリウムから「この魔術は水を出現させるものだ。」と教えられた時には、海良は上手にその光景をイメージすることができなかった。光が満ちたり、炎が灯ったりする様子は、今まで具体的に像像することが出来たが、何もない所から水が出てくるということだけが、どうしても上手く状況が掴めなかった。


 しっかりとした想定が出来ていないと、いくら魔力を凝らして言葉を口にしても、その魔術は顕現しない。


 お手本となる魔道士がいない以上、こればかりは海良が自分で解決するしかなかった。そして、その努力の答えがこれである。


「『滴』。」


 いつもならば、体の中で仄かに温かく溜まっている『魔力』は腕を伝って押し出されるように指先へと向かう。そのくすぐったいような、痺れるような感覚に同調するように、片手をスッと上へ掲げた。


 そして、そのまま指先から空に向かって暖かなものを放り投げる。それが弾けて消える感覚を追いながら、海良はそっと天を仰いだ。


 異変はすぐに訪れた。ポツポツと、荷台を覆う天幕に雨粒が当たる音が聞こえる。ポツ、ポツ、ポツ。浸みて消えていく音に、ラウルとアンスリウムは揃って上を見上げた。外で手綱を握っていたゲンゲツが「雨か。」と呟いた。


 そして、雨粒は次第に重なり合って、大きな雨音になった。跳ね返りながら天幕を叩き続ける音は喧騒でありながら静謐で、不思議と清廉な空気の中を、馬車は泥を跳ねながら走り続ける。


「天候……変化……。」


 ラウルが呆然として言った。信じられないというように、目を開き、口を開いたまま、それでも頬はキラキラと上気している。


「どうかな、アンスリウム。……さん。上手くいったと思うんだけど!」


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