北の教会-1
そうして荷台の空気までもが気まずいままで、彼らは一晩を過ごした。眠れなかったのか良く分からない夢現の中で、海良はアンスリウムに言われたことを反芻してみたが、彼から投げかけられた冷たい言葉を飲みこむことは、どうしてもできなかった。だから、実をいうと海良がようやく寝つけたのは、夜も更けた頃だったのだ。そして何もかみ合わないままで夜が明けて、目を覚まさない海良を無視して馬車は駆ける。酷く大きく揺れる荷台で全く目を覚ます気配がない海良の様子を観察していたラウルは、よっぽど疲れていたのだと勝手に解釈して、彼を起こさなかった。
そして、狭かった街道の道幅が段々と広くなり、曲がりくねっていたはずの道行が突き抜ける一本道となり、それは現れた。
美しく手入れの行き届いた、花が咲き誇る庭園の、その奥に悠々と広がる空色の神殿。太陽の光を受けて、まるで星のようにチカチカと輝く美しい光景に、ラウルは感嘆の声を上げた。
「北の教会が見えてきましたね!」
天幕の端を捲って、ゲンゲツが外に顔を出す。彼は郷愁に目を細め、以前と変わらない神々しさに魅入っていた。
そうだ、ロータス教会はこんな所だった。
かつて親交のあった友人たちの顔を一つ一つ思い浮かべながら、だんだんと近づいてくる教会の外壁をジッと眺める。もう誰も、ここで生活していた友人達は生きていない。それでも教会は、まるで旧い友のように、ゲンゲツを迎え入れているように思えた。
その隣で、目をこすった海良がムクリと体を起こす。彼もまた、瞼を数度瞬かせると前方の光景を目に入れて、その美しさに言葉を失くした。桃源郷のようだ。見たことは無いけれど、もしこの世界にそれがあるとしたら、この場所に違いない。
「あれが、北の教会……。」
「ええ、北の教会。星の神殿。神座す丘陵。呼び方は様々ありますが、概ねロータス教会と呼ぶのが一般的でしょう。」
ラウルの言葉に、懐かしさがこみ上げる。彼もそんな風に、東の塔を紹介してくれた。あの時は何が何だか分からなかったけれど、今思えば東の塔についてだけが、たった一つ彼が自分に教えてくれた正しい情報だった。
「この分では昼前に着くだろう。アンスリウム殿。ここからは私が御者を替わろう。」
大きく身を乗り出してゲンゲツが言う。振り返ったアンスリウムも少しだけ考えて、ゲンゲツの提案を受け入れた。
「大丈夫なんですか?」
馬を止めて荷台へと乗り込んできたアンスリウムに、ラウルは訝しげに問いかけたが、アンスリウムからは意外にもあっさりとした返答が返ってくる。
「ここから先、人がいるとも思えないし、しばらく替わっても問題ないだろう。」
その言葉に、海良は一つの疑問を抱いた。それを問いかけようとして、ふと思いとどまった。
アンスリウムに話しかけてもいいものだろうか。彼はもう俺のことなんか見限っていて、言葉を掛けられるのもうんざりしているんじゃないだろうか。だって現に、あれから一回も顔を合わせてはくれなかった。
奥歯を噛みしめて、そっと俯いた海良に、アンスリウムは気が付いていた。
何か言いたげなのに、それを飲みこんでしまった彼の様子に、ようやく消化したはずの苛立ちがまた戻ってくるのを感じる。本当に、本当に厄介だ。この少年の存在はどうにも心を逆立てるし、何よりもそんな風に簡単に影響される己自身が厄介で仕方がない。
深く長く息を吐いて、調子を整える。海良と、ついでにラウルが己の一挙一動にビクビクとしているが、そんなことは関係ない。
「言いたい事があるなら言え。」
アンスリウムの言葉は、重た苦しく海良に突き刺さった。喉が酷く乾いて、奥の方に音が張り付いてしまっているのが分かる。吐いた息は、音にはならなかった。
「聞きたい事があるのなら、聞けばいいだろう。ちゃんとこの世界の常識を獲得しろと、俺はお前に言ったはずだが?この場で情報を得るためにお前が取れる手段は、俺か、他の二人に話を聞くくらいの物だろうが。何を躊躇っている。」
言い切った、とアンスリウムは妙な達成感を感じていた。上手く取り繕えたと、心から安堵した。しばらく一人で馬を走らせている間に、正直なところ何に腹を立てていたのか良く分からなくなってしまっていたし、少年とクリーデンスの間に何が合ったとしても自分には関係ないはずで、こちらが不機嫌になる理由など何一つない。それが半日かけて出したアンスリウムの答えだった。
それが、意を決して荷台に乗り込んだ途端に崩されそうになったものだから、多少焦りを感じてしまったせいで言葉尻が強くなってしまったかもしれない。それでも、自分はスタンスを変えていないということが、この少年には伝わったはずだ。
何でもない風を装って、チラリと海良に視線をやると、彼はアンスリウムから掛けられた言葉に目を輝かせていて、その反応はアンスリウムにとって存外悪くない。
成功したのではないだろうか。
その確信を裏付けるように、海良が大きな声を出した。
「俺、一つ不思議に思った事があって。」
「ああ、聞いてやる。」
ゆったりと構えたアンスリウムの胸を借りるような気持ちで、海良は言った。
「こんなに綺麗な場所なのに、観光客とかいないのかなって思って。」
彼の言葉は、その場にいた誰にとっても意外で、そして恐ろしいものだった。先ほどまで満足げに笑みを浮かべていたアンスリウムも、今はその表情を凍りつかせ、ラウルも固まったままで身動き一つしない。ただゲンゲツだけが、無言で馬を走らせていた。
その異様な雰囲気に、海良もすぐに気が付いた。何か自分が妙なことを言ったのだろうという事は予測がつくが、何が悪かったのかまでは分からない。戸惑いながら何度も何度も思考を巡らせて、それでも答えは見つからなかった。
「俺、何かマズイこと言った……んだよな。何がヤバいの?」
おずおずと問いかけた海良に、目を泳がせたラウルが応える。
「いえ、衝撃的すぎて……。えっと、お墓なんですよ、ロータス教会。」
「でも三百年前の話だろ。俺の国にもあるよ、三百年くらい前に討ち入りがあって人が死んだところとか、そんな人のお墓とか。そんで大概、観光地だよ。そりゃ普通のお寺もあるけどさ、ファンが訪ねてきたりとかもあるし。」
「ですがロータス教会に関しては、あれを見たいという人はあまりいないのでは……。」
「ラウル!」
厳しい語調で名前を呼ばれて、ラウルは口を噤んだ。先ほどまで二人の問答を聞いていただけだったアンスリウムウが、怖い顔をして彼らを睨み付ける。その表情に、これ以上余計なことを喋るなという意図を察したラウルが一つ頷くと、アンスリウムは海良へと向き直る。
「お前のところではそうかもしれないが、こちらではそうではない。以上だ。」
有無を言わさない口調に、海良はたじろいだ。まるで初めて会った時のような圧がある。これ以上一歩も譲らないというような、まるでクレイと戦っていた時のような面持ちで、彼はじっと海良の瞳を見つめていた。
「何で。」
だから、海良は戸惑いながらも目を逸らさない。
「あんたも、やっぱり俺には何も知られたくないって思う?」
脳裏に浮かぶのは、必死な面持ちで海良に懇願するクレイの顔。君は何も知らなくていいのだと、彼は必死で俺を説き伏せた。クレイはいつも俺を大切にしてくれて、俺の存在を肯定してくれたけれど、それが逆に自分が自分として生きている心地がしなかった。
それに反してアンスリウムは、俺の敵だし、厳しいし、存在から意見から否定されてばっかりで、それでも彼と居ると一人で立てているような心強さがあったのに。
この男もまた、無知で無力な俺を望むのだろうか。それはあまりにも、酷いじゃないか。
瞳が波のように揺れている。多分、瞬きをしたら涙がこぼれる。それを分かっているから、海良はじっと瞼ひとつ動かさずにアンスリウムを見つめていた。




