学び-5
「あっ……。」
何かに気付いたように、海良は言葉を詰まらせた。そういえば、アンスリウムが魔術を教えてくれると言ってくれた時に、同じようなことを言い出して咎められていたのだった。
「ごめん、俺……。」
申し訳なさそうに俯く海良の態度が、更にアンスリウムの頭を痛くさせる。海良が何を考えているのか手に取るように分かって、どう言葉を掛けたものか、アンスリウムは悩んでいた。悩めば悩むほど、正体不明の苛立ちが深くなる。
努力の理由を他人に求めるな、とは確かに言った。だが、この少年が旅の終わりにクリーデンスと再び会いたいと思うことは、冷静に考えてそれには該当しない。そう思うことも当然だと、理解できる。なにも悪い事ではないと納得しているのに、何故かどうにも不愉快な気分だ。
「獣人の望みを叶えた後は、お前が何をしようが俺には関係ない。ただし、ここに留まると言うのならば、俺は再びお前の首を狙うまでだ。それだけだ。」
自分を言い聞かせるように言葉を繋ぐが、それさえも苛立ちを助長するだけだった。どうにも解消できない蟠りが、だんだんアンスリウムの中に広がっていく。
異邦人がクリーデンスに拘るのは当然だ。そう思う。
あんな別れ方をしてしまったのだから、探しに行きたいと言わなかった方が不思議なのだ。再び会って話がしたいと思う気持ちも分かる。努力の成果を見せたいのだという気持ちも察する。だが何故、それに俺が助力しなければならないのか。俺がこいつに魔術を教えるのは、一重にこいつのためであって、それ以外の理由が付随してくることがたまらなく嫌だった。
重たくて暗い空気が荷台に満ちる。ゲンゲツは二人の様子を伺ったまま、ついぞ口を挟むことはしなかった。海良は何度か顔を上げて口を開こうとするが、その度に失敗して、再び俯いてしまう。そうして荷台に沈黙が満ちてしばらくした時、不意にひらりと捲られた天幕の隙間から、太陽の光が射しこんできた。
眩しさに目を細めてそちらを見ると、逆行に照られたラウルが心配そうにこちらを覗き込んでいる。
「何か問題でもありましたか?随分と……、お疲れの様ですが。」
言葉を選んで問うラウルに、ゲンゲツが無言で首を振る。そっとしておけ、ということだろうと、ラウルはそう察すると悲しげに一つ頷いた。もとより仲間などという優しい関係ではないのだ。とても危ういバランスで成り立っている、急ごしらえのパーティなのだから、こういう事は度々ある。最近はどういうわけか、アンスリウムが穏和な態度で接していたから頻度が減っただけで、だからこれは日常が戻って来ただけだ。
「安心しろ、お前にはしっかりと魔術を叩き込んでやる。」
ぶっきらぼうにアンスリウムが言って、海良が言葉も無く数ミリ頷いた。
「ラウル、御者を変わろう。」
「ええ、それが良さそうですね。」
アンスリウムの申し出をラウルも快諾する。誰もがホッと胸を撫で下ろしたのが分かった。一度馬車を止めて、ラウルは荷台へと移る。入れ替わるように、ひらりとアンスリウムが外へ出た。その時にチラリと見せた彼の顔に、ラウルはギョッと目を剥く。
何もかもがグチャグチャになって、最後に残った苦悩だけを凝縮したような、暗い顔。始終主導権を握っているはずの男が、何故そんな表情をするのかラウルには分からない。荷台に乗る前に、ラウルは慌てて表情を取り繕った。誰も彼もが事情を抱える中で、何のしがらみも無いのは自分だけなのだ。なら、俺は笑っていなきゃいけない。
「この調子でしたら、明日には教会の手前まで行けると思いますよ。」
ラウルの言葉に、海良がようやく顔を上げた。馬車は再び走り出して、目的地までの距離を詰め初める。捲れたままの天幕から少しだけ見えるアンスリウムの背中は、無駄に広くてたくましいくせに、どことなく頼りなげだった。
北の教会が見えてきた、という声で海良は朝を迎えた。昨晩はあのまま、街道の傍に馬車を止めて、アンスリウムが御者席に座り、ラウルと海良とゲンゲツが荷台で眠った。一応アンスリウムには荷台で仮眠を取らないかと提案してみたが、見張りの意味も込めて外にいると言い張って、結局アンスリウムは荷台には戻ってこなかった。
見張り見張りと彼らは言うが、この世界に来てからというもの、海良は一度も夜に危険な目に合ったことがない。野生の動物に襲われたこともなければ、野盗に出会ったこともなかったので、何をそんなに警戒しているのかと問えば、ラウルは事も無げに
「基本は獣人ですね。」
と教えてくれた。当の本人であるゲンゲツも、横でしきりに頷いている。
「獣人は人間を襲うと思われていますので、野営の時には獣人に警戒するのが一般的ではないかと思いますよ。もちろん、今は街道近くを移動しているのでリスクは低いのですが、もう少し道から外れると野生動物に襲われる危険もあります。」
「やっぱりここにも野生の動物っているんだな。」
「それは当然、クマとかシカとか、イノシシとかが出ますよ。」
一瞬、何かを聞き間違えただろうかと海良は自分の耳を疑った。熊とか鹿とか猪だって?自分の知っている動物が、そのままこちらにもいるのだろうか。異世界というのだから、全く違う動物が生息しているのだと勝手に思い込んでいた。でも、人が人として生きているのなら、別に同じ動物がいてもおかしくないのか?
うんうんと頭を捻る海良の様子に、見かねたゲンゲツが口を出す。
「おそらくお前が知っている動物と相違ない。かつて、初めの訪い人も同じ疑問に行き当たって、互いに確かめたところ、その外見と特徴が一致した。」
「本当に?じゃあ、マジで熊なの?」
「マジで熊だ。また機会があればどこかで捕獲して来よう。なに、獣人になって良かったことがあるとすれば、この常軌を逸した戦闘力だな。大抵の動物には勝てる。」
「まあ、それが怖すぎて人間はあなた達を警戒しているわけですけどね。」
「恐れずとも、我々が人を襲ったことなどないのだがな。」
「しかし、各地には獣人の襲撃による被害がかなり報告されていますよ。野営をすれば闇討ちされ、村が略奪にあい、身元不明の惨殺遺体が見つかります。今となっては、ゲンゲツさんの事情が真実なのであればですが、これらは全て別の原因があるということですね……。」
「我ら獣人は、君たちが思っているよりもコミュニティが小さいのでな。誰かが悪さをすれば分かるというもの。そも、我々には人を襲う理由があるでもなし。君たちは私たちを憎んでいるのかもしれないが、私たちは王都の民を憎く思ったことなど、一度もないのだよ。」
ふわりとゲンゲツが微笑んだようにみえた。彼の顔はいつも毛に隠れていて表情が分かり辛いが、それでも、ゲンゲツは今微笑んでいる。彼が早く、地下で見た青年の姿が取り戻せればいいのにと、今更ながらラウルは強く願う。彼の話を聞いて、新しく歌をつくり、広場で歌ってみて改めて、彼が置かれた境遇に強く悲しみを覚えた。
だから、この旅の終わりには皆が笑っていてほしい。ゲンゲツも、彼の仲間の獣人も、もちろん海良も。皆が目的を果たして、全て望みどおりに収まってくれればいいのにと、願わずにはいられない。
「じゃあ、別にアンスリウムが見張り番することないんだよな……。」
寂しげに、海良が呟いた。その声に、ラウルは上手に答えることができない。肯定も否定もすることが出来なかった。彼があれから荷台に乗って来ないのは、海良を避けているからだ。彼らの間に何があったのかは分からないが、アンスリウムはあれから海良と顔を合わせることを避けていた。
獣人相手の襲撃警戒なら軍人が見張りに立つ必要があるが、こんな街道近くでの見張りは、別に海良でもラウルでも問題がないのだから。




