学び-4
「それがそもそも間違いだ。それは先人の知恵なんだよ。先行研究だ。」
憮然とアンスリウムが言い返す。
「呪文というのは世界と概念を言語によって腑分けしているに過ぎない。名づけることによって事象を確定しているだけだ。それをより分かり易く、使いやすくした結果『光』という言葉が照明という効果に照らし合わされ、使用者の間で統一された過去があったわけであって、それをより直下的に落とし込んだのが魔術道具という存在で……。」
「アンスリウムさん、全然分からん。」
諦めたように呆然としている海良の様子を見て、アンスリウムは頭を掻いた。ゲンゲツも悲しい顔で首を振っている。一瞬、自分には人に物を教える才能が無いのではないかと絶望感が押し寄せるが、海良に魔術を教える役目を一度引き受けた手前、途中で投げ出すわけにはいかない。
アンスリウムは一つ咳払いをすると、気を取り直して言った。
「地下で明かりをつけようとした時、ゲンゲツはお前に照らす物をイメージしろと言ったな。」
「言われたような気がする。それで俺は、焚火の炎を思い浮かべた。」
「そしてゲンゲツはお前に、その状態で『光』と唱えれば明かりが点くと言ったから、お前はそう思って『光』という起動呪文を唱えた。しかし、これは別に『光』という呪文と魔術が存在しているわけではないんだ。例えば……、全く同じように炎をイメージしてみろ。」
言われた通り、海良は頭の中にあの日の焚火を思い浮かべる。夜を照らす柔らかな火。より具体的に、闇夜に浮かぶ篝火を思い出す。
「そのまま、手を前に出して。そう、そして何でも良い、その炎を炎として出そうと思った時に使う……道具だ、道具にしよう。炎を灯す道具の名を言いながら、焚火の炎を他の物に燃え移らせる。やってみろ。」
頭の中で、パチパチと爆ぜる焚火をどうすれば別の物に移せるだろうと考える。
そうしてしばらく考えて、海良はふと思った。これを別のところに点火するって、結構無理じゃないか?キャンプとかだと、皆どうやってるんだろう。新聞紙とかに燃え移らせて、別の物に近づける?いやいや、やった事ないわ。
じゃあ普段はどうやって点火してたかな……と考え直して、ひとつの道具に思い当たる。その時にはもう、頭の中では焚火なんかどこかへ飛んでしまっていて、火をつけるというとそれしか浮かばなかった。
「『ライター』。」
ボッと音がして、海良が伸ばした手の先に火が出た。不思議な事に、その火は指先に触れるか触れないかくらいの位置で宙に浮いていて、海良の手には何の熱も伝ってこない。しかしそれでも、確かに目の前には炎が揺らめいていた。
「と、まあこういう事だ。」
灯った炎に視線をやりながら、アンスリウムが満足そうに頷く。
「頭の中にあるイメージから、求める結果を具体的に思い描いて、言葉によって確定させる。そうやって魔力を具現化させるのが魔術だ。お前は知らないだろうが、通常では、このように炎その物を出現させるために使う起動呪文は『焔』が一般的で、それも着火用に作られた魔術道具を用いるものだが……。」
彼の説明を聞いてようやく、海良はどうしてアンスリウムが自分に一般常識を与えようとしていたのかを理解した。確かに、今までのように明かりをつけたりするような、日常的な行為の代替を魔術で行う分には、おそらく何も困らない。しかし、もし海良が望むように、ゆくゆくは対人で魔術を使うのならば、話は別だ。
たとえば獣人を人間に戻す事一つをとっても、漠然とした「人間に戻す」というイメージでは魔術は発揮しないのだ。そこには、人間を獣人に変えた何らかの因果関係があり、それを踏まえた解決策を、海良がしっかりと見据えていなければ魔術は使えない。そしてその因果関係は、この世界の理屈と文脈で形作られている。そして、海良が異世界の人間である以上、彼らの知識にプラスして自分の知識を使うことができれば、これはアドバンテージにもなる。
改めて、海良はアンスリウムという人間の思慮深さに驚かされる。任務に従事するだけの軍人だと思っていたが、案外教師にも向いているのではないだろうか。
じっと海良がアンスリウムを見つめていると、それに気がついたのか、彼は気まずそうにそっぽを向いて、一つ咳ばらいをした。
「お前の魔力は規格外だな。使い方も知らないうちに、プロの魔道士の魔術砲を散らしただけはある。」
そういえば、そんなこともあった。ゲンゲツも思い出したのか「確かに。」と呟く。
「真は何故、魔術も知らぬうちから魔術砲を無効化出来たのだ?」
「確かな事は分からないが、まあ、大体の予想はつく。」
事も無げにアンスリウムが応えた。
「こいつの魔力量は規格外だからな、ある程度適当な願望で発露するんだろう。あの時は、魔術砲が発射されたという事実を根底から否定し、魔力を真正面から魔術砲にぶつけたんだ。だから、目の前で霧散した。普通の防御術ではああはならん。」
手の先に灯った炎はゆらゆらと揺らめいて、そして不意にフッと姿を消した。まるで初めから存在しなかったかのように、幻の如く消え失せてしまった己の魔術を、海良はそっと引き寄せる。
「集中力の問題だよ。お前が別の事を考えたから、炎は消えた。訓練を積めば、常に脳内のイメージに集中していなくても魔術は使えるようになるから、せいぜい練習するんだな。」
不思議そうに指先を見つめる海良に、アンスリウムはそう言った。
「うん。俺、頑張るよ。」
ガタガタと馬車が揺れる。荷台の固い床はその振動をそのまま伝えて、体は痛んで疲れるのに、それでもちっとも辛くはないと、海良は思った。
今初めて、俺は一歩ずつ進んでいる。誰かに凭れ掛かりながら、何かに運んでもらいながら、それでも今は自分の足でしっかりと立てている。それは皮肉にも、クレイの側に居た時では感じられなかった実感だった。
彼を思い出すと、今でも胸が痛くなる。俺を好きだと言った人。俺を守りたいと言った人。そして、俺を俺として見てはくれなかった人。
「頑張って魔術が使えるようになって、ゲンゲツや獣人の人たちの助けになれたら……、最後の最後でいいから、クレイに会いたいな。」
異邦人として、やるべきことをやったら、家に帰る前にクレイに会いに行きたい。魔術を使い、この世界のことを知って、そうして異邦人という舞台から降りる直前の自分を見たら、クレイは自分のことを海良真という一人の人間として見てくれるんじゃないだろうか。そんな風に期待していた。
彼の目尻が柔らかく下るのを、もう一度見たい。
彼の唇がもう一度自分の名前を紡ぐのを、もう一度聞きたい。
そしてもっと欲を言うのならば、それが俺に宛てたものでありますように。
心の隅がチクリと痛んだが、海良はそれに気づかないふりをした。五年前に失った恋人と、その恋人と同じ異邦人である自分。その二つを並べた時に、クレイの中の天秤が自分に傾くなんて、全く想像できない。最後に見た彼の必死な形相が、自分のものではない名前を呼ぶ声が、どうしても頭から離れない。
「勝手にしろ。」
冷たい声が荷台に響いた。心あらずと意識を飛ばしていた海良の体も、その底冷えする冷たさにビクリと跳ねた。
腕を組み、俯いたままで、アンスリウムは目を瞑る。己の口から出た感情の籠っていない声に、自分でも驚いていた。脳の隅の方で、微かながら苛立ちがざわめき立っていて、正体不明のそれを息を吐きながら抑えようとするが、どうにも上手くいかない。
荷台の空気が凍り付いているのは理解していたが、フォローするつもりもなかった。今は己の中にある、この妙な感傷を押しとどめるのに手いっぱいなのだ。




