学び-3
その笑顔に、海良の心が不自然に跳ねる。
この男の、こんなに穏やかな笑顔を間近で見たのは初めてだったから、どうにも慣れなくて彼を直視することができない。こちらに敵意を向けていた時には、あんなに固い態度を取っていたくせに、少し懐に入れただけでとても柔らかで真摯に語るものだから、逆にこちらがどうしたらいいのか分からなかった。
視線を逸らしたまま動かなくなってしまった海良を見て、アンスリウムは不思議そうに首を捻った。そうして二人共が、どうしていいか分からずに身動きひとつせず向かい合ったまましばらく経ち、いい加減気まずくなってきた頃、それを打ち破ったのは案の定というかなんというか、ひょっこりと何も知らずに宿に帰って来たラウルだった。
踊るような足取りで帰って来たラウルは、宿の前で知った顔が二人不自然に向かい合っているのを見つけると、パタパタと駆け寄って彼らの顔を交互に観察すると
「随分と、仲良くなったようですね。」
と笑った。
「それよりも見てくださいこれ。結構儲かりましたよ!」
手の中の小さな袋を開けると、そこには金に輝く硬貨がずっしりと詰まっていた。海良には、それがどれだけの価値を持つのか分からなかったが、アンスリウムが感心したように声を漏らしたのを聞いて、大体の成果を察する。
「では私は宿代の支払いをしてきますので、アンスリウムさんとシン君は出立の用意をお願いしますね。あと、ゲンゲツさんにお声掛けよろしくお願いします。」
そう言ってラウルが通り過ぎようとしたのを、海良は彼の腕を取って止める。腕を引っ張られたラウルは、キョトンと目を丸くして「どうしました?」と聞いた。
「俺も付いて行っていいか?」
「シン君もですか?支払いに?」
「知りたいんだ。宿代の支払い方と、お金を数える方法。」
「ははぁ。」
ラウルは訳知り顔でちらりとアンスリウムの顔を盗み見た。自分が広場にいた間に、この二人の間になにかあったに違いない。無愛想な騎士は素知らぬ顔で澄ましているが、唇の端が少しだけ上がっていた。本人は隠しているつもりかもしれないが、ラウルからしてみれば分かり易すぎるほどだ。
ラウルの中の確信が強くなる。
二人の間に何か変化が起きたのだ。ただのいがみ合う仲から、何か違ったものが生まれた。悪い雰囲気ではないから大丈夫だとは思うが、ひとつ気がかりだったのは、シンが気負い過ぎていないかという事だった。
今朝の様子を思い出す。異邦人だからと言い、自分に何かを課そうとしている海良の姿は、少し痛々しくて悲しくなる。だから、彼の頼みを聞いていいものか一瞬迷った。
断ろうか。
別に君は何もしなくてもいいんだと、そう言った方が彼のためではないだろうか。
そんな思いとは別に、ラウルの中にもう一つ声が上がる。
彼がちゃんと地面に足をつけて、この世界を知るべきなのではないだろうか。そうして初めて、彼は彼として選択肢を持つことが出来るんじゃないか。
しばらくの逡巡の後で、ラウルはその中からひとつ、心に決める。
「シン君がそう言うのなら、構いませんよ。一緒に行きましょうか。」
自分の腕を掴んでいた手を取って、宿へと足を踏み出す。少し遅れて海良が、そしてその後から悠々とアンスリウムが続き、途中でアンスリウムが一人、部屋へと戻るために離れた。そのまま海良を宿のカウンターまで連れて行って、目の前で主人と支払の手続きを始めた。
興味深げな視線が二人の手元を負っているのを感じながら、ラウルは少しだけ安堵する。自分が決めたことが、彼にとって良い方向に働きますようにと、願わずにはいられなかった。
「ツワブキ宿から北の教会までは歩いて数日かかる。」
アンスリウムはそう言って、街で買ってきたばかりの地図を広げた。紙の上で指を滑らせながら、その道行を辿る。現在地、と言って指を置いたところから伸びている太い線は街道を表していて、それは途中を何かに遮られることなく真っ直ぐに北へと伸びていた。その線が行きつく先、その終着地点が北の教会。
「もともとツワブキ宿というのは、古城から教会まで行くために作れた宿場町ですからね。当然、ここから真っ直ぐに教会まで行けますとも。」
そう言ったのはラウルだった。
「その通りだ。その昔、ロータス教会が栄えていた頃はツワブキ宿から乗合馬車が出ていたらしいが、今はもちろんそんな物はない。そこでだ。」
アンスリウムがラウルへと目配せをする。それを受けて、ラウルがひとつ頷いた。
「はい。最短距離で突っ走るために馬車を借りました。」
「えっ……?」
「えっ……?」
海良とゲンゲツが同時に間の抜けた声を漏らす。二人で顔を見合わせてみるが、やはりお互い意味が分からずに、目を点にしてラウルへと説明を求める。
「街道を行くのが最短距離なら、街道を行けばいいと思いまして。ですが、ゲンゲツさんは他の人に姿を見られるとマズイわけで、そうなると外から見えないように移動すればいいのではないかと考えたわけです。」
「その話を吟遊詩人殿から持ちかけられて、いろいろ伝手を当たったんだ。」
アンスリウムはそう言うが、海良が何度思い返してみても彼はそんな素振りは見せなかったはずだ。うんうん唸って、ようやく思い当たる。
「俺が手紙を出しに行っていた時。」
その言葉を聞いて、アンスリウムが満足そうに頷いた。
「馬車ならば、ロータス教会へは三日あれば着くだろう。その間に小さな村はあるが、ゲンゲツの事を思えば、夜は馬車の荷台で眠る方がマシだろうな。」
「ええ。小さな村というのは今回のような手は使えませんからね。ある程度、人の流入出があるところでないと、上手くいく気がしません。」
「なるほど。二人にはいらぬ苦労をかけたな。」
殊勝な態度でゲンゲツが頭を下げると、アンスリウムは満足そうに笑みを浮かべ、ラウルは申し訳なさそうに両手を振った。
そうして、四人は馬車に乗ってツワブキの街を出た。
御者席にはラウルとアンスリウムが交代で座り、アンスリウムの手が空いている時は、彼は片時も休むことなく、海良の隣で魔術の講義をし続けた。
「お前が思っているような、呪文を言えば一つの結果を得るような、そういう決まった魔術など存在しない。まずそれを肝に銘じておけ。」
アンスリウムは魔術の講義を再開する度に、そう海良に言い続けた。
「魔術は、魔道士に内在している魔力を何らかの形で外に出す方法だ。そこに、前に言った属性と、魔術道具や起動呪文が絡んでくる。お前の中の魔力を外に出すための型を決める作業が、魔術道具であり、起動呪文だ。分かるか?」
海良が曖昧に首を振る。意外なことに、アンスリウムの魔術講義を一番興味深げに聞いていたのはゲンゲツだった。彼は荷台で授業が始まると、必ず海良とアンスリウムの傍に寄ってきて、ピクピクと小さく耳を動かす。初めはそうして聞くだけだったゲンゲツも、二度目、三度目となるとついに授業に参加し始めるようになっていた。
「もう少し分かり易く言えんのか、アンスリウム殿。そもそも、使いたい魔術の種類によって起動呪文は決まっておるだろう。先の地下でのように、明かりを灯したければ『光』と起動呪文を唱えるわけだから、『光』という魔術があるのではないのか。」




