学び-1
粗方の買い物を終え、最後に広場に足を運ぶと、そこでは見知った吟遊詩人が気持ちよさそうに高らかに歌声を響かせていた。彼の周りには人垣ができていて、その円の大きさが盛況ぶりを現している。海良とアンスリウムも、その外側に加わった。
「朝の事だが。」
不意に、アンスリウムが口を開いた。何のことか分からなくて、海良が首を傾げると、アンスリウムは苛立ったかのように強い口調で、もう一度「朝のことだ。」と念を押した。
朝のこと、と言われても今朝は色々あって、どれのことか分からない。どうにもピンとこない海良の様子を見て取って、アンスリウムは諦めてため息交じりに言った。
「朝の、お前が魔術を使いたいという話だがな。」
それでようやく合点がいく。海良が相槌を打つと、アンスリウムの眉が安堵したように少し下がった。
「……教えられると思う。」
「へ?」
間の抜けた声が、海良から漏れた。それに特に気を悪くした様子もなく、アンスリウムがあらぬ方向へ顔を向けて、それでもしっかりと海良へ告げた。
「構築理論なら、俺が教えられると思う。」
「マジで?」
思ってもいなかった人物からの申し出を前にして、海良は喜びよりも前に懐疑心が芽生えた。
まさか、アンスリウムが教えてくれるなんて、考えもしなかった。彼は以前、自分は魔術が使えないと悔しそうに告白していたし、それになにより海良を嫌っていると思っていたからだ。それが何故、今になって協力的になったのか、意味が分からなかった。
アンスリウムらしくない。
探るように彼の瞳を覗き込むと、決まりが悪そうにアンスリウムが視線を逸らす。
「アンスリウムさんって、魔術使えないって言ってなかったっけ。」
アンスリウムがグッと言葉に詰まった。何かに耐えるように奥歯を噛みしめて、アンスリウムは出来るだけ優しく、ゆっくりと言葉を吐き出す。
「習得の過程で、相当量の知識は身につけた。それ以前に資質の問題で、結局俺は魔術を行使することはできなかったが、お前に基礎を叩き込むことくらいは出来ると思う。ちゃんとした資料があれば、お前が望む新しい魔術理論の構築も手伝えるだろう。」
朝からずっと、アンスリウムは考えていた。
ゲンゲツの話が真実だと信じたわけではない。異邦人が悪ではないと思ったわけでもない。今まで知っていたことがひっくり返ろうと、返らなかろうと、それでも目の前にいるこの少年が、ただの善良な生き物だということには変わりがないんじゃないだろうか。
頭の中で何度も何度も問いかけが交錯する。
異邦人は災厄をもたらす。獣人は人の敵だ。しかし獣人は人間だという。異邦人は獣人を人間に戻せるかもしれなくて、そして彼らは逃げる素振りも見せない。
だから、祈るのだと言った異邦人の少年の言葉だけは信じてみようと思った。クリーデンスに心を裏切られ、ファング王国の昔話に心を痛める、まるで人間のようなこの異邦人の心根だけは信じてみようと思った。
懐に忍ばせた一通の手紙にそっと手を添える。
昨夜、騎士団宛てとは別に認めたもう一通の封筒は、アンスリウムが仕えるファング国王に宛てたものだ。そこには、今までの経緯が事細かに記してある。
『この度の異邦人出現と、獣人の告白は王国史を揺るがす一大事である故、一騎士として最後まで見届ける義務がある。決して命令に背くわけではないが、しばらくは騎士アンスリウムに一任して頂きたい。』そう書いて、手紙の最後はこう結んだ。
『有事の際は、間違いなくこの手で二人を始末致します。』と。
獣人の話を伝え聞いた国王が、どのような決断を下すのかはアンスリウムには分からない。話の真偽に関わらず殺せと、命令されるかもしれない。その時は、間違いなく自分が彼らの首を取る。当然だ。
しかしそれと、この目の前の異邦人が善良であることに何の関係もないではないか。
不思議と、アンスリウムの頭はすっきりとしていた。
曇っていた思考が晴れ渡って行く。
そうだ、関係がない。
だから少しだけ歩み寄ってみよう。
もし本当に獣人が人間だったのならば、異邦人が魔術を習得することに何の問題もない。北の教会の事件も、異邦人という概念で捉えるのではなく、彼らを個人として認識していれば、この少年に敵意がないことも知れる。
全てが嘘の時は、これまで通り任務を全うすればいいだけだ。
多少魔術を覚えただけの異邦人など恐れるに足りず、彼の首をへし折るのは腕一本で足りるのだから。
「俺でよければ、お前に魔術の使い方を教えよう。どうする?」
そう問いかけたアンスリウムの表情が、今まで見たこともないほどに柔らかだったので、海良は面食らう。
アンスリウムから、教えるという単語が出てくるのは不思議な感じがした。彼はもっと突き放すように人と関係を持つのだと思い込んでいたから。
「お願い……します。俺に、魔術の使い方を教えて下さい。」
「了解した。」
騎士は穏やかに微笑んだ。
いつもはきつく寄せられている眉間が和らいで、鋭い目元が柔らかく下る。口元だけは厳しく引き締められているが、今までとあまりに雰囲気が違うものだから、海良は思わずあからさまな仕草で視線を外した。
そんな海良の不審な態度にはさして注意を払わず、アンスリウムは言う。
「ただし、俺が教える限り怠慢は許さん。弁えろ。」
先ほどまで綻んでいた雰囲気は、今はもうすっかり元に戻ってしまっていた。海良はホッと胸を撫で下ろす。
「頑張るよ、俺。ちゃんとみんなの役に立てるようになる。そうしたらさ……。」
海良の頭に浮かんだのは、ずっと一緒に居てくれた人の事。
「クレイにも胸を張って会えると思うんだ。」
「やめておけ。」
頭上から降ってきた否定の言葉は、真摯な響きを持っていた。
「努力の動機を他人に求めるのは止めておけ。そういうものは大概叶わない。叶わなかった時に残るのは、悲しみや憎しみや、まあつまりそういった碌でもない物だけだ。だから、悪い事は言わないからやめておけ。お前は自分のために努力し、俺もお前のために知識を与える。それで我慢しろ。」
「何か訳知り顔だな、アンタ。」
「お前みたいなガキよりは人生経験豊富だからな。それでは、先生から生徒に一番初めの課題だ。」
アンスリウムは懐から封筒を取り出すと、海良へと手渡した。真っ白い封筒の表には宛先も何も書いておらず、海良はそれが誰に宛てた物なのか分からなった。太陽に透かしてみるが手紙の影が顔にかかるだけで、何も得られる情報はない。
「その手紙を郵便に出して来い。」
「パシリかよ。」
「人聞きの悪い事を言うな。まずお前には社会常識を教え込む必要がある。何事もまず土台があって初めて、一人一人の個性や特性といったものは武器になる。お前の場合はその土台がないんだよ。だから手始めに郵便物を一人で出して来い。」
「そんなこと言われても、俺ここじゃ右も左も分からないんだけど。郵便っていったって……。」
「甘えるなと何度言えば分かるんだ。とにかく誰か一人街の人間を捕まえて、手紙の出し方を聞けばいい。そんな事も出来ないのか。それこそ旅のお荷物なんだよ。魔術云々以前の問題だ。」




