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弔いの旅路-6

 クリーデンス・クレイウォルター。その名は、ファング王国に属する騎士なら誰もが憧れた。王国中負けなしとまで謳われた高い剣技を持ち、潤沢な魔力量を有していなければ使えない炎風の聖剣を携える彼は、国王の覚えも目出度く、部下からの信頼も厚く、その涼やかで誠実な容姿から国民にも慕われていた。ファング王国史上最も国王から頼りにされた近衛騎士団、暁炎騎士団の頂点に立つ男。ファング王国が誇る栄光の騎士。それが、クリーデンスという騎士だった。


 アンスリウムも騎士になってすぐの頃は、その背中に憧れてがむしゃらに剣を振った。いつか、彼の率いる暁炎騎士団に入団することを志して、日々己の剣技を磨いてきた。そうして努力の甲斐あって幾度かの出世を重ね、王都から少し離れた商業都市へ警備隊長の役職で派遣された時には、この任務が終わればいよいよ自分は王都で近衛騎士団へ配属されるのだという確信があった。ついにここまで来たのかと、その時は喜びのあまり夜通し仲間と酒を酌み交わしたものだった。


 それがどうだ。都市の巡回任務から帰ったアンスリウムが聞いたのは、栄光の騎士が任務を放り出して異邦人と共に逃げ出したという醜聞で、更には王宮に異邦人を連れて行き、玉座を血で濡らしたという噂だ。


 その噂を裏付けるように、アンスリウムはすぐに王都へと呼び戻された。


 そこには既に、憧れた暁炎騎士団はなく、代わりに用意されたのがアンスリウムのために組織された新しい騎士団。あとから聞いた話では、当時クリーデンスの部下だった者たちは、クリーデンスの不始末を負って全て粛清されたのだという。


 それを聞いた時にアンスリウムに込み上げてきたのは、燃えるような激しい怒りだった。


 クリーデンス・クレイウォルターは、それほどまでに恵まれていながら、我らの期待を裏切った。王の信頼を、民の敬愛を、騎士の憧憬を、それらを全て手に入れていながら自ら投げ出し、異邦人という名の化け物の手を取ったのだ。それは、この上ない背徳だ。


 アンスリウムの中で、異邦人という存在が、遠い彼方の昔話に出てくる正体不明の生き物から、確かに憎むべき敵になったのは、その時からだ。


 獣人が東の塔を襲ったという話も、異邦人が北の教会を滅ぼしたという話も、アンスリウムが生まれるよりもっと前の話で、それは確かに歴史だったのかもしれないが、自分にとっては遠くの昔話だった。自分が戦ったわけでもなく、知り合いが死んだわけでもない。なにより異邦人捕縛令が強く敷かれるようになってからは、異邦人のもたらす災厄による被害がファング王国にもたらされたことなどなかったのだ。


 その異邦人が、今は憎くて仕方がない。


 騎士クリーデンスに憧れていた自分を、クリーデンスが仕出かした愚行を、俺は決して許さない。


 そうしてアンスリウムは深緑騎士団の団長となった。


 全てはクリーデンスを否定するために。彼を凌ぐ剣技を習得せんと血眼になり、兵法を学んだ。部下との交流も盛んに行って、暇が出来れば頻繁に市井へ出向き、そのうちクリーデンスの再来とまで言われるほどの名声を手に入れた。それでも、魔術だけはどうしても使えるようにはならなかったが。


 あの日から五年。何の因果か、再び異邦人が東の塔に召喚された。その討伐を任された時、アンスリウムの胸は喜びに震えた。


 ついに、自分の手で討ち取れるのだ。


 栄光の騎士クリーデンスを狂わせた、恐ろしい化け物を。


 あの日の絶望と、煮えたぎるような憎悪を。


「お前に分かるか。」


 アンスリウムの言葉に、ゲンゲツは答えなかった。当然だと、アンスリウムは自嘲する。別に俺は獣人に答えを求めているわけではない。言いたかったことがあるわけでも、聞いてほしかった話があるわけでもなく、ただ、耐えられなかったのだ。


 自分が脅威だと、宿敵だと、完全なる悪だと憎んでいたものは、ただ戸惑っているだけの凡庸な少年なのかもしれないという事実が。それを確かめるのが、怖い。


「俺は、異邦人を殺すためにここまで来たんだ。」


 確かめるように口にした。俺は彼を殺すためにここにいる。


 あの日の絶望を、この手で自ら手折るのだ。そうして初めて、俺は俺として生きていける。


 そのはずだ。


「君も分からない男だな。ラウル殿が言う通り、頭が固い。」


 ゲンゲツは、深く深くため息をついた。


「それは彼ではない。」


「煩い!」


 苛立ちまぎれに叩いたテーブルが床を強く揺らして、宿の壁を伝っていった。窓の外に聞こえていた小鳥の鳴き声がピタリと止まり、辺り一帯が静寂に支配される。何事があったのかと、眠っていたラウルと海良が飛び起きた。


「今の声何……?」


「何かあったのですか?あれ?アンスリウムさんが帰ってる。」


 寝ぼけ眼を擦りながらラウルがアンスリウムの方を見ると、その眼差しから逃げるようにアンスリウムは視線をテーブルに落とした。強く握りしめた拳が真っ赤になっていて、爪が掌に酷く食い込んでいる。痛みは感じなかったが、アンスリウムは一度深く息を吸うと、ゆっくりと体の力を抜きながら息を吐きだした。手の力が緩む。少しだけ、苛立ちに逆上せていた頭が冷めたような気がした。


 すっと、アンスリウムの頭上に影が差す。視線を上げると、困ったように眉を下げた海良が立っていた。


「アンスリウムさん、大丈夫?顔色が悪い。」


 海良の問いかけを無視して、アンスリウムはふいと顔を背ける。もともと厳しめの眉がますます皺を深くし、口角が下がって不機嫌を顕わにしていたが、それに気づいているのかいないのか、海良は構わず言葉を続ける。


「昨日の話なら心配しなくても、俺ちゃんとやるから。だから、出発までの間ちょっとでもいいから寝た方が良いんじゃないか?あの後ずっと食堂に居たんだろ。」


 気遣わしげに、海良の手がそっと伸ばされた。


 髪に触れそうになる直前、アンスリウムは強くその手を払いのける。パチンと厳しい音がして、海良の顔がショックに歪んだ。


「馴れ馴れしく触れるな、異邦人。お前、何か勘違いをしていないか?そこの二人がどうかは知らんが、俺はお前の仲間になったつもりはない。お前は……。」


 アンスリウムは言葉を切って、首を振る。


「異邦人は、我々の敵だ。」


 人のように言葉を紡ぐな。人のように誰かを気遣うな。戸惑うな。悲しむな。笑うな。


 ありったけの侮蔑と憎悪を込めて視線を上げると、そこには諦めの色を浮かべた異邦人が一人立っていた。まるで微笑みにも似たその表情に、アンスリウムは時がとまったかのように見入ってしまう。


 この異邦人は、時々この顔をする。


 彼の中に巣食う何かに触れた時、彼はこうやって全てを諦めたように笑うのだ。それが何なのか、アンスリウムには知る由もないが、一方で彼の持つ力強い瞳とのアンバランスさがアンスリウムの心を掻き乱す。


「俺だって、好きでここに居るんじゃない。帰れるものなら、今すぐにでも帰りたいよ。」


「なら、帰ればいいだろう。誰も止める者などいはしない。そこの獣人に頼めば、すぐにでもお前の世界とやらに帰してくれるだろう。そうだな?」


 アンスリウムの言葉にゲンゲツが頷いた。


「我らの棲家まで来てくれれば可能だ。帰還を約束しよう。」


「それじゃダメだろ。」


 海良がゆっくりと首を振る。何を言っているのか分からなくて、アンスリウムは口を噤んだ。何がダメだというのだろうか。この疎まれるばかりの世界から離れる方法が目の前にあるといのに、この異邦人は何を否定しているのか、それが分からない。


「俺は、教会に行かないといけないんだ。それに、その後ゲンゲツさん達を人間に戻す。それが出来るまでは帰れない。」


 何でもない事のように海良が言う。その歪さに、ラウルは頭がクラリと揺れた。目の前がチカチカして、眩暈がする。


 そして確信した。


 彼は恐らく、彼から見て異世界であるこちらに来てから今までずっと、無意識にその不安をクリーデンスに依存しながら誤魔化してきた。クリーデンスの言葉を信じて、クリーデンスから与えられた好意で正気を保ってきたのだ。


 その拠り所であるクリーデンスが、最後の最後で彼を彼として認めなかった。


 だから彼は、もう自分がカイラ・シンであることを止めてしまったのだろう。シンという人間は誰からも求められておらず、誰もが彼を異邦人と呼ぶ。異邦人として求め、嫌う。だから彼は、異邦人として異邦人の業を背負おうとしているのだ。しかし、それはあまりにも惨い。


「俺は、異邦人だ。」


 海良が言う。いつか、地下でも聞いた言葉だと、アンスリウムは思った。


 彼ではないという声が蘇る。それは彼ではないのだと、酷く耳障りな声がする。不意に、手を合わせるという言葉を思い出した。祈るのだ。彼は、教会に祈りを捧げるのだと言う。今更になって、何故彼がそんなことを望むのか分からなくなった。異邦人だからと、彼は言う。そう言って悲しげに笑う。酷く胸が痛い。


 彼ではないのだ、と誰かの声が聞こえた気がした。



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