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弔いの旅路-5

 思わず口を噤む異邦人にもお構いなしに、アンスリウムは言う。


「俺に甘えるな。大体、名前が分かるとか分からないとか、そんな事気にせずにとにかく一度口にしてみればいいんだ。食べて覚えろ。適当にメニューを指さして注文して、食べてからラウルか誰かに聞けばいい。そうしているうちに覚えるだろうさ。そんなことも出来ないなど、クリーデンスはさぞお前を甘やかしていたのだろうな。」


 アンスリウムにしてみれば、ただ怒りをぶつけただけの、憂さ晴らしに近い演説だった。きっとあのクリーデンスが異邦人に全く情報を与えず、ただひたすらに過保護に接していたのだろうという事実が、どうしてか酷く気に入らなかったのだ。災厄とまで呼ばれた人間の敵が、敵だったはずの物が、何も知らないただの子供だなんて許せなかった。


 海良は呆けたようにアンスリウムの説教を聞いていた。心ここに非ずといった様子でアンスリウムの声に聞き入っていたかと思うと、しばらくの沈黙の後で今度は、何度も何度も頷く。


 海良にしてみれば、アンスリウムの意見は目から鱗だった。確かに、こちらに来てからずっと誰かに頼りきりで、自分から積極的に知識を得ようとしたことはなかった気がする。


 俺は確かに、このツワブキ宿から初めて立ち去った時に、この街のことや食べ物のこと、通って来た道やこれから行く街のこと、そんな事をたくさん知りたいと思ったはずなのに、いつの間にか諦めていた。教えてもらうばかりが、知ることじゃない。それはアンスリウムの言う通りだ。


「ありがとう、アンスリウム。俺ちょっと行ってくる。」


 海良は心が躍るのを感じ始めていた。ここに来て初めて、この世界が楽しいと思った。宿屋の主人には何て説明しよう?そのまま思っていることを言えば分かってもらえるだろうか。疲れているから、肉が食べたい。味付けは少し辛い方が好きだ。それで、部屋に持って帰って三人で賑やかに食べられる物が良い。そう素直に伝えても良いのだろうか。


 自然と笑みがこぼれていた。足取りが軽い。駆け出しそうになる体を抑えて海良が厨房の前のカウンターに立つと、ようやく来たかと主人が迎えてくれた。



 手に入れたオードブルを両手に持って、海良がつま先で扉を叩くと、ラウルがひょっこりと顔を出して、沢山の食べ物を抱えた海良の姿に目を丸くした。そして、自慢げに笑う海良と共に隣の部屋へと訪れる。突然の来客に、しばらくの躊躇いの後で扉から目だけをのぞかせたゲンゲツは、そこに立っているのが海良とラウルだと知ると、快く部屋へと招き入れてくれた。そして、海良が持参した夕食を見て感嘆の声を上げる。同時に、腹の虫が鳴った。


「獣人もお腹って減るんですか?」


 ロースト肉にかじりつきながらラウルが問う。


「もちろんだとも。人間だった時よりも腹は空く。とはいえ、宿に泊まる他の人間を怖がらせないためにも、今晩の夕食は諦めていたのだが、君たちのお陰で助かった。礼を言う。」


 ゲンゲツがフォークを置いて頭を下げた。


「お礼ならばシン君に。僕はご相伴に預かっているだけです。」


「そんなお礼を言われるほど大したことじゃないって。俺も一人で食べるのが嫌だっただけだからさ。」


 そうして三人は夕食を食べ終わった後も、夜通し話しながら過ごした。特にラウルが強く望むものだから、ゲンゲツが王国が建国される以前の話をしてくれて、それはまるでおとぎ話のように海良の耳にも心地よく届く。建国の蔦王フェルトブッシュがまだ王子として放浪していた時の冒険譚から始まって、月が空の真ん中まで上る頃には、話は噂の魔族大戦の大詰めまで到達していた。


 興奮したラウルが自分の部屋から竪琴を取ってきて、ゲンゲツの話に合わせながら本能のままに掻き鳴らす。調子に乗ったゲンゲツが大仰な言い回しに手振り身振りで補足し、最後に大規模魔術砲を封印するシーンでは雰囲気に酔ったラウルが淚を流しながら琴を奏でるものだから、海良とゲンゲツはそれを見て大笑いしてしまい、そして日が昇り始めた時には三人は肩を寄せ合って眠っていた。


「どういう状況だ。」


 明け方、自分の部屋に戻ってきたアンスリウムは、三人が床に折り重なって死んだように眠っているのを見て、呆然と呟いた。


 昨晩に海良と喋った後、どうにも部屋に帰る気になれなくて、アンスリウムは食堂で騎士団に宛てた文を認めていた。事情があって異邦人を監視しながら北の教会へ向かうという旨を書き記して、明け方に郵便の配達を頼みに出かけ、戻ってきてみたらこれだ。


 床に広げられたオードブルセットの残骸。おそらく寒かったのだろう、誰かがベッドから引きずり下ろしたシーツ。あらぬ方向へと吹っ飛んだ枕に、適当に投げ出された竪琴。


 あまりの有様に、取り敢えずアンスリウムは辛うじて安全地帯に置かれていたコップを三つ手に取ると、小さなサイドテーブルまで運ぶ。


 ピクリとゲンゲツの耳が動いた。


「帰ったか、アンスリウム殿。」


 動かないままで、片目だけを開けたゲンゲツが声を掛けた。


「……お前、逃げなかったんだな。」


「と言うと?」


 アンスリウムの言葉に返ってきたのは、ゲンゲツの惚けた返答だった。足音を立てないように部屋の奥まで進んだアンスリウムは、皺ひとつないまま保たれたベッドの上に腰掛けて、窓の外に目をやる。


 朝日が雲を割っている。紺碧の空が、仄かに光を帯び始めていた。この時間帯の空が最も美しいと、アンスリウムは目を細める。


「俺が隙を見せれば、異邦人を連れてどこにでも逃げるかと思っていた。」


「そうしたら、大義名分を得た君は、追いかけて我々の首を取ろうと?」


「そんなつもりはなかったさ。」


 嘘だ。事実、そうするつもりだった。どうせ行先は分かっているのだ。一度王都へと戻り、騎士団に合流した後に体勢を立て直し、正々堂々と彼らを悪として裁けばよいと、そう思っていた。アンスリウムは彼らを試したのだ。そして確かめたかった。今確かに抱いている異邦人への戸惑いを、そのまま持っているべきか否か。彼らが逃げれば、それは自分の気の迷いとしてそれまでと、すっぱりキリをつけて役職へと戻るつもりだった。それがどうだ。彼らは逃げなかった。


「逃げるわけがなかろう。私も、王都の民と敵対したいわけではない。もちろん、彼もそうだ。」


 床で幸せそうに眠っている異邦人を見る。身動きひとつせず、泥のように眠っているが、どうやら悪い夢は見ていないようだった。


「なあ、アンスリウム殿。彼を信じてみてはどうだ。」


「信じるだと?」


「言い方が悪いのであれば、そうだな……。彼を許してはもらえないだろうか。真は確かに異邦人だが、私たちの姿を獣に変えたのも、北の教会を滅ぼしたのも、彼ではないのだよ。」


 それは雷に打たれたような衝撃だった。クラリと揺れる頭を抱えながら、アンスリウムは目を凝らす。そこに眠っているのが、ただの少年だと。そう認めろと、獣人は言うのだ。


「何を言っている……。異邦人は、災厄を招く。」


「確かに、かつて過ちを犯した異邦人はいた。しかし、それにしたって責任は我々にある。我々のエゴが招いた結果だ。彼らではない。」


「異邦人が呪い返しの地に立った時、その首を狩るのが我ら騎士の使命だ。」


「獣の身勝手な理由によって、見知らぬ土地へ突然投げ込まれた年端もいかぬ少年を殺すのが、君たち騎士の使命か。」


「俺の使命はこの国の人々を守る事だ。この剣に誓って!俺は。」


 俺は決してクリーデンスのようにはならない。口から出そうになったその言葉を、アンスリウムはぐっと飲みこんだ。


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