400年の空白-10
静かだった。辺りに人の気配はない。
「誰もおらぬようだ。少々、不可解だな。」
ゲンゲツがそう言った。何が不可解なのか問いかけようとして、海良は息を飲む。そこに居たのは、見慣れた狼男だった。灰色の髪を撫でつけた、精悍な青年はもういない。掛ける言葉が見つからず、海良が顔を悲しげに歪めると、ゲンゲツは何でもないように笑った。それは、地下で聞いた笑い声と何も変わらない、明るい声だった。
「ゲンゲツさん、俺……。」
「真が気にする必要はない。我々が自分たちのエゴで君を巻き込んだ。もともと君には関係の無い事だったのにも関わらずだ。だから、真がそんな悲しそうな顔をしなくても良いんだよ。」
笑っているのか怒っているのか分からない狼の顔。初めて学校で遭遇した時は恐怖しか感じなかった相好に、もう海良は恐れない。そこにいるのは、ただ世界から取り残されただけの一人の人間だった。
彼らから離れたところの窓から、外の様子を伺っていたアンスリウムが戻ってきて、手近な柱に背を預けた。
「周囲に残した兵が一人もいない。」
ゲンゲツも頷く。
「アンスリウム殿は、待機命令を出しておったな。」
その通りだった。ゲンゲツと海良が広間の囲みを突破した際に、アンスリウムが出した命令は、第一部隊と第二部隊の待機。その指揮は副官であるシルビオに任せた。そのシルビオは最後、石碑のある断崖で合流を果たしたが、彼が全ての兵を引き連れて追って来たとは考え難い。アンスリウムの思考を裏付けるように、ラウルは言った。
「アンスリウムさんが二人を追って行かれたあと、部下の方は第二部隊に広場での待機命令を出していました。」
広場に残っていたはずの第二部隊。その姿を探そうと、アンスリウムは窓から広場の方を覗き込む。そこには、亀裂の入った巨大な魔術砲が一基、鎮座していた。周囲は地割れが起きて、祭壇に至っては魔術砲が隆起してきたせいで跡形もなくなっているが、確かにそこが謀反者たちが集まっていた広場だ。
それにしても、ここに残っていた部下たちはびっくりしただろうな、とアンスリウムは思いを馳せた。突然地響きが起こって、目の前に巨大な魔術砲が現れる。とてつもない恐怖だったに違いない。それが原因で全員逃げたのだろうか。いや、そんなはずがない。栄えある深緑騎士団にそんな腑抜けは存在しない。
なら何故、ここに誰もいないのだろうか。
「俺たちが埋まったと思って、海の方を探しに行ってるんじゃないか?」
そう言ったのは海良だった。
「確かに一理ある。見に行ってみるか。」
ゲンゲツが彼の意見に同意し、立ち上がって手近な窓から飛び出した。海の方へ走り出そうとした彼を、アンスリウムが止める。
「お前が行くよりも、俺が行った方が良いんじゃないか。」
「アンスリウム殿よりも私の方が足が速い。なに、少し見てすぐ帰ってくる。その後の騎士団の説得は貴殿に任せたぞ。」
そう言って、ゲンゲツは影のように森の中を走り去って行った。
ゲンゲツが帰ってくるまでの間は、三人で過ごした。特に喋ることもなく、特にすることも無く、三者三様に手持無沙汰なのが耐え切れなかったのか、途中でラウルが背中の竪琴を手に取ってジャカジャカ掻き鳴らし始めた。
「リクエストどうぞ!何かリクエスト!」
と必死な様子がおかしくて、海良は思わず声を上げて笑う。顔を背けていて見えなかったが、アンスリウムもきっと笑っていた。
そうしてラウルの息が切れ始めてクタクタになった頃、ゲンゲツが出て行った時と同じように窓から現れ、言った。
「誰もいなかった。」
「誰も?」
アンスリウムが眉を跳ねあげる。嘘をついているのではないかと言わんばかりの顔色に、ゲンゲツも憮然と繰り返す。
「誰もいなかったのだ。騎士団も、クリーデンスも、野盗どももだ。」
「どういうことだ……。」
見捨てられたということだろうか、とアンスリウムは思考を巡らせる。地下に落ちてからわずか数時間。もし騎士団がアンスリウムの事を探してくれているのならば、引き上げるには早すぎる。それとも、地割れに飲みこまれたからには、命は助からないだろうと救助活動もされなかったということだろうか。
チラリと、彼は海良に視線をやった。
そもそも、クリーデンスがこの異邦人を見捨てて余所へ行くか?
騎士団が己を探していない事よりも、その方がアンスリウムにとっては納得しがたい事だった。
海良が言うように、クリーデンスがかつての恋人と彼を重ねて見ていたのだとしても、彼に対する執着は確かにあった。むしろ、重ねて見ていたからこそ、執着心を持っていたのではないか。ならば、そんなクリーデンスが彼の安否を気にしないわけがない。
一体、自分たちが居なくなったあとで、あそこで何が起きたのだろう。
考えても分からないことだらけだった。
「お前が嘘をついているという可能性は?」
そんな事をしても獣人にメリットはないと思いながらも、一応アンスリウムはその可能性を提示してみる。その場の視線を集めたゲンゲツは、大げさに肩を竦めて見せた。
「確かめて来てもらっても構わん。ただ、片道半日の距離を泣きべそをかきながら帰ってくることになるだろうがな。」
「言ってみただけだ。」
こうなれば、ここでじっとしていても事態が動かないのは明白だった。とにかくここを出て、ロータス教会へ向かわねばならない。その道中で騎士団の誰かと連絡を取ればいいだろう、とアンスリウムは楽観的に考えた。要は、この異邦人を最後に取り囲む時に騎士団と一緒の方が人手が足りて楽だという話で、別に道中を共にする必要もない。むしろその方が、他の三人も都合がいいのではないだろうか。
「何はともあれ、まずはロータス教会跡地へと向かおうか。」
アンスリウムがそう言うと、三人は立ち上がる。扉を開けると積もった埃が舞い散って、吹いた風が攫って行った。太陽に反射してキラキラ光っているそれを見ながら、海良は己の中にそっと芽吹いた、悲しみとも、諦めともつかない気持ちを抱えていた。
クレイが待っていてくれるのではないかと膨らんでいた期待はすっかりと萎み、逆にそんなことを望んでいた自分を責める。
クレイは俺を待っていなかった。
俺を置いて、どこかへ行ってしまった。
もしかしたら、彼の意に沿わなかったから、もう嫌われてしまったのかもしれない。だって、クレイにとって価値があるのは「異邦人」で、決して海良真ではなかったんだから。
そんな風に考え始めてしまうと、もうダメだった。いつの間にか自分の中で大きくなってしまったクレイという存在に、胸が締め付けられる。
「西の古城からだと、北の教会まではそんなに遠くない。1週間ほどだ。もちろん、馬などない。徒歩だ。」
深く沈む海良の思考を現実世界に呼び戻したのは、アンスリウムの声だった。彼はそう言うと、ゲンゲツ、ラウルの順に視線を移して、最後に海良を捕らえる。
「歩けるな?」
明らかに、旅慣れていない海良を指して念を押した。歩けないとは言わせないと強制力を持った言葉に、海良は否応なく頷く。そこでようやく、自分の呼吸が浅く早くなっていたことに気付いた。胸に手を当てて、深く息を吸い込む。辺りの木々から漂う緑の香りが、体中に広がっていく。
「歩ける。」
「ならいい。」
ぶっきらぼうにそう告げて、アンスリウムはさっさと海良に背を向けた。その大きく広い背中を見ながら海良は、そういえば自分はこちらの世界に来てから初めて、自分の足で動いているのではないかと思い当たった。今までクレイに案内されるまま、彼の馬に揺られてここまで来た。しかしここからは、自分の行きたい場所に、自分で行くのだ。
もちろん多少、他人の手は借りなければならないが。
海良の横を意気揚々と、飛ぶようにラウルが駆け出る。ゲンゲツはその巨体を揺らしながら、のっそりと扉を潜った。
そうして、騎士と異邦人、獣人と吟遊詩人という異色の即席パーティは、長い動乱へと続く旅路への一歩を踏み出した。




