400年の空白-9
動かなくなってしまったアンスリウムを見上げながら、海良はどうしたらいいものか戸惑っていた。返事も帰って来ないし、否定をされたわけでもない。ただいくつかの問答があっただけで、結局自分の意見を聞き入れてもらったのかどうかも分からない。
「真がそう望むのならば私は構わん。そもそも、こちらがお願いする立場なのだ。嫌とは言えんよ。」
そう言ったのはゲンゲツだった。彼は腕を組み、剣呑な目でアンスリウムを見る。
「それに、もし貴殿がどうしても彼を斬るというのなら、私は彼を連れてここから逃げるまでだ。」
確かに、それは道理だった。もしここでアンスリウムが首を横に振れば、ゲンゲツはその強靭な足を使って、異邦人を連れて逃げるだろう。今、彼の姿は人間に見えているとはいえ、その肉体は獣人のままだ。そうなれば、アンスリウムに追いつく手段はない。ここで彼の意見を拒絶するのは、明らかに得策ではなかった。
それに、アンスリウムの中には微かな戸惑いが確かにあって、彼はそれを打ち払えずにいた。それもこれも、異邦人があんな顔をするからだ。自分の中にしっかりと根付いていた異邦人という存在が揺らぐ。しっかりと輪郭を描いていたはずの物が、目を離した隙に霧散してしまった時の、あの恐怖感。足元の地面を踏みしめて立っていたはずなのに、何故か感じる浮遊感は酩酊にも似て、それはアンスリウムを知らず知らずのうちに不安へと陥れいていた。
だから、彼は言う。
「分かった。お前の言う通りにしよう。ロータス教会に行き、獣人どもの呪いを解くまでは殺さない。しかし、条件がある。」
了承したのは異邦人のためではない、と自分に言い聞かせる。異邦人のためでも、ましてや獣人のためでもない。ただ、ここで逃げられるのは厄介なだけだと冷静に判断したからだ。そう、アンスリウムは胸の内で念仏のように唱えていた。
「何だよ、条件って。」
怪訝な顔をする異邦人の反応を受けて、アンスリウムは我が意を得たりと語気を強めた。
「俺も同行する。」
その申し出は海良にとっては青天の霹靂で、思わず口をあんぐりと開いたままその場で固まってしまう。後ろを歩いていたラウルが背中に勢いよくぶつかって、悲鳴を上げた。海良を驚かせた当の本人は澄ました顔で歩みも止めず、さっさと先に進んで行ってしまう。
「ちょっと待って、何であんたがついて来るんだ。」
慌てて叫んだ海良を振り返って、アンスリウムは芝居がかった動作で両手を大きく広げた。
「不満か?」
「不満だよ!別にアンタが一緒に来る必要ないだろ!」
「何を言っている。必要大ありだ。この国を守る騎士として、獣人が元々人間だったという話を聞いてしまった以上、放置は出来かねる。俺も共に行き、彼が話した昔話が真実か見極めねばならない。今ここでお前を処断しない代わりに、俺の同行を認めてもらおう。」
よくもまあ、こんなに口がペラペラと喋るものだと、我が事ながらアンスリウムは呆れる。
獣人の話に興味などない。そもそも、それが本当だとしても四百年も前の話で、そんな大昔の人間がどれだけ苦しんでいようと俺には関係ない。嘘なら尚更だ。どうだっていい。ただ、異邦人が祈るだなんていうから、少し魔が差した。異邦人が他者の罪を悔いて祈るというのを、この目で見てみたいと思ってしまった。
だから、とアンスリウムは決意を固くする。
異邦人が逃げる素振りを見せたら、獣人の話が嘘だったら、ロータス教会に行く目的が偽りだったら、異邦人のせいで不穏な事態に陥ったら、その時点で即座に首を落とす。
「仕方あるまいよ、真。騎士殿にもご同行頂こう。」
そう言ったゲンゲツの声は穏やかだったが、視線は鋭くアンスリウムを捕えていた。獣人の込めた敵意を正しく受け取って、アンスリウムも不敵に笑みを浮かべる。アンスリウムの同行に難色を示していた海良も、ゲンゲツに促されてようやく不満を飲みこんだようだった。
「改めてよろしく、アンスリウム。」
差し出された手を、アンスリウムは握らなかった。代わりにスラリと腰の鞘から剣を抜き、悠々とした動作で剣先を海良の首元に向ける。
「異邦人とよろしくするつもりはない。この剣は常にお前の首を狙っている。その事をよく覚えておくんだな。」
アンスリウムが知る以上ずっと誰かの背中に隠れていた異邦人は、意外にも一歩も引かず、真正面から騎士を見つめ返した。その瞳の奥には憎悪も恐怖の色もない。彼の放つ眩さが、一層強く感じられた。
「お話の途中申し訳ないんですけど、これ私もご一緒して大丈夫な感じですかね。大変言い出し辛いんですけれど。」
彼らの対峙を遮ってラウルがおずおずと手を上げた。完全に置いてけぼりを食らった彼は、自分で言う通り申し訳なさそうに他のメンバーの顔色を伺っている。アンスリウムは剣を納めると
「いいんじゃないか。」
とぶっきらぼうに返事した。拍子抜けしたのか、海良も真顔でコクコクと頷いているし、ゲンゲツも面白そうに笑みを浮かべていたから、この場は満場一致でラウルの同行に賛成していたが、当の本人は不満そうに口を尖らせる。
「いてもいなくてもって感じですか。」
ゲンゲツが声を上げて笑った。
「そんなことはない。君も我らの真偽を確かめようと思ってくれたのだろう?それは皆の苦労も報われるというものだ。歓迎する。」
地上に出たらロータス教会へ向かう。その目標は、海良の心を幾らか軽くした。ゲンゲツの話によれば、今歩いている地下道は古城に繋がっているはずで、ゲンゲツに抱えられて走った道だから正確な事は分からないが、おそらくそんなに長い距離ではないはずだった。試しにゲンゲツに聞いてみると、確かにもうしばらく歩けば出口に着くはずだという返答が返ってきて、それが更に彼らの足を逸らせた。
ゲンゲツから聞いた話をクレイは知っているのだろうか。
出口を目前にした海良の頭に浮かんでくるのは、この期に及んでクレイの事ばかりだった。
クレイはあの後どうなったんだろう。
クレイは異邦人のことをどこまで知っているんだろう。
クレイはまだあの石碑の場所にいるのかな。
クレイにロータス教会へ行くことを伝えたら、どんな反応するんだろう。
ここを出たら、またクレイに会えるかな。
もしかしたら、地上に上がったらクレイが待っていてくれて、自分の名前を呼んでくれるのではないかと、海良は少し期待していた。あの時はごめんと、そう謝って、もう一度手を取ってくれるのではないかと。彼は誠実な人だから、かつての恋人を忘れてしまうような薄情なことはできないだろうし、でもだからといって、他人を恋人の名前で呼んでしまった無礼を顧みない人でもない。そんな風に思い始めていた。
だから、ゲンゲツが「明かりが見えたぞ。」と言った時、海良は思わず期待に胸を膨らませて前を目指した。明かりは遥か先を照らし、前方にある戸板を現す。固く締められていながらも、太陽の光が漏れ出ているそれをゲンゲツが押しあけると、眩むほどの強い光が暗闇の中に飛び込んできた。
目を凝らして見つめた先にあったのは、古びた城の大広間だった。煤けて、埃が溜まってはいるが意外と中は丁寧に掃除がしてあって、くすんだ灰色のカーテンが窓から吹く風を受けて静かに靡いていた。




