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400年の空白-5

 その不快さに耳を押さえていたゲンゲツは、傍で不安げに顔を顰めていた長官と目配せし合うと、帯刀していた剣を片手に携えて、急いでエントランスから飛び出した。出入り口から外に出ると、そこは一見してなんの変哲もない白い石造りの都だった。太陽は明るく頭上で輝き、遠くで鳥が鳴いている。いつも通りの、平和で明るい街並み。


 そこに、人が倒れていた。


 一人ではない。何人も、折り重なるように、人が道に倒れている。


 ついさっきまで、日常生活を営んでいた白き石造りの都の民が、セネシオの人民がピクリとも身動きせずに地に伏していた。


「何があったんだ……。」


 抜身の剣を鞘に戻すと、ゲンゲツは慌てて一番近くで倒れていた少年に駆け寄る。そっと抱き上げて、顔に掛かった髪を払いのけるが、彼は固く目を閉じたままで瞼ひとつ動かさない。そっと頬に手を添え、顔についた土を拭うが、まるで生きているようには見えなかった。


 彼を丁寧に横たえると、隣で倒れていた父親らしき男性の顔を覗き込む。念入りに体全体を見分するが、どこにも外傷が見当たらない。

何故だ。何があった。どうして彼らは倒れているのだ。


 顔を上げて、周囲を見渡す。何か変わった物はないか。不審な物はないか。少しでも手がかりが見つからないか。そうして必死に視線を巡らせたゲンゲツの前に、それは現れた。


 それは、ぽつんと立っていた。


 地に倒れ伏す人々の間に、ぽつんと佇んでいた。


 人というには不器用で、獣というには器用な立ち姿。全身を毛に覆われ、体格は大きく、呆然自失といった様子で己の手にある鋭い爪を見つめている。それはゆっくりと顔を上げると、迷子のような瞳でゲンゲツを見た。


 獣だ。魔族とも、人間とも違う。それは、見たこともない獣だった。


 ゲンゲツが腰を上げて、柄に手をやる。いつでも応戦できるように、足を小さく引いた。獣は彼の動作に一層強く瞳を揺らすと、小さな声で呟いた。


「ゲンゲツさん……。」


 それは良く知った声だった。足元にはジョッキが転がり、そこに入っていた酒が石畳を濡らしている。


「お前、定食屋の……。」


 ゲンゲツが応えると、その獣は目を輝かせた。


 それと時を同じくして、周囲の倒れていた人々から呻き声が上がり始める。皆一様に苦しそうに体を揺らし、泣き声を上げていた。


 膝元で横たわっていた男性も、その隣の少年も、顔を顰めて苦しそうな声を出している。生きていたのかと、ゲンゲツは安堵した。


「一体何があったんだ。」


 ゲンゲツの問いかけに、定食屋の息子だと思われる二足歩行の獣は首を振った。


「わからないです。なんか変な風が吹いて、気付いたら倒れていて……。それで。」


 彼の首元に、突然何かが飛びついた。


 獣の青年が目を大きく見開いたまま、勢いに押されてその場で倒れる。上から圧し掛かったのもまた、彼と同じような姿をした獣だった。青年の首に牙を立てて口から涎を滴らせ、血走った目で自分の下に敷いた獣を見据えると、躊躇いなくその首を引きちぎった。


 血しぶきが舞う。そのまま、獣は定食屋の青年の遺体を貪り始めた。


「お兄ちゃん……。」


 その時、すぐ側にいた少年が声を上げた。


「助けて。苦しいの。すごく、痛い。痛いよ。」


 少年は泣いていた。


 隣で彼の父親の呻き声が、いっそう大きくなった。


「お父さん。たすけて、お父さん。ねえ。」


 少年の目が恐怖に歪む。体をくの字に折り曲げて、膝を抱えて苦しみだした。そして、ゲンゲツは見た。彼の体が、だんだんと変貌していくのを。


 初めに、関節が妙な膨れ方をした。ゴツゴツと体が角ばって、そのうち骨格がすっかりと変わってしまう。それと同時に全身から毛が生え初め、歯が牙へと変化する。小さくて柔らかかった手は鋭い爪のついた武骨なものになり、そのうち少年はすっかりと小さな獣に成り果ててしまった。


 周囲の誰もが、同じように姿を獣へと変えていく。芋虫のように体を動かしながら、人が人でなくなっていく。それは、ゲンゲツにとって恐怖でしかなかった。


「痛いの……治った……。」


 少年だった獣があっけらかんとした声を出し、不思議そうにゲンゲツを見る。そして、自分の腹の辺りに目をやると、驚いてそこに手をやった。


「え。え?」


 意味が分からず、何度も何度も自分の全身を弄りながら確認する。すっかりと毛むくじゃらになってしまった己の体に、ついに彼は泣きだした。あまりの痛ましさに、ゲンゲツは彼の背を摩る。


 隣で同じように獣へと変貌を遂げた彼の父親が、のっそりと起き上がった。


 彼はゲンゲツと息子を見つけると、牙を剥きだしてグルルと唸り声を上げる。


 様子がおかしい。


 ゲンゲツが少年を庇うのと、父親が息子へと飛び掛かるのは同時だった。


 飛びついた父親は、彼を庇うゲンゲツの腕へと噛みつく。鋭い牙と強靭な顎の力に、ゲンゲツの腕は酷く痛んだが、そんな事を気にしている場合ではない。腕に噛みつかせたままで、ゲンゲツは彼の腹に拳を叩き込んだ。手ごたえはあった。しかし、父親は一向に怯まない。獣は、ゲンゲツの腕を噛みちぎろうと更に牙に力を込める。酷い痛みに、気が持って行かれそうになる。


「クソッ……!」


 このままではいけない。


 ちらりと少年に目をやる。彼は状況が把握できずに、ひたすら目を丸くしてゲンゲツと獣を見比べていた。


 これは彼の父親だ。彼の前で斬るのか。しかし斬らなければ、俺はここで死ぬ。


 少年の向こうで、定食屋の息子だったものを貪っていた獣が顔を上げたのが見えた。その目はまっすぐに、少年を見ていた。獣が地を蹴る。


「すまない。」


 ゲンゲツは反対の手で剣を抜くと、彼の父親の腹へと突き刺した。固い手ごたえと、筋肉を割く感触。牙の力が一瞬だけ緩んだ。その隙を見逃さず、ゲンゲツは父親を力いっぱい蹴り倒すと、向かってくる獣目がけて太刀を振り下ろした。斬っている、が、浅い。


 痛みに飛び退いた獣を追撃しようとゲンゲツが構えるが、視界の隅ではさきほど蹴り飛ばした父親だった獣が、こちらに向かって走ってくるのが見えた。


 この小さな獣を守りながらでは、二匹を同時に退けることは不可能。


 死を覚悟したゲンゲツの耳に、大勢の足音が聞こえた。塔の内部から駆け出してきた大勢の研究員が一列に並び、銃を構えて狙いを定める。銀の髪を靡かせながら、長官が手を振り下ろした。


「撃て!」


 響く薬莢の音。火花が散り、銃弾が走り寄って来た獣をどてっぱらから撃ちぬいた。巨体が重い音を立てて倒れる。ゲンゲツはそれを見るや否や、正面の獣の首目がけて剣を突き立てた。


「大丈夫ですか、ゲンゲツ殿!ここは我々が抑えます。ゲンゲツ殿はその間に塔までお下がり下さい!」


 長官は前方を見据えていた。彼女の眼前に広がる光景は、異様なものだった。


 幾人もの獣の姿をしたものが、戸惑いながら立ち上がる。それらは一様に自分の姿を何度も何度も確認して、泣きながら蹲った。その仕草はまるで、人がそのまま姿だけ獣になったかのように見えた。


 しかし、そうでない者もまた、そこにいた。


 牙を剥き、涎を滴らせ、理性を失くした様子で辺りを見渡す獣が数体。それはまるで衰弱した獲物を狙うように、ゆっくりと視線を巡らせて、一斉に蹲って嘆く獣へと襲いかかった。悲鳴が上がる。断末魔が響く。


 獣が獣を食らい、無抵抗に食われていく光景は凄惨だった。


「ゲンゲツ、早く!」


 長官の叫び声に、ゲンゲツは少年だった獣を抱き上げる。泣きながら胸にしがみ付いてくる小さな頭を撫でながら、ゲンゲツは塔の入り口まで走った。鉄砲隊が再び銃を構える。驚くほど軽い火薬の爆発音と共に、何人かの獣が血を流して倒れた。


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