蔦王の戦城-6
強く舌打ちをしたアンスリウムに、異邦人がビクリと震えた。再び獣人に挑みかかろうとしたアンスリウムは、己の中を走り抜けた違和感に、ふと手を止める。
今、木陰の奥を人が通った。
意識の外の事であったから確信はなかったが、確かに今誰かが居た。誰だ。仲間か、はたまたクリーデンスか。
その人影は、アンスリウムと獣人を遠巻きに迂回すると、最短距離で異邦人へと走り寄った。片手にダガーを携え、狂気的な笑みを浮かべた人間は、異邦人をその腕の中で拘束し、彼の首に刃先を添える。
「ハッ、めちゃめちゃラッキーじゃねぇか。」
「ヒューイ……!」
異邦人が苦しげに男の名を呼んだ。ヒューイは異邦人の喉元へダガーを強く押し当てると、アンスリウムを見て高らかに笑う。
「漁夫の利ってやつかね。騎士どもに追われて森の中を逃げ回ってたら、異邦人と起動式が揃ってやがるんだから。なあ、騎士団長さんよ。」
彼が何をしようとしているのか、嫌でも察しがついた。考える間もなく、体が走り出す。獣人も弾かれたように動き出すが、それよりもヒューイがそれを実行に移す方が早い。
「王都が破壊される瞬間を、指をくわえて見てろ。」
間に合わない。咄嗟に、左手に持った短剣を男の肩目がけて投げた。獣人が飛び掛かる。異邦人の喉を刃が滑った。
彼の喉から出た血は、目の前の起動式を赤く染める。金のレリーフが血に塗れ、途端に輝きが増した。
飛び掛かったはずの獣人は目に見えない何かに弾き返されて、アンスリウムがいる所まで地面を転がって倒れた。異邦人はヒューイの手の中でぐったりとしており、生きているのか死んでいるのか定かではない。
アンスリウムは、猛然と輝きを放つ石碑から奇妙な音が聞こえてくるのに気付いた。地鳴りだ。大地を揺り起すような、酷い地鳴りが辺りに響く。
「真……?」
真後ろから、クリーデンス・クレイウォルターの声がした。覇気の無い声で、呆然と呟くように、異邦人の名を呼ぶ。
「団長、これは一体どういうことです!?」
追いついてきたシルビオが、困惑して元来た方を指さした。彼が示す方向に、アンスリウムが顔を向ける。その場にいた者は、クリーデンスを除いてそれを見上げた。
大地に突き刺さるほどに巨大な、一基の大砲。それが、広間の方向から空に向かって首をもたげる。錆びついた音を立てて、金属が軋む音を響かせながら、それは人々の前に威圧されるほどに巨大で圧倒的な姿を現した。
シルビオが駆けさせていた馬の後ろに乗っていた吟遊詩人が、それを見て言った。
「おかしいとは思っていたんです。魔族討伐の地として様々な伝承が残っている城なのに、その痕跡はほとんどなく、ただ古城の裏庭に朽ち果てた祭壇が一つあるだけだなんて。砲台跡とか、そういうものが無いのは不自然だと。」
誰もが口を噤んでいた。
「全て、何等かの魔道術式により封印されていたんですね。後世に生きる私たちが、不用意に触らないように。」
建国の蔦王フェルトブッシュは、平和主義者だと言われている。彼は迫りくる魔族を撃退した後は、人間同士のすべての争いを禁じ、平和を願って永い眠りについたと語り継がれている。その王が、この国一番の破壊兵器を厳重に封印した場所、それが。
「さきほどの広間にあった祭壇。あれが、砲台だったんだ。」
彼の声に応えるように、大砲が唸り声を上げた。砲の表面に掘り込まれた魔道文字が次第に光を帯び初め、その輝きはだんだんと広がり、強くなっていく。それを見て、獣人が言った。
「まずい。制御できていないぞ。」
「なんだと?」
眉を跳ねあげたアンスリウムに、獣人は言った。
「あの砲の起動式はこの石碑に刻みこんだが、制御式は古城の天辺にある作戦室にある。起動と砲撃は起動式から伝達できるが、本来はここで起動した後に作戦室にいる者が方角と威力を制御式から砲へ伝達する仕組みなんだ。しかし、今は制御式を操る人間がいない。つまり。」
「つまりどうなる?」
「どこを狙うか分からない状態で、マックス威力の砲撃が始まる。」
「なんてことだ。何で蔦王はそんな状態で砲を放置していた!」
「仕様だ!仕方ないだろう。先の魔族討伐戦の折りに使われたきり、封印していたのだ。異邦人の魔力で暴走させる阿呆が出て来るとは思わなかった!」
まるで我が事のように頭を抱えながら弁解を始めた獣人に違和感を感じながらも、アンスリウムは頭をフル回転させて、どうやって魔術砲を停止させるか考える。起動式を破壊すればいいのか、今すぐ古城に兵を派遣して制御式とやらを触った方が良いのか、何が最善か良く分からない。
誰もが最悪の事態を想定する中で、クリーデンスだけがヒューイの腕の中で動かなくなった海良をじっと見つめていた。服も、顔も、髪も血に染まった彼の顔を、ただひたすらに呆然と。何も浮かばなかった。悲しみも、怒りも、何も己の中にない。空っぽだ。どうしていいか分からなくて、小さな声で呼びかけてみる。
「真?」
守りたかった人は、答えない。
王の前で断罪された、あの日と同じように。
絶望にくれるクリーデンスの前で、ヒュースが用済みとばかりに海良を石碑の横へと投げ捨てた。人一人分が土に叩きつけられる嫌な音がする。その光景を見てようやく、クリーデンスは頭に血が上るのを感じた。焼き切れるように脳が熱い。目の間が真っ赤になって、声帯が引きちぎれるのではないかという程の慟哭を上げる。
大気を劈く慟哭に、吟遊詩人ラウルは悲しげに顔を顰めた。あの一夜を共に過ごしただけだとしても、騎士クリーデンスがどれだけ少年を大切にしていたか分かる。栄光の騎士は再び、命に代えても守りたかったものを失った。
クリーデンスが異邦人を目の前で処刑されて、どうして狂ってしまったのかを以前は理解できなかったが、今なら分かる。この喪失感は、人を失った時と同じだ。
こんなのはあまりに悲しすぎる。
捨て置かれた異邦人に目を向けて、ラウルだけが気付いた。彼の手が、少しだけ動いたのを。
「動いた。」
クリーデンスが、ラウルを見る。そんなことお構いなしに、ラウルは異邦人へと駆け寄った。
「動いた。今!手が!」
「おっと、近づくな!」
彼の前にヒューイが立ちはだかる。それ以上近づくことが出来ず、ラウルは酷く苛立った。だって、今ならまだ彼を助けられるかもしれないのに。この男が邪魔だ。
クリーデンスが動いた。
炎風の聖剣にありったけの力を込めて、炎の暴風を纏いながらヒューイに斬りかかる。彼の剣はヒューイの肩を貫き、二人は勢いのままに森の奥へと転がった。その隙にラウルが異邦人へと走り寄る。冷たい地面へと血塗れて転がる異邦人の頬に手をそっと添えると、微かに呼吸をしているのが確認できる。そっと傷口に目をやって、その異変に気が付いた。
「傷がふさがってる。」
「訪い人の能力だろう。」
いつの間にかやって来た獣人が、彼の側にしゃがみこんだ。初めて間近で見る獣人の姿にラウルの心臓が跳ねたが、今はそんなことを気にしている場合ではないと、深呼吸をして心を落ち着ける。
「訪い人とは、異邦人のことですか?異邦人には治癒能力があるんですか?」
「王都民の言うところの異邦人は普通の人間に比べると、保有する魔力量が多い。彼がその気になれば、死に至る傷を癒すことなど容易い。」
「では、彼は……。」
「ああ、じきに回復するだろう。そして、訪い人が生きているのなら魔術砲を止める最も効率的な解決策がある。」
隣に、深緑騎士団長アンスリウム・クルシアが並んだ。
「何だそれは。言え。」
「起動式に許容量以上の魔力を注ぎ込んで、大規模魔術陣を動かす機構自体を破壊する。」
いつの間にか、異邦人の首から流れ出ていた血は止まっていた。顔に血の気が戻ってくる。うっすらと目を開けた異邦人に、獣人は語りかけた。
「できるか、訪い人。」
力なく微笑んで、海良は微かに頷く。




