蔦王の戦城-4
その疑問は、考えるまでもない。そんなこと、分かり切っている。彼は騎士クリーデンスなのだから、愛した人はただ一人。
そう考えた瞬間、体の奥底から溢れるように悲しみが溢れ出して、海良の体を強張らせる。考えたくない。でも、それなら今までの違和感に説明がつく。
クレイが守りたいのも、愛しているのも、全く俺ではない別の誰か。それはなんという茶番だろう。俺がクレイと出会う前から、クレイはずっと俺のことが好きだったと言った。そんなことあるわけない。だって、彼と俺は東の遺跡で初めて会ったのだから。
彼はずっと、俺を通して彼の愛した異邦人を見ていただけだ。そして、彼の歪な言動を放置したまま、絆された結果がこの胸の痛みだ。
海良はいつの間にか、クレイを好きになってしまっていた。
「クレイ、俺。」
上手に言葉にならない。好きだ、大切に思っていると言われて、すっかりその気になってしまった。でも、この人は俺を愛していない。ただ異邦人であるというだけで、恋人と俺とを重ねているのだ。なんて情けない話だろう。
「俺は、あんたの恋人じゃない。」
アンスリウムの後ろで、吟遊詩人がハッと息を飲んだ。
海良が必死で絞り出した言葉に、クレイはようやく彼を振り返って、その顔を見せた。しかしそれは、海良が何が言いたいのか分からないといった、キョトンと惚けた表情で、海良の胸の内に絶望が広がる。
「だからやっぱり、一緒にはいられないよ。」
「どうして、そんなこと……。」
分からないと、クレイが首を振る。その悲しげな動作に、海良は歯を噛みしめた。
「振られたなクリーデンス。だがまあ、その異邦人はここで死ぬわけだから、そんなに気を落とすことはない。」
アンスリウムが片手を挙げた。その動作に合わせて、周囲の木々の間から武器を構えた騎士たちが姿を現した。彼と吟遊詩人の傍に、銀髪の騎士が歩み寄る。そこで初めて、海良は今までの会話が時間稼ぎに使われていたことを知る。クレイを問い詰めるような素振りで、自分たちを取り囲む動きを着々と進めていた。
「シルビオ、お前はクリーデンスを抑えろ。俺は異邦人の首を落とす。好きなだけ騎士を連れて行け。」
「了解しました、団長。第三班を借り受けます。」
ヒラリと腰の剣を抜いて、銀髪の騎士はアンスリウムの横をすり抜けると、軽快にクレイに斬りかかる。一見気負いなく振るわれる剣をクレイの剣が受けるたびに、あたりに重く耳障りな金属音が響き、二歩三歩とクレイがたたらを踏んだ。辺りには、深緑騎士団魔術詠唱班、通称第三班が呪文を詠唱する声に満ち、その詠唱が進むごとにシルビオの剣は重さを増しているように見えた。
体勢を整え直したクレイが剣を握る手に力を込める。その意思に応えるように、炎風の聖剣が光を帯び始め、あたりには風が吹き荒れる。暁色に輝く刀身が鋭くシルビオを襲い、掠めた頬に裂傷を残した。しかしそれにもシルビオは怯まず、逃がすものかとクレイを追い詰める。まるで、クレイをフリーにしないためだけの剣劇。クレイが彼と剣を合わせている以上、海良を守る者はだれもいない。
万事休すだ。
歩み寄るアンスリウムからジリジリと後退しつつ、海良は退路を探る。しかし、あたりはしっかりと騎士に包囲されていて、簡単に逃げられそうな道はない。広場にいた人たちはヒューイを初め、もう既にこの場から逃げ出していて、姿も見えなかった。
アンスリウムがすぐそこまで来ている。剣を振り上げるのを目にして、海良は思わず体を反転させ、一目散に逃げ出した。
真後ろを追いかけてくる足音が聞こえる。目の前には、広場を囲う騎士が待ち構えている。
距離を測ろうと思って振り向いた視線の先、もうすぐそこに迫っているアンスリウムのその向こう、彼越しにクレイがこちらに顔を向けたのが見えた。
彼の瞳は、こんな時まで誠実な光を帯びている。その愛おしい光景を最後に、海良は静かに目を閉じた。騎士が剣を振り上げる。
死んだ、と思ったその瞬間。
森に咆哮が響く。
古城の陰から大きな影が広場目がけて飛び出してくる。誰もがその姿に目を見張った。あたりに響いた驚嘆の声を聞いて、驚いて目を開いた海良が見たのは、灰色の毛並みを靡かせながら牙を剥きだして走ってくる大きな獣。獣というには器用だが、人間というには不器用な立ち姿が印象的なその姿。
灰色毛並みの狼男はあっという間に海良とアンスリウムの間に割り込むと、アンスリウムの剣を鋭い爪で払いのけた。衝撃で、彼の手から剣が離れる。
獣人はそのまま彼を強靭な蹴りで弾き飛ばすと、躊躇なく海良を担ぎ上げて全速力で広場の向こうへと走り抜ける。かつて何度か体験したことのあるクレイの俵担ぎ疾走よりも、酷く上下に揺れる乱暴な運ばれ方に、海良は思わず気分が悪くなって口元を抑えた。抱え込まれた鳩尾が痛い。獣人の毛に頬が擦れてヒリヒリする。抗議しようと口を開けたら、そのまま舌を噛みそうだったので諦めた。
シルビオと切り結んでいたクレイは、その光景を前にして、銀髪の騎士を放り出して海良が消えていく方向へ走り出した。
「待て!」
獣人の足の速さに、必死になって追いすがる。息が上がるほどの疾走に、足がもつれそうになる。肺が痛い。それでも、クレイは走った。
後ろからクレイが追いかけてくるのが見えて、思わず手を伸ばすが、もちろん届きはしない。必死の形相で追いすがるクレイの姿が段々と離れてく。
海良は口が開けられない代わりに、どうにかして獣人の背中を叩いたが、当の本人はチラリと海良に視線を向けただけで済ませてしまう。もう一度叩いてようやく、獣人がため息を吐いた。
「大人しくしてくれ。あの男に構っている余裕はない。」
狼男がそう言うな否や、周囲の森から突如として別動隊の騎士たちが現れた。大勢の騎兵が地響きを立てながら狼男の進行方向へと展開し、長槍を構える。
「団長!ここは俺らが抑えます!」
一人の兵士が叫ぶ。ピクリと耳を動かして、獣人が海良を強く抱え込んだ。
「第一部隊、第二部隊はここで待機し、シルビオに従え。第三部隊は俺に続け!」
体を庇いながらもその場に立ちあがったアンスリウムが、部下が引いて連れてきた馬に飛び乗り獣人の後を追う。その後ろに、数十人の騎兵が続いた。怒涛の勢いで迫りくる彼らの姿を認めて、クレイが海良たちを追いかけるのを諦める。そして再び剣を構えると、そっと刃を指先でなぞった。
ふわりと風が舞う。砂埃が立ち上がり、芝が大気を暴れ回った。
風の中に、火花が舞う。それはまるで蛍のように軽やかに、あの夜の篝火のように暖かに、彼の周りを飛び回る。その幻想的な光景に、海良は状況を忘れて見入ってしまった。
アンスリウムが馬上で剣を抜く。彼に呼応するように、続く兵たちも一糸乱れぬ動きで剣を取った。彼らはアンスリウムを追い抜くと、傘のようにアンスリウムを己の陰に隠しながら、陣形を保ったままで突進してくる。
クレイがあの不思議な炎の暴風を騎兵にぶつけるのと、アンスリウムが一段から飛び出るのはほとんど同時だった。部下を風よけにして、なんとか止めようとするクレイをあざ笑うかのように、アンスリウムは上手くクレイの攻撃をかいくぐり、その脇を抜ける。
「クソッ!……ロゼア!」
クレイが叫ぶ。遠くの方で、彼女の嘶く声がした。
獣人は速度を落とさず、自分に向かって長槍を構える騎兵へと突っ込んでいく。彼らが騎乗する馬が恐怖に嘶き、前足を上げる。それを物ともせず、体に突き刺さる槍などまるで無い物かのように、獣人はただひたすら暴れ回る。騎兵の抵抗も虚しく、獣人は雷のように騎兵の囲みを抜けた。




