吟遊詩人-1
大勢の騎兵に囲まれたラウルは、傍に置いていた小さな竪琴を引き寄せると、慌てて立ち上がった。
なんという不幸続きの一日だろう、とラウルは心の内で嘆く。
夜の森で道に迷い、ようやく助けてくれる人と出会えたのに……。まあその人たちについても、なにやら俺が無神経にも傷つけてしまったみたいで今は近くにいないけれど、とにかく今日の俺は本当にツイてない。
物々しい様相で自分を取り囲んだ騎兵は、一斉に槍の矛先をこちらに向ける。重々しく鳴る金属の音に、ラウルはゾッとして身を竦ませた。
「動くな。」
言われなくても、動けるわけがない。
一人の男が馬上からラウルを見て、厳しそうに眉をしかめた。軽快な動作で馬を降りると、帽子を避けるようにしてラウルの顔を覗き込む。凛々しく威厳のある立ち振る舞いが、彼がこの騎兵のリーダーであることを伺わせた。
「別人だ。」
騎兵を率いる男、アンスリウム・クルシアは部下たちにそう告げる。辺りの兵は彼の声に緊張を緩めると、一糸乱れぬ動きで矛を収める。一団の中から一人、アンスリウムの側に寄って来た銀髪の男が彼の耳元に囁いた。
「どうします?アンスリウム団長。」
「異邦人の魔力痕跡は確かにこの辺りにあるんだろう?なら、どこかに潜んでいる可能性が高い。となると、森狩りだな。」
「地道な作業になりますね。今夜は寝られなさそうだ。と、その前に。」
銀髪は吟遊詩人に向き直り、甘いマスクを緩ませる。その仕草を目にしたラウルの背に嫌な汗が伝う。彼らが言う異邦人とは、あの異邦人だろうか。ならば彼らの正体はまず間違いなく、異邦人を捕縛するために行方を追っているという噂の「捕縛隊」だろう。そして、ずいぶんと長い間様々な土地で多種多様な人間と接してきたラウルにしてみれば、銀髪男の真意など火を見るより明らかだ。
「そこのあなた、ここで誰かと会いませんでしたか?」
事情聴取である。こういう風貌の二人組は、優しい方が聞いてくるのが定石なのだ。
「えっと……誰かとは、具体的には?」
困惑した素振りで問い返すと、銀髪そっと地面を指さした。指先を辿ったその先には、掘れた土の後と微かな蹄の後がある。
数刻前まで、そこには世話になった二人が連れていた馬が座っていた。その馬も何の前触れもなく唐突に立ち上がり、ラウルの制止も聞かずに猛烈な勢いでこの場から走り去ってしまったが。
そして誰もいなくなった。
ラウルは自嘲ぎみに笑った。
「これは馬蹄の跡に見受けられますが、失礼ながらあなたの馬はどちらに?」
「ああ、これは。」
正直に事情を説明しようとして、しかしラウルは口を噤んだ。一瞬、脳裏に掠めた二人の姿がラウルをそうさせる。自分が歌い終わった後、彼らは明らかに様子がおかしかった。異邦人が処刑された話の後、目を輝かせながら歌を聞いてくれた男の子は可哀想なくらい狼狽していて、ただ事ではなかった。
もしかして、とは思うのだ。
しかし、そんなわけがないと否定する自分もいる。
異邦人というのはこの世に不幸をもたらす存在で、災いその物で、化け物のような醜い容姿を持ち、禍々しい力で世界を引き裂く存在であって、あんな平凡と平和を絵に描いたような少年ではない。はずだ。
異邦人を伝える歌や詩は数あれど、その姿形を形容する物語は存在しない。恋に落ちたと伝えられるクリーデンスですら、異邦人の姿を広く知らしめることはなかった。この世界に住む人々は、何よりも異邦人を怖れていながら、だれもその姿を正しく知らない。
だから、ラウルは彼らの存在を口にするのを躊躇った。そんなラウルの様子に、銀髪がため息をつく。
「どうやら事態を正しく理解して頂いていないようですね。団長、この男を捕えましょう。」
銀髪の男が腰から剣を抜く。その手を押しとどめて、アンスリウムが首を振った。
「やめろ、シルビオ。市民に剣を向けるな。彼には事情を説明して、協力を仰ぐ。団長命令だ。」
鋭い視線に睨まれて、銀髪男はしぶしぶ剣の柄から手を離した。
「正気ですか?事情を?この男に?」
「ああ。」
愚直な返事の後に言葉は続かない。しばらく待ってはみたものの、アンスリウムの考えが変わらないことを察したシルビオが先に白旗を上げた。
「我々は異邦人捕縛の任務でこちらに来ました。私は副官のシルビオ、こちらが団長アンスリウムです。」
やはりそうだった。
ラウルは自分の体の中に緊張が張りつめるのを感じていた。
「呪い返しの地から異邦人が逃亡した件については御存じですか?」
「ええ、そこらじゅうで噂になっています。もう知らない人はいないんじゃないですか。」
棘のある言い方に、シルビオはあからさまに顔を顰める。
「だったら分かるでしょう。ここに異邦人が居たはずです。あなたは我々に異邦人の情報を秘匿している。これがどういう事か分かりますか?我々は今すぐにここで、あなたの首を刎ねることもできるのですよ。」
「自分たちの不始末を棚に上げて、こうも傲慢に振舞えるものですか!」
ラウルの思いがけない激昂に、シルビオは鼻白んだ。体の中に張りつめていた緊張や不安や戸惑いが、波のように溢れて、堰を越え、口からあふれ出る。
「そもそも、あんたらが悪いんだ!余所者には宿を用意できないって断れたのも、日が暮れはじめていたのに街を追い出されたのも、道に迷ったのも、森が暗かったのも、今俺がこんな気分なのも、もとはと言えばあんたらが異邦人を仕留めそこなったからじゃないか!わー!」
「泣き出した……。」
今まで叫んでいたかと思えば、突然泣き始めたラウルを前にしてシルビオは縋るようにアンスリウムを見た。助けを求める視線を受けて、アンスリウムはラウルに向かって一歩踏み出す。泣き崩れている彼の肩をなるべく優しく摩ると、ラウルが跳ね起きて彼の手を払いのけた。
「あなた達が異邦人をちゃんと殺していれば、俺はこんな思いをせずに済んだのに!知らなかった!異邦人が人の姿をしているだなんて!」
「異邦人を見たのか。黒髪で、中肉中背、成人前の、一見して平凡な少年だ。あなたは、異邦人を見たのだな。」
「この世に不幸をもたらす邪悪な存在だって、あなた方の王は言ったじゃないか!醜悪で、穢れていて、忌むべき災厄だって、そう言っていたのに!バケモノだと思っていた。知らなかった。知らなかったんだ……。普通の、頼りない男の子だなんて。」
迷って困っていた自分に、食料と水を分けてくれた。焚火を囲んで、歌を歌いながら三人で一晩を過ごした。自分の演奏を、目を輝かせて聞いてくれた。そして異邦人の末路を聞いた時、俯いて恐怖に耐えていた。ああ、こんなことなら。
「『栄光の騎士クリーデンス』なんて、選ぶんじゃなかった……。」
そうして今度は、声もなくハラハラと涙を流す。
きっと怖がらせた。きっと不安にさせた。どうしてもっと楽しい演目を選ばなかったのだろう。本当に俺は、今日はツイていない。初めて会った異邦人は、ちっとも怖くなかった。それがとても恐ろしい。
きっと二人は、もう戻って来ない。間違いなく俺を置いて逃げたのだ。卑怯者め。自分勝手で、臆病で、姿を偽るこの世の悪魔。ああ、腹立たしい。
一人の兵がアンスリウムに駆け寄ってくる。周りと揃いの甲冑を着こんで敬礼をした男は、団長に向いてこう言った。
「馬蹄の跡は西に向かって続いています。その先に人間の足跡と思われる痕跡も。今なら跡を辿って追うことも可能かと思われますが、どうされますか。」
「よし……今すぐ後を追うぞ。陣形を組め!」
「待ってください。」
水面を打つような声が兵士たちを制止した。屈強な鎧姿の男たちが一斉に声の方へと顔を向ける。その視線の集まる先、先ほどまで泣きわめいていた吟遊詩人は、嘘のように静かな声で、高らかに言う。
「俺も連れて行ってください。」
手に持った竪琴を背中の荷物に仕舞い、ズボンに着いた土を払う。足元に転がる薪を見つけて、ひとつ拾い上げた。彼と、彼を守る男が集めていた薪。焚火が一晩もつように十分すぎるくらいに用意されていた。
手の中の薪を、未だ燃えている焚火の中に放り込んだ。炎は木をあっという間に覆い尽くして、更に勢いを増して燃え盛る。パチパチと、爆ぜる音が辺りに響く。
もうすぐ日が昇ろうとしていた。




