騎士クリーデンス-2
見かねたクレイが荷物の中から携帯食料と水を渡すと、吟遊詩人は嬉しそうにそれを受け取り、意外にも大切そうに少しずつ食べ始めた。
情緒不安定だなぁと、失礼な事を考えながら海良は彼を観察する。焚火の明かりがあるところで見て初めて、彼が年若い男だというのが分かる。帽子があるせいで初め顔を合わせた時には気が付かなかったが、飼い犬のような人懐っこさを備えた、人好きのする容姿だ。そして、遠目から炎を確認するほど察しがよかったにも関わらず、ここから見える民家の明かりには未だ気がつかないという間抜けっぷり。
おそらく、いい人だろう。
海良は結論付ける。なんとなく、害のなさそうな人だ。
じっと見つめる海良に気づいた吟遊詩人は、食べ物に釘付けになっていた視線を上げ、海良の顔を見つめ返す。そうしてしばらく何か考えたあと、一人で納得したように頷いた。
「お礼に一曲歌います。」
「唐突だな。」
「こら真、失礼だよ。」
「いえいえ、一宿一飯の恩義というではないですか。泊ってはいませんけども。ですが金銭も食料もないこの身、お礼に提供できるのはこの歌声と……。」
言葉を切って、吟遊詩人は背に背負っていた荷物の中から、その腕に収まるくらいの小さな竪琴を取り出して掲げた。
「この音色くらいのものですとも。」
爪弾く音階が辺りに響き、暗く日の落ちた森が一瞬にして華やかさを纏う。夜の帳は洗練された舞台背景に、焚火は情緒あふれる照明へと早変わりする。雨音のように転がるリズムに海良は目を輝かせた。
「さあさあ、何にしましょうかね。『蔦王の悪魔狩り』?『花の名を持つ戦乙女』?『雲浮かぶ賢者の都』もわくわくして良いですね。でも……、そうだな。今一番この場に相応しいのは……これかな?」
ぽろぽろと、跳ねる雨粒のように弾んでいた竪琴の音が次第に荘厳みを帯び始め、雲の晴れ間から降る光のように、春の日に注ぐ日差しのように、眩さを奏でだした。
「『栄光の騎士クリーデンス』。美しくも悲しい、異形との恋物語です。」
その瞳は春陽に透いた琥珀。
その髪は秋の日に照りかえる稲穂。
眼差しは烈日の如く。紺碧の鎧に身を包み、聖剣を振るう栄光の騎士。
名はクリーデンス。
聞いたことのある名前だ、と海良は思った。誰から聞いたのか、どこで聞いたのか、何も思い出せないが、どうしてか自分はその騎士を知っている。
歌は続く。
王は言った。
呪い返しに赴いて、かの異邦人を捕えろと。
王は言った。
決してこの地を踏ませるな。
捕えた災いはその場で首を落としてよい。
騎士はその命を賜って早馬を駆けさせた。
黄金華やぐ王都を出て、亡霊彷徨う東の地まで。
かつて東の塔と呼ばれ英知を極めた賢者の都は、今は荒れ果ててその面影は見られない。長い間騎士として務めてきたが、噂でこそ聞いたことはあれ、実際に訪れるのは初めてだ。クリーデンスは愛馬から降りると、手近な瓦礫へと腰を落とした。
青空が晴れ渡り、とてもじゃないが天変地異が起こるような様子はない。教会が残した予言によれば、あともう少しで目の前に異邦人が現れるはずだが、にわかには信じられない。クリーデンスはしばらくぼうっと、風が吹くのを眺めていた。
それから、どれくらい経っただろうか。
何の前触れもなく、塔の残骸にその人はいた。
クリーデンスが初めて会った異邦人は、初夏の薫風のような人だった。
彼は甘やかなブラウンの髪をそよがせて、見覚えのない風景に目を瞬かせていた。
初めて見る異邦人の姿は、クリーデンスに衝撃を与えた。伝承に聞く異邦人という存在は、もっとおどろおどろしくて、嫌悪感を覚えるものだった。しかし、目の前の異邦人はどうだ。まるで、普通の人間ではないか。自分たちと同じ人の形をして、自分の境遇に狼狽している。背格好だけでいえば、随分と若く、頼りなく見えた。
彼の首を落とす。
クリーデンスは王より授けられた聖剣を構え、力を込めた。地面を踏みしめると、足元の砂利が鳴った。その微かな音に異邦人はピクリと顔を上げる。そして、剣を振り上げて自身へと迫るクリーデンスを認めると、安心したようにフワリと笑った。
良かったぁ。人がいた。
その言葉を聞いた時、クリーデンスはもう、刃を振るう事はできなくなっていた。
「もうやめてくれ。」
だんだんと乗ってきた吟遊詩人を止めたのは、クレイだった。不愉快そうに瞳を閉じて腕を組んでいる彼は、思わず演奏を止めて黙り込んでしまった吟遊詩人に向けてもう一言「もうたくさんだよ。」と続けた。
「そうですね、私が不謹慎でした。異邦人が逃亡したという噂が出回っているのに、クリーデンス卿の歌なんて。ご気分を害してしまって申し訳ない。こんなんじゃ、お礼になんてならないな……。」
しょんぼりと肩を落とした吟遊詩人が、手慰みに竪琴を触る。空気はすっかりと萎んでしまい、暗闇が押し寄せてくるような圧迫感が戻ってきた。
「でも、すごく上手だった。俺は好きだったよ、あんたの歌。」
そう海良が声をかけると吟遊詩人は手を止めて、海良の方を見て少し笑った。
「光栄です。」
実際、吟遊詩人の歌は聞き惚れるほどのものだった。高らかに伸びる声は清々しく響き渡り、海良の心を逸らせた。夜通し聞ければどれだけ楽しいだろうか。そう考えてしまうほどに素晴らしい演奏だったが、しかしその一方で海良の頭の片隅にずっと付き纏っている不安が首をもたげる。
歌い始める前に、彼はこの歌を異形と騎士の悲恋だと言った。東の塔に降り立った異形は、おそらく自分と同じ異邦人のことだろう。異邦人と、クリーデンスという名前の騎士。その彼らの結末を、何故か自分は知っている。
項垂れるクレイの姿を視界の隅に置きながら、それでも海良は話を続けた。
「恋物語って言ってたけど、そのクリーデンスっていう騎士は、その後どうなるんだ?」
何気ない風を装ったその問いに、吟遊詩人は気負いなく応える。
「騎士クリーデンスをご存じないんですか?ははぁ、じゃあこれが実話だということもご存じでない?彼はその後、異邦人と恋に落ちて駆け落ちしようとするのですが、異邦人が王の説得をしたいと言い出して、二人で王都へと向かうのですよ。そして王の間にて異邦人は捕らわれて、クリーデンスの目の前で衛兵に首を落とされます。」
「目の前で……首を……。」
「そう。それが原因で、騎士クリーデンスは狂ってしまったそうです。それ以来、彼の姿を見た者はおらず、噂では王宮の一室に幽閉されているのだとか。」
荘厳な謁見の間に敷き詰められたベルベットの絨毯。柔らかなそれに膝をつき、後ろ手に押さえつけられながらも、前を見る瞳。その光景はまるで見てきたかのように、海良の目の前に広がる。冷たい瞳。鋭い音。一瞬だけ鼻につく鉄錆の匂い。
思わず口元に手をやった真を見て、吟遊詩人は慌てた。
「ああ、私はまた……。すみません、この話はもうやめましょう。いくら異邦人とはいえ、処刑の話は気分のいいものではなかったですよね。お礼のお詫びのお詫びに、もっと楽しい曲をやります。ええと、何がいいかな。」
「異邦人は王城で首を落とされたのか?」
彼の話を遮って、海良は問う。隣で鋭く「真。」と諌める声がした。
「ええ、王のご命令で。」
あっけらかんと吟遊詩人は答えた。




