西へ-4
ロゼアに揺られながら、クレイに背中を預けながら、海良はぼうっと空を見上げる。先 どまではちらほらと見えていた家や店もなくなり、痛んだ道の先には再び生い茂る並木が続いていた。街から外に出るのは意外にも簡単だった。街の人たちはみんな、外から入って来る見知らぬ者を警戒するばかりで、街から外に出て行く者に関しては無関心だったからだ。そうして二人は街を抜けて、西へと再び進路を取った。
昼ごはん食べ損ねたな。
ようやくひと心地ついたら、そんなことを思い出した。
街に立ち寄ったのは一瞬だったのに、あまりにも色々な事が起こり過ぎて、今の今まであの街に行った目的をすっかり忘れていた。
腹に手を当ててみるが、どうにも空腹感はない。
その代わり、ぐるぐると暗い思いが渦巻いて、ずっしりと海良の腹の中に横たわっていた。
ずっと、あの街を出てからずっと考えていた。
異世界に来てから2日経つが、自分はこの世界を何も知らない。ロゼアに乗っていれば、勝手に前に進む。クレイに身を預けていれば、落ちることはない。そもそも、ロゼアにだってクレイに乗せてもらわないと、自分では跨ることすら困難だし、食べ物も自分では調達できないし、食べ物の好みを伝えることすらできなかった。
自分がなんという名の道を通ってきて、今ここがなんという名前の場所なのかも知らず、ロータスという場所も、そこで何があったのかも、あの人がなぜ空虚なのかも、先ほどの街の名前も何も分からない。
それはおかしいんじゃないか。
だから、海良はひとつ決意する。
「クレイ、頼みごとがあるんだ。」
自分の初めての試みすら、まずクレイに手伝ってもらわないと実行できないのだと思うと情けなくはあるが、それでも海良は彼に頼まなければいけなかった。
「クレイは前に、俺が東の塔で魔術砲っていうのを弾いたって教えてくれただろう。あの時、砲撃した連中は戸惑っているように見えた。だから、もしかしたら俺にも何かできることがあるんじゃないかって思って。クレイ、頼むよ。俺に何か使える力があるなら、使い方を教えて欲しい。」
返事はすぐには返ってこなかった。ロゼアが歩む単調な足音だけが、あたりに響く。背中には自分を守ると誓ってくれた彼の温度を感じるのに、一向に返答がない。クレイの表情を振り仰ぐのも怖くて、海良はじっと前方を見つめていた。
「……君は何もしなくていいんだ。」
それは、海良にとって予想外だった。
自分が頼めば、クレイはきっと意を汲んでくれるだろうと勝手に思い込んでいた。しかし、実際に彼が選んだのは遠回しの否定で、その響きは余りにも悲哀に満ちていた。
「心配しないで。君は俺がこの命に代えても必ず守るよ。だから、君が憂うことは何もない。その力を使う局面は絶対にやってこない。だから、君は何もしなくていいんだよ。」
「クレイが俺を守ってくれるのは、嬉しいよ。でも、俺もちゃんとこの世界のことを知りたいって、さっきの街で思った。クレイに守ってもらうだけじゃなくて、自分で自分の身を守る方法を覚えて、この世界のことをちゃんと見て回りたいと思ったんだ。ずっとクレイに引っ付いているわけにもいかないだろ。」
「ずっと一緒にいればいい……!」
慟哭のような訴えに、海良の心臓はドキリと跳ね上がる。この姿も、今まで見たことのないクレイだ。優しげな彼でも、強い彼でも、悲しむ彼でもない。ただただ、迷子になった子供のように、小さくて頼りがない彼。
「もう俺を置いて行かないでくれ……。頼むよ。」
その言いようは、まるで以前に海良が彼を置いてきぼりにしたようで、微かな違和感が海良の皮膚を撫でる。出会った時から、クレイは度々こういう言い回しをする。昔から海良を知っている素振りだったり、この旅路が二度目かのような態度を取ることがある。
「君が大切なんだ。本当に。」
後ろからそっと抱きしめてくる感触に、海良は意を決して彼を見上げた。ピタリと視線が絡み合う。切なそうに歪められる瞳を覗き込みながら、琥珀色の瞳が美しいと、海良は思った。
クレイの腕はやっぱり暖かくて、とても心地良い。
「守ってくれるのも、大切にしてくれるのも、嬉しいよ。ありがとうって思ってる。だから……、うん。」
自分に向けられた好意と庇護は、出会った時よりも強く感じるようになった。彼は本当に海良を大切にしてくれて、傷つけられたら自分事のように心を痛めてくれる。だから海良は、そんな優しい人を、もうあまり悲しませたくないと思ってしまった。
「分かった。その代り、俺の身はクレイに任せるからな。」
ふわりとクレイの雰囲気が緩む。大切に抱き寄せる仕草は春風にも似て、願いを諦めた海良を労わるように柔らかだった。だから、海良は腕の中で少し身を捩って抗議する。
「それやめろよ、恥ずかしいんだって!なんか、その、やだ。」
「真、耳が真っ赤。」
「そういうのもやめて!」
「どうして?ずっとこの体勢できたんだから、今更じゃないか。それに俺は、真と一緒にこうしてるの、好きだよ。」
「だから、そういうの!そういうのが恥ずかしいって言ってるだろ!」
クレイがクスクスと笑う。あまりに嬉しそうにするので、海良は口を歪めてそっぽを向いた。それからしばらく海良は口をきこうとしなかったが、クレイは始終楽しそうで、軽やかにロゼアに跨っていた。
すっかりとり逃した昼食は、クレイが持っていた食糧で空腹をしのいだ。それを口にする頃には海良の機嫌は多少回復していて、和気あいあいとはいかなかったけれども、それでもいくらか良い雰囲気で前に進む。二人が進む道は、おそらく旅人が頻繁に通る道なのだろう。不格好ながらも整備されていて、うっそうと茂った木々に取り囲まれていても、道を見失うことはなかった。そうして次の街が近づいてきた頃、突然クレイが言った。
「申し訳ないんだけれど、次の街には入れない。街の近くの森で、比較的なだらかな場所を探して野営することにしよう。」
その提案に、海良は心当たりがあった。
「さっきの街に、もう異邦人の情報が伝わってたもんな。」
「そう。他の街も同じ状況だと考えた方がいい。きっと門前で自警団が街に入って来る人を一人ずつチェックしているだろうから、近づくのは危険だ。」
「そういえば、俺ってひと目見て異邦人ってバレたりするもん?」
問いかけに、クレイはしばらく考え込む。そして、首を横に振った。
「異邦人とこちらの人間に、明確な見た目の差異は無いんだ。だから、真を見て異邦人だと断定できる人間はいないだろうね。けれど、身分証明ができるものや、例えば関の通行書なんかを持たずに旅をしているのが分かれば、人々は君を疑い始める。それこそ、さっきの街のように。」
「なるほど。異邦人じゃなくて、怪しい奴全員を捕まえちゃうわけか。」
「それに加えて、万が一、東の塔にいた連中が人相書きを持って来ていたり、もしくは実際に彼らが街にいた場合は、ほぼ確実に特定されてしまうからね。どっちにしても、人がコミュニティを築いている場所には近づかない方が得策だ。」
「分かった。野宿でも俺は平気だよ。クレイには苦労かけることになって申し訳ないけど。」
「それこそ、大した問題じゃない。真と共に野営するだなんて、恋人とピクニックに行っているようなものさ。」
「言い方……。」
鼻歌でも歌いだすのではないかというくらい、クレイの機嫌は良かった。
海良が彼の提案を受け入れ、身を任せてくれたことが嬉しいのだというのが伝わってくる。そんな彼の様子を見ていると、これで良かったのかもしれないと、海良もまた少し心が軽くなるのを感じていた。




