81.誓いの夜
「はぁ……何とか逃げ延びることができたな……」
『やはりあの女は危険だ。何を考えているか分からん』
というわけで元の場所に戻ってきた。
グランもマジックボックスの中から解放すると、ロゼッタのことを危険人物だとしきりに言い始めた。
「まぁ、確かにロゼッタの料理は壊滅的だからな。何となく嫌な予感はしていたから逃げられたものの……」
俺が苦手だと言ったもう一つの理由。
それは前に食べた彼女の料理で死にかけたこと。
もう3年くらい前になるが、あの味はもうトラウマになるレベル。
料理にあのマッドな性格がにじみ出たような味で、俺の舌は一瞬にして崩壊させられた。
で、それに対してグランはロゼッタの研究室で聖威剣の研究と題して分解されそうになるという苦行を味わった。
お互い、ロゼッタにはあまりいい思い出がないのである。
『できることならもう二度と会いたくないものだ』
「ははは……」
料理さえ食わされなければ俺は別に問題はない。
が、グランはもう御免と言わんばかりに不満を漏らしていた。
「でも、欲しい物は手に入った。やっぱり魔法の知識に関しては流石だな」
『魔法だけはな……』
そんな会話をしつつ、俺たちはベースキャンプへと戻る。
と、その時。
ベースキャンプの端にあるベンチにぼんやりと座る人物が一人。
ただ一点を見つめ、ぼーっとしている者がいた。
「あれはリーフ……か?」
少しずつ近づいていき、声をかけてみる。
「こんなところで何をしているんだ?」
「……あ、しーちゃん」
向こうも気づき、俺の方を向く。
「どこ行ってたの? ちょっとの間、姿が見えてなかったけど……」
「まぁ、ちょっとな」
そう言いながら、俺はリーフレットの隣に腰をかける。
「それよりも、どうしたんだ? こんなところで黄昏ていて」
「うん……色々と思うことがあって。少し考えごとをしていたんだ」
「考え事か……」
確かにさっきも何かずっと考えているような素振りをしていた。
不安そう……というか、如何にも何かあるって感じの雰囲気だった。
「何か悩みでもあるのか? よければ相談に乗るぞ」
俺は隣で俯く彼女に一声かける。
明日はいよいよ峡谷へと出発する。
悩みがあるのが悪いというわけではないが、不安要素を持ち込むのは身の危険を伴う。
大きなことをする前には極力、障害となることは無くすことが理想的だ。
それに、解決までは行かなくてもヒントくらいは出せるかもしれないしな。
「い、いいの……?」
「もちろん。俺とお前の仲じゃないか。それに……」
「それに……?」
「お、お前がそんな顔するとこっちも不安になるっていうか……」
少し恥ずかしながらも小声で。
でも本当にそうなんだから仕方ない。
よく分からないけどしょんぼりとしたリーフを見ていると、そう思うんだ。
リーフレットはそれを聞くとぽーっと頬を真っ赤に染める。
そしてすぐに俺から目線を反らすと、小声で、
「あ、ありがと。しーちゃん」
そう一言。
なんか分からないけど、すごく可愛かったので動揺してしまう。
「べ、別にお礼を言われるほどじゃないって。それよりも、悩みってなんだ?」
「うん……あのね」
話を本題へと戻し、俺は彼女の悩みを淡々と聞いた。
「……なるほど、自分に自信がないってとこか?」
「自信がないっていうか、自分の実力が通用するのか不安なの」
「前のゴルドの時から……だな?」
「うん……」
暗い表情でリーフレットはそう話す。
彼女は前のゴルドの一件で魔人というのが如何なる存在かを痛感したらしい。
自分の力が、剣が通用しなかったことによって生まれた不安が、彼女の心を陥れていた。
「今回も裏では魔人が関与しているんだよね?」
「ああ、らしいな」
ドラゴンたちの背景に潜む魔人の存在。
魔王軍の仕業とあっては恐らくゴルドと同等かそれ以上の力を持った輩がいるということ。
「怖いの……また自分の信じてきた力が、砕かれるんじゃないかって」
「リーフ……」
その顔はかつて俺の後ろでビクビクと身体を振るわせていた時と似た表情だった。
今にも泣きだしそうな顔で、あの頃のリーフが前面に出てくる。
俺はその顔を見た途端、すぐに彼女の手に自分の手をそっと被せた。
「し、しーちゃん……?」
いきなりのことで驚くリーフレット。
俺もなんでこんな行動に出たのか分からなかった。
気がつけば反射的に身体が動いていた。
「あ、あの……その……」
言葉よりも先に行動が出てしまったためか、詰まってしまう。
(お、落ち着けオレ! とりあえず冷静になるんだ!)
俺は一旦息を整え、深呼吸する。
そして心が落ち着いた所で、再び口を開いた。
「リーフ、俺の話を聞いてくれ」
「……」
俺がそういうと、リーフレットはゆっくりと顔をこっちに向ける。
目元にはもう今にも垂れそうなほどの大粒の涙が浮かんでいた。
俺は添えた手に力を入れると、そっと彼女の手を包み込んだ。
「確かにあの時はそうだったかもしれない。でもあんまり自分を責めるな。リーフは十分強い。それは俺が――」
「でも、あの時のわたしは何の役にも立てなかった。勇者として、みんなを守らないといけないのに……何もできなかった」
リーフレットは俺の言葉を遮ると、そう言った。
俺はその姿を横目で見ながら、
「……それが、悔しかったんだな?」
「……」
無言で頷くリーフレット。
彼女の頬には一滴の涙が滴っていた。
俺はギュッと拳を握り、震える彼女の手に触れる。
「なら……まだ伸びしろはあるな」
「……え?」
滴る涙が光る顔を彼女はこっちに向ける。
俺は彼女の目に視線を合わせると、続けた。
「”悔しい”。この言葉は人を強くする魔法の言葉だ。俺もこの想いを重ねていくことで今の自分がある」
「想いを……重ねる?」
「そう。何度も失敗して、それでも自分の持つ力を信じてまた立ち上がって。この繰り返しが人をより強くする。悔しいと思えることこそが次のステップに繋がる布石になるんだ」
「ふせ……き……」
こういうことを言っていると昔を思い出す。
剣の実力がまだまだだった頃の自分を。
「だから、自分を責めるな。自分の信じる力を最後まで信じきろ。敵わなかったのなら、次はどうすれば通用するかを考えるんだ。その一つ一つの積み重ねが、自分をより強くするんだ」
「しーちゃん……」
「挫折を経験しない人間なんて滅多にいない。誰もが一度は直面し、苦悩する時が来る。でもその苦悩こそが強さを引き出すヒントになるんだ。今のリーフはちょうどその境目、強くなるために一歩踏み出せるか踏み出せないかの瀬戸際にいる」
「そ、そう……なの?」
「ああ、そうさ。それに――」
俺はここで一旦間を空ける。
そして相も変わらず硬い笑顔で、また続けた。
「今回は俺が傍についている。たとえ歯が立たなくても、リーフのことは俺が絶対に守る。だから思う存分に戦え。そして沢山失敗するんだ。自分の信じる力を……全てが終わるその時まで貫き通せ!」
「……ッ!」
リーフレットの表情が変わった。
その眼にはもう涙はなく、頬を伝っていた涙も既に枯れていた。
リーフレットは俺の目を見ると、ニッコリと笑いながら――ぎゅっと俺を身体を包み込んできた。
「ちょっ……!? リーフ!?」
いきなりのことでつい声が裏返ってしまう。
動揺する俺にリーフレットは、
「ごめん、しーちゃん。今は少しだけ……こうさせて」
「り、リーフ……」
行動と同時に小声で言ってくる。
んなこと言われてもなぁ……。
(全然落ち着かないんだが……)
それに、なんか色々と柔らかいところが直に肌へと伝播し……
(って……! 何考えてんだ俺は!)
平常心だ。こういう時こそ冷静さを欠いてはいけない。
とにかく深呼吸して、精神統一を――
「しーちゃん」
「は、はい!?」
色々と脳内で考え込む中、リーフレットの声が介入。
おかげでまたも変な声が出てしまった。
だがリーフは俺にぎゅっとしがみつきながら、小声で、
「……ありがとう、励ましてくれて」
そう言った。
俺はそんな彼女の頭にそっと手を乗せると、
「……気にするな。困った時はいつでも頼ってくれ」
俺も小さな声でそう一言。
「うん……!」
リーフレットも小さく頷く。
そしてまた、顔を上げると、いつもの可愛らしい笑顔が戻っていた。
「でも、しーちゃんもこの前みたいに無理はしちゃだめだよ?」
この前というのがゴルドとの戦闘の後のこと。
情けないことにその後丸一日寝ることになった話だ。
「分かってる。今度は大丈夫さ」
「ホント?」
「ホントだとも」
「じゃあ、約束して」
「え……?」
リーフレットはそういうと小指を俺の前に差し出してくる。
「……指切り」
「ああ、そういうことか」
俺も小指を差し出し、ゆびきりげんまんを。
「これで、よし! もう誓ったからね? 撤回はだめだよ?」
「分かってるよ」
俺がそう返答するとリーフレットはニッコリと微笑んだ。
「しーちゃん。明日、頑張ろうね!」
「……おう! 頑張ろうな!」
月の光が照らす深い夜で。
二人は誓いを交わすと、明日の出発に備えるのであった。




