56部
「失礼します。」
男が慌てて入ってきた。宮内庁の一室で職務に当たっていた羽柴は顔を上げて、
「どうしました?」
「信濃筋から連絡が来ました。
北条総理が政権を皇室に返そうと考えているということです。」
「新時代の大政奉還ってことですか…………」
「そんな悠長な事を言ってる場合じゃないですよ。
政権が皇室に戻るとなれば色々と大変な訳ですし、象徴天皇制の現在の皇室に政治能力はありませんよ。」
「誰かもわからない政治家よりも国民に慕われていることは間違いありませんけどね。
親和を図る外交なら皇室の方々の方が上手いと思いますが、国内情勢の舵きりは今の皇室には難しいかもしれませんね。」
「皇室に政治力をつけてからの政権返還ということでしょうか?」
「そんなに時間はかかりません。
都市伝説的な噂ですが、この国には『消された宮家』があり、その一族によって影から日本は操られていたというものがあります。」
男は焦りながら、羽柴に
「噂……………ですよね?」
「日本の歴史は勝者によって紡がれる。
戦後の歴史は敗者の側から語られている事が多い。
これはつまり、表の皇室が負けた事を主張する者達によって歴史が作られた可能性があるということです。
噂だと考えればそれまでの事。
真実かもしれないと疑い出せば切りがないほどの事象の数々。
信じるかどうかも人それぞれでしょう。」
「ですが、そんなものが存在したとして、いつから存在するんですか?」
「一説には江戸の頃から、違う説では神武天皇を決めるときからとされる説もあります。
噂ですから不確定な情報ばかりでどれが本物かを決めることは意味を持たないでしょう。」
「初代天皇の時から続く宮家ですか…………」
男がその歴史の長さに言葉を失っていると羽柴が
「最も有力な説は江戸から明治に変わるときだったとする説です。
宮内庁の発表している皇室家系図はある時から兄弟の名前を書かずに皇位継承者と必要な人物以外は記されなくなっています。
121代孝明天皇から122代明治天皇になるまでに起こったとある陰謀によって、消された宮家があったと言いますよ。」
「そ、その陰謀とは?」
「明治天皇にはお兄さんがいた。
皇位継承順で言えば、そのお兄さんが明治天皇になるはずだったが、優秀で政治力、人望そして武芸にも秀でたその人物が天皇になれば、政治を自分達の思うがままにしようとしていた長州、薩摩、土佐の者達によって、皇位継承権を剥奪され、隠居させられたというものです。」
「じ、実在する話なんですか?宮内庁にもそんな記録はありませんよ?」
「当然です。記録をとる時代でもなかったですし、本当にそんな人物がいたのかどうかも怪しい話ですから。
ただ、神格化されていた当時の皇室には隠された謎の一つや二つあってもおかしくはありませんよ。」
男はホッとしたように胸を撫で下ろして、
「そ、そうですよね、実際にはない話ですよね。」
「でも、そうとも言いきれないですよ。
その宮家の現在の当主が御前様であるとしたなら、あの方の『王になる』という発言が意味するところが明確になります。」
「その宮家の名前は何て言うんですか?」
「成の宮ですよ。」
羽柴はそう言って困ったように笑った。




