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前編

作者が短歌をたくさん作っていた頃に書いた話です。


お気楽に読み流してください。

 幹生(みきお)は五月の午後の容赦ないガラスの照り返しに目を細めた。

「何故来てしまったんだろう」


 神代(じんだい)植物公園大温室。新装成った機能的な化け物は美しくもあるが違和感もある。季節の移ろいを詠み取ろうとする短歌歌人の自分には相容れないものだ。

「何故わざわざ加温して花を咲かせなければならない? それは彼女も同じだろうに」

 そう思いながら足を踏み入れた。自動ドアの中はムッと湿り気が肌に絡みついてくる。

 

 約束の時間までまだ間がある。幹生は見慣れない植物の間をぶらぶらした。

 彼女、「(あき)()」と名乗る歌人(かじん)は自分が主宰する短歌サイトのメンバーだ。オフ会と言うのか、変な場所、変な時間に呼び出されたものだ。

 

 ネットの世界はやっかいだと思う。詠まれる短歌からその人となりを判った気になっているだけで、今すれ違ってもお互い気付かない。幹生が目印の短歌雑誌を鞄から出すまでは。

 

 出版社に知人があって、祖母の看病の合間に作っていた短歌を取りまとめた。

 (たちばな)幹生(かんしょう)の名前で出したその歌集は、何か人の心に訴えかけるものがあったのだろう、ある程度の知名度を得た。

 今では、祖母から相続した和建築の自宅座敷を使って、短歌会を開いている。

 歴史的に「結社」と呼ばれ、どうも敷居の高い短歌の世界をもっと身近に、というコンセプトが受けたようだ。三十代半ばにして「先生」の立場になってしまい、幸いにも会員数は定着している。

 

 同人誌の販売数を増やそうとの下心もあったのだが、短歌投稿サイトを始めた。

 本名を隠し一投稿者として、幹生(かんしょう)先生監修の短歌ネットに技巧に走らない歌を上げる。そんなことをして遊んでいる内にユーザー登録は三千人に達した。歌が歌を呼び、今ではSNSの一種のような交流の場になっている。


 まだ浅い春だった、あの歌を上げたのは。庭の椿が綺麗で、オペラ「椿姫」を思い出していた。「赤は会えない、白は会えるしるし」だったか、どっちにせよ自分はひとりだと自嘲的に、軽い気持ちで作った歌。

 

  狭庭(さにわ)には真白(ましろ)(べに)に咲き競う椿あれども()うひともなし

 

 翌朝、次から次へ上がってくる歌の間に思い出したように、

 

  身を削るパリの喧騒あとにして腕に憩えよ(わくら)()椿(つばき)

  

 という短歌のような呟きのような投稿を見た。ほんのりとオペラのストーリーをなぞっている。

 

 興味を持ってその歌人のプロフィール欄を開いた。英国在住の同世代の女性、イギリス人と結婚している。周囲に日本語を話す相手がいないので短歌を作っているという。

 短歌を作る人種というのはもっと生真面目に三十一(みそひと)文字(もじ)に向かっていると思っていた。


「お気楽だ、バカにしているのか?」

 そう思って彼女の過去首一覧を遡った。驚いた。多重人格かと思わせるほど作風がまちまちだ。漢字だらけの歌、古語調、最近の若者言葉を散りばめたもの、てんで統一性がない。

 しかし、幹生の歌に、ふと返歌(へんか)らしきものが上がる。連歌(れんが)ほどあからさまではない。(くつ)(かむり)ほど技巧的でない、ただ微かに幹生の思考をなぞる。

 

 その後すぐだった、サイトに特定の歌人を誹謗する歌が上がった。それを非難する者、援護する者に分かれてサイトが荒れた。責任者としてケンカ両成敗、関係者の歌を軒並み削除せざるを得なかった。それを不服と去っていった仲の良かった名歌人もいた。弱音を吐いてしまった。

 

  傲慢と(あと)(ずな)かけて去るひとに偏見だよと僕だと告げたい

  

 それに対して

 

  情報の足らない土俵の偏見は高慢ちきと予断こそすれ

  

 即座にジェーン・オースティンを思った。「傲慢じゃないわ、高慢ちきよ」と笑ってくれたような。そして間髪入れず

 

  行き場ない他人地獄の一歩先 身体は分かつ 人の痛みを

  

 パソ画面に見入ってしまった。

 ――フランス現象学哲学? それとも、他人が殴られるのをみてこっちが痛みを感じるような伝心?

 見事に慰められてしまった。

 

 「主宰者が特定の歌人に肩入れしてはいけない」と思いながら幹生は、秋陽の歌がサイトに上がるのを待つようになった。そして今、本人を待っている。

 

 額に汗が浮かぶ。

 ――待ち合わせなら外の薫風の中、バラ園の方がよくはないか?

 

 幹生はまだ躊躇っている。一カ月余り、秋陽の返事は途絶えていた。そして先週突然アップされたのが、

 

  ちはやぶる神代(かみよ)(その)玻璃(ガラス)(ばこ)訪ね来られよ五月尽(さつきじん)の日

  

 コメント欄に「十三時ごろ短歌雑誌を手に」と、それだけ。

 

 ――歌のやりとりが普通に続いていたら来なかっただろう。指定された場所に思い至らなければ、東京の反対側だったら……

 

 幹生は言い訳を続ける自分に嫌気を感じた。

 出よう。暑い。会う必要もない。短歌雑誌を見せなければ会いに来たことにならない。時計は午後一時十二分を指している。

 

 思いに沈んで歩いていたから一瞬出口がどちらかわからなかった。きょろきょろしてしまった。背中に声がした。

(しのぶ)さんじゃありませんか?」

 忍はサイト上での幹生(みきお)の歌人名だ。人違いですと言えばいい。何のことですかと問えばいい。それなのに振り返れなかった。不自然な間があいた。きっと肩は強張っている。

 ――観念しよう。


後編に続きます。


全部で5500字くらいです。

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