前編
TS、下ネタ注意
私はユリエル・ミラー、二十一歳、職業、騎士。そこそこ貧乏な男爵家に生まれた三男坊である。
幼いころから、ほどほどに体を動かすことが好きだった私は、二番目の兄の後を追うように騎士を養成する寄宿学校に入った。そこでまずまずの成績を残し従騎士になる。そして一年程前、栄えある騎士となり、今は公爵家に仕えている。ごくごく普通のしがない貴族だ。ただ一つの秘密を除いて……
実は、私には前世の記憶がある。
ユリエル・ミラーとして生を受けるその前、私は日本という国の女子高生だった。
ある日、いつも通り登校しようとして、交差点で前方不注意のトラックに轢かれたのだ。そこで前世の記憶はプチリと途切れ、次に気が付いた時には股間にあるはずのないモノが付いていた。
といっても幼い頃から前世の記憶があったわけではない。
前世の記憶が戻った時、私は十二歳で、寄宿舎に入ったばかりだった。前世の記憶を取り戻すに至った、これといったきっかけはなかったように思う。頭をぶつけたわけでも高熱をだしたわけでもない。ただ唐突に思い出したのだ。
……せめて、せめて、入学前に記憶が戻っていれば、間違っても男の園である寄宿舎などには入らなかったというのに。
でもまあ、違和感を抱えながらも生きてきた十二年の歳月と、否応なしに鍛えられた寄宿舎時代のおかげで、今では立派に男として生活している。可愛い彼女も出来て、騎士としても順調。まさに順風満帆な人生である。
なんてことを夢見ていた時がありました。
努力はした。どう逆立ちしたって今の自分は男で、この世界に性転換手術なんてありはしないんだから、前世とはきれいすっぱり縁を切って生きていこうと。
でもね、無理でした。記憶が戻るまでの今生の十二年間がなんだったんだと思うぐらい、前世の意識が勝った。
今でもトイレにいくたび、なんとも言えない気持ちになるし、ピーしてた朝なんて、泣きたくなる。水浴びだって一人でこそこそ済ませる始末。彼女なんてどう転んでも無理だ。
それならばと一念発起し、前世の知識を生かして成り上がり、名誉も人望も富も欲しいまま――
なんてことを妄想していた時期もありました。
試してはみた。そろばんを自作して売り込んでみたり、日本料理もどきを作ってみたり、生水はよくないので煮沸するようにと進言してみたり。
ええ、どれも空振りに終わりました。私が生きていた頃の日本と比べる事は出来ないけれど、独自に発達した文化がここにはあった。そろばんとは違った便利な簡易計算器具があり、地域に根付いて育まれた食文化があり、どんな水も一瞬にして安全な清水に代えることができる不思議な技術が存在した。
何か一つでも役立つ知識は持ち合わせていないかと、あれこれと模索しているうちに、かわいそうな子を見る目でみられつつあることに気付き慌ててやめた。
そんなわけで、前世の記憶は今や私にとって重荷以外の何ものでもないのである。
「はあー……」
私の一日は重い溜息から始まる。
ここは公爵家の食堂。朝食のこの時間、騎士から侍従、召使いまで公爵家に雇われている大勢の人間で溢れかえっている。
そんな食堂の隅っこでフランスパンのような固いパンをスープに浸して食べながら、今日も今日とてながーく息を吐き出した。
ああ、憂鬱だ。
別に騎士としての仕事に不満があるわけではない。前世でも今生でも体を動かすのは割と好きなほうだ。鍛錬や立ちっぱなしの警護は苦にならない。
何代にもわたって賢王が続いているせいで、かれこれ百年は平和の中に在る国で、相手にするのはせいぜい街のごろつき程度だし。
威嚇程度に人を切った事はあるけれど、命を奪ったことはない。先輩もそのまた先輩も実戦経験は似たようなものだから、「最近の若い者は」「俺の若い頃は」などと言った説教交じりの武勇伝を聞かされることもない。騎士といっても、なんともぬるいものである。
なのに高給取りで名誉ある花形職。繰り返し言うが、騎士としての職務には全く不満はない。
「よっ、ユリエル。今日もしけた面してんなあ。そんなだからいつまでたっても童貞なんだぞ」
赤い髪の騎士がぽんと肩を叩いて隣の席に腰をおろす。
「次の非番こそ絶対連れてくからな。白薔薇館! エリザお姉さまに任せりゃなんも怖くないから。ちゃんと俺が話を通しといてやったしな!」
反対隣りには紫紺の瞳の騎士が座り、
「あ、お前。さては今年中のユリエルの脱童貞にかけやがったな? 娼館に引きずっていくのはルール違反だろ。自発的にいくならともかく」
正面にはくるくるカールの金髪の男。
不満があるのはこいつらだ。
同じく公爵家に仕える騎士たちは、こぞって仲が良い。そのせいで、良く言えばくったくがなく、悪く言えば遠慮がないのである。加えて、厳しい寄宿舎時代に抑圧された性は、騎士になったと同時に花開く。開きまくる。おかげで寄ると触るとエロ談議、Y談、下ネタばかり。
そんな性欲全開な騎士の中にあって、女性に興味を持てない私を、心配半分、面白半分、あれこれと世話を焼こうとするのだ。
私は三人の騎士を睨みつけると、残りのスープを流し込むように食べて無言で席を立った。
「今度の非番な! ちゃんと空けとけよー」
「だから、強制は駄目だって!」
「なあなあ、あいつが行かなかったら俺にエリザ姉さん紹介してくれよ」
「あ、それなら俺に! 俺に紹介して。エリザ姉さんいいよなあ。あの胸! くびれ! くぅーたまらん」
静かに憤りを現す私の怒りなどどこ吹く風。三人は今日もマイペースに朝からY談に花をさかせた。
好きな者同士、下ネタも好きにすればいいけれど、もう少し相手と場所を選んだらどうなんだと思う。隣の席の侍女のグループが思いっきり睨んでいるのが目に入らないのだろうか。
そんなだから素人童貞なんだよ。けっ。
胸中で悪態をつきながら、改めて身支度を整えた私は、今日から新しく護衛につくことになった公爵家のご令嬢の部屋へ赴いた。
先週まで担当だった公爵家の長女が嫁がれたため、このたび次女のリア様付きとなったのだ。
扉の脇に控える兵士と目礼を交わし、服装の乱れを再度チェックする。第一印象は大事だ。
どこにもおかしなところがないことを確認すると、私は軽く扉の戸を叩いた。
「はじめまして、でもないわね。お姉さまの護衛としての貴方とは何度も顔を合わせているもの。さあ、もう堅苦しい挨拶は結構よ。顔をあげてちょうだい。ユリエルと呼んでも?」
部屋の中へ招かれて、リア様の前で頭を垂れる私に、彼女は気安く声をかける。
「はい」
リア様の言うとおり、姉妹揃ってのお茶会や観劇の際にもう幾度もお顔を拝見している。しかしこんな風に言葉を交わすのは初めてだった。
顔をあげると、リア様の紫水晶のような瞳と目が合った。
真っ直ぐな銀の髪と長い同色のまつ毛、バラ色の頬。まるで絵本に出てくる妖精のような美少女っぷりに思わず零れそうになった感嘆の溜息を呑み込む。ご長女のオリアーナ様もお美しいかただったが、リア様も負けていない。御年十六歳にして、この美貌。おそらくあと数年すれば国内に並ぶもののない美姫となられることだろう。
女性を性の対象としては見られなくとも、単純に美(少)女は好きだ。眼福である。
美人姉妹最高! とほくほくする私にリア様は笑顔を向ける。
「じゃあ、ユリエル。さっそくで悪いのだけど、今日は街にお買い物にいこうと思うの。付き合って頂戴ね」
それはもう花がぱっと咲いたような華やかな笑顔だった。まじ眼福である。
けれど、言われた内容にはげっそりだ。
古今東西女性の買い物は長い。リア様の姉君であるオリアーナ様の買い物もそれはそれは長かった。一つのものを買うのに最低十件の店を回るのだ。公爵家出入りの商人から買い付ければいいのに、街になんて出る必要もないのに……それでは駄目らしい。女子高生だった前世の自分も長かった気がするが、ご令嬢方の買い物はなんというか、色々と桁が違い過ぎて、ちっとも楽しくない。最早苦行といっていい代物だ。
「もちろんです。リア様」
勿論、内心をおくびにも出さずにっこり笑顔でそう答えたけれど。
第一印象大事!
今日は一日、香水の匂いが漂う店を回るんだ。目がつぶれそうな金額の宝飾品を見て回るんだ。そう覚悟を決めていた。
のに……
リア様の買い物は驚きの連続だった。
まず、おつきの侍女がいない。
次に服装が貴族の令嬢とは思えないほど地味。
付添いは、リア様付きの栗毛の先輩騎士と私だけ。
さらに服飾店には一件しかいかなかった。そこはドレスも靴も宝石類もすべて揃えた店で、着くや否や、体に当てて鏡に映しもせず、お勧めを即買いである。
ドレスの採寸は心底面倒そうに。宝石に至っては、ドレスに合うものをと指示しただけで、目も向けなかった。
靴だけはこだわりがあるらしく、ヒールが低く幅広で、疲れにくく走れるものを! と念を押していた。走る公爵令嬢……見たことないんだけど。
「あの、リア様はいつもこのような?」
靴についてあれこれ希望を述べるリア様から、つつっと離れ、栗毛の先輩騎士にこっそり話しかける。
「ああ、けど驚くのはまだ早いよ?」
どこか飄々とした感のある栗毛の先輩騎士は、人の悪い笑みを浮かべて言った。
その栗毛の先輩騎士の言葉の意味はすぐにわかった。
公爵令嬢としての付き合いに必要な、(栗毛の先輩騎士曰く)最低限の服飾品を揃えると、次にリア様が向かったのは、あろうことか武器屋だった。
それも大通りを一本どころか二、三本外れて、人一人がやっと通れるような裏路地を抜け、見るからにもぐりの怪しげな風体の店に慣れた足取りで入っていくではないか。
「え、ここ入るんですか? 本当に? 大丈夫なんですか? ここ え? まじで?」
私は思わず、栗毛の先輩騎士にしつこく尋ねた。混乱のあまり言葉が乱れたのはご愛嬌。
彼はニッと笑って親指を立てて見せる。
「常連だからねー。問題ないない」
ないわけないだろ! リア様が少々、いやかなり、というか控えに言って非常に、型破りな令嬢なのは間違いないが、この栗毛の先輩騎士も変だ。
薄暗い店内には、所狭しと武器が並んでいる。
カウンターの奥にいる店主らきし男はやせぎすで、スキンヘッドに刺青、ピアスとある意味役満だ。
公爵様はリア様がこんな店に出入りしていることをご存知なのだろうか?
もし、ばれたら……クビではすまないだろう。自分の末路を想像してぞっとする。そんな私の様子を見て栗毛先輩は、ばしばしと背中を叩く。
「心配しなくても公爵様もご存知だから」
え、知ってんの!?
「いろいろあってねー。公爵家のご令嬢としての責務を果たすなら、ある程度好きにしていいって今の形に落ち着いたの。といっても、お嬢様の奇行をおおっぴらにはできない。だから、お嬢様のお世話をするのは口の堅い者と決まってるんだ」
そう言うと栗毛先輩は意味ありげな視線を寄越して見せる。
「お前なら余計なことはしゃべらないでしょ?」
まあ、そうっすね。前世の記憶を取り戻し、多種多様な失敗を経験した結果、私は寡黙になった。けど、栗毛先輩は大丈夫なのだろうか?
ついつい胡乱な眼差しを向けてしまう。栗毛先輩はまたまたニッと笑って親指をたてた。
「俺の口は貝より堅いって評判だからね」
熱したらいちころってことっすか?
「……そうですか」
胸中の突っ込みに蓋をして、適当に相づちをうつ。私は栗毛パイセンから視線を外し、店内の品々を眺めることにした。
この国ではオーソドックスな両刃の直剣の類がまず目に入る。その隣には片刃の湾刀、さらにその隣はとげとげメイスに、鎖鎌、チャクラム、鉤爪と奥にいくに従ってどんどんマニアックになっていく。品行方正な騎士である私が行きつけにしている武器店では、ちょっとお目に掛かれない品々だ。
使い方を想像しながら武器を順に見て行く。ドレスを見て回るより楽しいと感じるのは二十一年間男としてすごしたせいだろうか。
栗毛パイセンは鼻歌混じりに、武器を手にとっては重さや使い方を確かめているようだ。くるりと手で回したり、ポーズをとってみたりと実に楽しそうだ。
それにしてもリア様はこんなところになんの用があるというのだろう? 武器屋が常連とは……なにかやんごとない事情があるのだろうか?
出入り口に気を配りつつ、そっとリア様の様子を窺う。
そして、そっと視線を外し、またまたそっとリア様を見る。いわゆる二度見というやつだ。
――ああ、うん。なんとなく理由はわかった。
リア様は美少女だ。見ているだけで幸せになれるほどの。華奢でたおやかで、意外ときさくで、ちょっと変わっている。でも見た目はこれぞ深窓のご令嬢な正統派美少女だ。そんな容姿から勝手に中身を想像していた私も悪かったと思う。私だって見た目は細マッチョだけど、中身はこんなだというのに。
つまり何がいいたいかというと、武器なんて無粋で物騒なものとは一番縁遠い存在であるはずのリア様は、目を輝かせ、まさに垂涎といった様子で武器に見入っていたのだ。
リア様は、三角形の刃に不思議な形状の柄がついた武器を持ち、ほうっと感嘆の吐息を吐いた。
頬をバラ色に染めてうっとりする美少女。絵になる。持っている物が銀色にひかる刃の武器でなければ……
公爵家のご令嬢がまさかの武器マニア。
けど、まあ、趣味は人それぞれだし? いいんじゃないのかな。公爵公認なら。
そう気をとりなおした時だった。リア様の小さな呟きが耳に届いたのは――
「このジャマダハルもどきたまんねえなあ。中二心をくすぐるわー」
え?
え?
ええええええええええ?
私は目を見開いて、可憐な公爵令嬢を凝視した。
ここは日本ではない。中学なんて名称の学校は存在しない。したがって中二なんて言葉もない。
なのになぜ……。まさか、リア様は、――リア様も?
あまりの衝撃に、体が動かない。
硬直したままリア様をがん見する私の肩に大きな手がかかる。
「おまえねー。駄目よ。いくらリア様が美少女だからって。公爵家のご令嬢なんだからね。俺達からしたら雲の上の人よー」
何を勘違いしたのか栗毛パイセンから見当違いな忠告をうけた。
「ま、まさか、誓ってそんな気はありませんよ。は……ははっははっ」
ま、まさか……ね。