客人
シグムンドは、戦っていた。
いや、今は逃げているとした方が正しいかもしれない。
森林の中をさ迷って、数分前にやっとほの暗い下生えの中に転げこんだのだが、それで限界だった。
茂みは、独特の甘味をもたらすことで著名な、北部の嗜好食品であるカリンカの木の原種で、改良されたカリンカにはない刺々しい枝と硬い葉が彼の首筋をつついている。
厳しい追撃から長時間逃れて来たのだろう、汗みずくになったシグムンドの体は、身に付けた金色のメイルと、上に着込んだコートオブプレートの重さで軋んでいた。
疲れ切って喉が焼けるように痛み、思考を纏めることすら困難な中、それでも正確に馬を駆って林に飛び込めたのは、戦士としての本能が働いたからだろう。
シグムンドはそうして無事だった。
だが味方は戦に敗れ、彼の周りを守っていたハスカールたちも離ればなれになるか、ほとんど倒されるかしてしまった。
乗馬も森の中の泥地で落馬して失い、見付かる望みはない。
ここにいても、いずれ発見されるだろう。
逃げる際に、兜を吹き飛ばしてしまって無防備な、そして疲れきったシグムンドの頭に、絶望的な思いが浮かんだ。
アンヌアのタイタン族の連中なら、森の地面に残る痕跡など辿るのは容易かろうからだ。
まあ、これだけ慌てて逃げた者の痕など、誰でも見つけることは可能だろうが――
荒い息をつき、シグムンドはもう見通しもない考えを巡らしていたが、ふいにハッとして辺りを見回した。
今、何か聞こえなかっただろうか?
(敵か――――)
凍りついた思いが脳裏を掠め、シグムンドは、やにわに疲労も忘れて飛び上がった。
確かに、人の声がした!
そのまま一足飛びに茂みを超えて向こう側の斜面に伏せようとしたが、しかしもう遅かった。
森林の中に続いている、道とも言えぬ道の上に、数人の追っ手が姿を現した。
(遅かったか!)
ある程度は撒いたつもりだったが、追いかける者が優れていたのだろう。
追っ手は、想像よりすぐ近くに来ていたらしい。
先頭に立つ、粗末な茶色い兜を被った男が、角笛を取り出し、口にあてがった。
アフーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
割れた引きずるような音が、周囲に響き渡った。
男が息を上げ、残りの角笛の音が森に吸い込まれると、ほんの一巡静寂が訪れ――――そして、一呼吸もしない内に、吸い込んだ音は木々の間から帰ってきた。
木霊のように次々と。
アフーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
アフーーーーーーーーーーーーーー
アフーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
アフーーーーーーーーーーーー
押し寄せてくるそれらの木霊と共に、斜面の周りがざわめき、下生えが踏み荒らされる音が響き、どこにこんなに居たのかと思うほど、武装した男たちがわらわらと至るところから現れた。
それらを斜面の上から眺めながら、シグムンドは立ち上がり、ゆっくりと腰の物に手をかけ、抜いた。
(観念する時か、だが、出来るだけ殺してやる)
左手にあるべき盾は戦場で既に失っている。
シグムンドは、追っ手の中に弓兵がいないことを、大神アンヌーンに感謝した。
「囲め!行け!」
鋭い命令が、ネイザル(鼻当て)を付けた半球型の兜を被った追っ手から発せられた。
恐らく、追撃隊の隊長であろう男のその号令を聞いたとたん、他の者たちが、一斉に彼の居る斜面を目指して登りだした。
逃げられぬようにだろう、斜面を登ってくる連中は、ゆっくりと膨らんだような配置で進み、シグムンドを取り囲もうとしている。
「アンノールのシグムンド殿下と見た。武器を捨てられよ、王子」
先程のネイザル付き兜の隊長らしき男が、斜面の下の方で、呼ばわっている。
降伏せよ、ということだろう。
「大神アンヌーンの名に懸けて、貴様らなど呪われるがいい!」
シグムンドの身に流れる誇り高きインペリアルの血は、降伏を許さない。
どうせ死ぬなら、敵を殺せるだけ殺して死ぬ。
シグムンドが、隊長に向かって唾を吐き捨てると彼は首を振り、革手袋をはめた手を振り上げた。
それを合図に斜面に配置された敵が、ゆっくりと距離を詰めて来る。
彼らは、粗末なキルティングのチョッキや長袖を羽織ったり、その上に薄いボイルドレザーを羽織ったりしている。