平吉の走馬灯
蝉しぐれがやかましい炎天下のもと。
平吉は走馬灯作りにいそしんでいた。
生まれて初めての走馬灯作り、その上、不器用な彼の手先はなかなか進まない。
紙を切り、細木を組んで、のりをつける。
そして、灯篭の中の蝋に火をともし、内側の風車がくるくると回れば完成となるのだが、なかなかこの風車が回らない。
回らなければもう一度作りなおす。
そんな事を彼はもう何度も繰り返していた。
油照りの中、汗みずくになるが、それでも彼は愚痴の一つも口には出さず、真剣な顔つきで手を動かしている。
なぜ彼はわざわざ奉公先に暇をもらってまで、不得手な手作業に精を出しているのか。
それはこの日が彼の妹の五回目の命日にあたるから。
その為、彼はどうしてもこの日に走馬灯を作り、鎮魂の祈りを捧げたかったのだ。
額から流れる汗も拭わず、時はゆっくりと過ぎていく。
その間彼は、幼くしてその命をはやり病で散らした妹のことを想っていた。
もし今妹がこの世にあれば、どれだけ美しくなっただろうか。
もうこの頃にもなれば、兄である自分に甘えることもなくなったのだろうか。
もし我が家に少しばかりの余裕があれば、妹は名医に診てもらい、生きながらえることができたのだろうか。
彼は目に見えぬものに問い続けながら、走馬灯作りに心を傾け続けた。
そして、黄昏時ようやく走馬灯は完成を見た。
彼は家を出た。茶畑の合間を進み、眼前には豊泉寺の山門がかすかに浮かび、その奥には豊かな緑をたたえた小高い丘陵。彼はその手前を流れる霞川の緩やかな流れの辺りまでやって来ると、作ったばかりの走馬灯を川に浮かべた。
黒い川面にたゆたう走馬灯は橙色に浮かび上がる。
その光に映しだされる一人の娘が兎を追いかける影絵。
影の形はところどころいびつであったが、それでも灯篭が移しだす世界は優しく悠久を思わせる。
それは鳥獣を追ってどこまでも朗らかに野山を駆け巡る彼の妹の追憶であった。
しかし、あえかなる妹も今はまぼろし。
それでも彼は、空蝉とは走馬灯のごときと信じて疑わない。
すなわち始まりと終わりは常に一対。
彼は祈る。畢竟人と人の別れは始まり、さらば兄妹が武蔵野にて再び会するは終わりと。
世を恨まず、暗れ惑うことなく、ゆらりゆらりと走馬灯はすずろに川を下っていく。
彼はやおらに立ち上がると走馬灯が見えなくなってからも、終夜川辺にたたずんでいた。
そして、早暁の秩父連山に東からさしてきた朝日が映り始めると、彼はようやく歩き始めたのであった。