雪式部は見た
前作(http://ncode.syosetu.com/n6708do/)では、沢山のブックマーク・ポイント評価・感想をいただき、誠にありがとう存じます。
せめて何か御礼をと書き始めたものですが、内政の方の構想を練るには時間が足りませんので、ならばせめて糖度を上げようというのが目標です。
こちらも感想・ご教授等いただけましたら、とても嬉しいです。
重ね重ね、ありがとうございました。
わたくしは雪式部です。中宮 智子様にお仕えしております。
わたくしは幼い頃から物語が好きで、二つ三つの頃は大人たちに毎日想像上のお友達のお話を作って聞かせるような子どもだったそうです。
和歌や漢文などを習い始めてからは、恋歌の二人のその先を想像したり、わたくしならこういうお話にするのに、と書き留めたりしておりました。たまに母や妹に見せて感想を言い合うのがささやかな楽しみでした。
そのような物語作りがこうじて、このたび中宮様にお仕えすることになりました。
わたくしが右大臣様より内密に仰せつかっていますのは、帝と中宮様の仲の良さ、ご寵愛を伝えるような、愛し合っているお二人を物語にして皆に広めることです。
そうすることで、右大臣家の権勢を揺るぎないものにしたいのだと思います。重要な役回りに、身の引き締まる思いがいたしました。
一方で、奇異姫と名高い中宮様と帝の恋、またとない題材に胸のときめきが抑えられません。わたくしは、中宮様にお会いできる日を楽しみにしておりました。
(いったいどのような方なのでしょう? 数々の伝説もお聞きして、物語にいかしたいわ)
準備の時間はあっという間に過ぎ、中宮様の前に上がる日がやってまいりました。
「雪式部でございます。漢文や恋物語を書くことが得意です。どうぞよろしくお願い申し上げます」
「お顔を上げてちょうだい、雪式部。こちらこそ、どうぞよろしくね」
初めて中宮様にお目にかかった時、一番驚きましたのは、その肌の美しさです。
艶やかな緑の黒髪、吊り目がちの透き通った目に小さな口のきつめの美人で、それらもちろんお美しいのですが、何より真珠のように内から甘やかに匂い輝くすべらかな肌をなさっておいででした。
垢やフケが付いて肌が毛羽立つこともなく、白粉が浮くこともない。白粉も特別製なのか、色味が少々異なっておりますが、白粉の白さが足らずとも中宮様の美しさを損なうものではないように感じました。
中宮様は潔癖症だそうで、わたくしは肌寒い日にもかかわらず前日に髪洗いまで全て行う大仰な湯浴みをすることになり、少々面倒だったのですが、今は感謝しております。
(着物にフケなど付いていたら、恥ずかしくて身の縮こまる想いがしたことでしょう)
その後、穏やかな気性ながら尼でも無いのに髪を背でバッサリと切るような突飛な行動をする中宮様にあっけにとられたり、新しい湯殿の魅力に取り付かれたり、貴重な紙が使い放題だったりと充実した生活を送っております。数々の発明品が奇異姫の発想から始まったと伺った時は驚くとともに納得もいたしました。
(やはり、奇異姫は奇異姫であられます)
ある秋の日、中宮様が御簾越しに庭を眺めていらっしゃいますと、ぽつりと仰いました。
「紅葉の美しいこと。もっと側近くによれたら、よりその素晴らしさが分かるでしょうに。女は不便なものね」
「まあ、宮様。そのようなはしたないことを事を仰ってはなりません。女が顔を隠さずに外を出歩くなど、ましてや帝のお妃様が人前に姿をさらすなどあってはならぬことですよ。宮様は皆の手本となられなくてはならないのですから、どうぞ慎まれませ」
中宮様のご希望に、指導役であり女房たちの取りまとめである摂津式部がたしなめます。裳着を終えた一人前の女性が家族以外の殿方に顔をさらすことは、はしたないことでございます。
ですが、中宮様のお嘆きもごもっともと思うほど、今年の紅葉は遠くから眺めていましても心に染みいるほど見事な紅い色をしておりました。
そうして中宮様は、「誰かにあの見事な紅葉の先を一枝、採ってきていただいてちょうだい」と願われ、他の女房には墨と文様や金で装飾されている綺麗な紙を用意させました。
墨を用意させている間に和歌を摂津式部たちと考えていらっしゃいます。
「この紅葉の見事さをお上とも分かち合いたいわ。何か良い言葉は無いかしら?」
「燃ゆる心と掛けてはいかがでしょう?」
「赤子の手に例えることもできますね」
「確かに赤子の手のようにに愛らしい様ですね」
「秋で紅葉なら竜田川や竜田姫は外せないでしょう」
「山から来て秋色に染めゆく女神ですから、上手く入れたいですね」
(素敵な恋歌になりそうですね。わたくしも見逃さずに記録せねばなりません)
女房たちの意見を参考に、中宮様はたおやかな仮名で紙に歌を書かれ、くるくるとたたまれると、その結びに夕日よりも赤く染まった紅葉を差して帝へ遣わされした。
帝からの返歌には『我が竜田姫に送る』と情熱的な歌が帰ってまいりました。誠にこのお二人は想いあって微笑ましいことでございます。
夕方、帝はいつもよりもご機嫌麗しいご様子でした。新しい湯殿からお出ましになられた後、御身の前に中宮様を座らせ、手ずからその御髪をくしけずられました。
(何ということでしょう。畏れ多くもお上自ら宮様の御髪をおすき遊ばすなんて。ああ、この感動を書き留めねば)
「お、お上、その様なことをしていただく訳にはまいりません。わたくしの身の置き所がございません」
「うん? 大丈夫だ。朕がしたいようにしているのだから、智子はどーんと構えておればいい」
「そういうわけにも……。人目もございますし」
(それは人目が無ければ良いということですか? 宮様)
オロオロとなさる中宮様もお可愛らしく、わたくしの筆は留まるべき場所を見つけられません。
「それに、こういう単純作業をしながら考えごとをすると、はかどるような気がするのだ。諦めよ」
「……はあい」
(ふむふむ。なるほど。帝は宮様の御髪をすきながら、考え事をするとはかどる、と)
それにいたしましても、帝は少年らしい細身に、十四歳のわりに背も高い方で、目元がキリッと涼やかで遊ばされます。宮様も背はお高いですが帝とはちょうど良い具合でいらっしゃるし、髪も短いながら艶やかに保たれておられますし、何よりもあの柔らかですべらかなお肌が魅力的でいらっしゃいます。
同じ女のわたくしでさえ、お世話させていただくときにふと触れてしまいますと、その感触にもっと触れていたくなりますのに、畏くも帝おかれましてはいかほどのことでございましょう。
「そういえば、昼にはなかなか見事な紅葉であった。あれはどうしたのだ?」
「ああ、あれはこちらから眺める紅葉がとても紅くて美しかったので、その感動をお上と分かち合いたかったのです」
「ふふふ。そうか」
「はい。本当は紅葉狩りをご一緒したかったのですけど、わたくしは女ですから、お外にはご一緒できませんので」
「そうだったか? ……そういえば、母上たちが紅葉狩りをしていたことは無かったな。そうか、この時代はそうなるのか。智子、そなた行きたいか?」
「はい。間近で見ればもっとその素晴らしさが分かると思うのです。目は悪くないつもりですが、御簾越しではさすがに」
そう言って目を伏せる宮様の儚げなこと、なんとあわれに美しいのでしょう。宮様は奇異姫とも呼ばれるほど新しいことを拒まず試される方です。きっと外に出て新しいことを試されたいでしょうに。そのお心内を想うと晴れやかにはいられません。
帝も髪をすく手を止め、あごに手を当てられて少し考え込んでいらっしゃいます。
「もしかしてストレスが?」
「……実は少々。実家の庭には出ていたものですから」
『すとれす』? また難解な言葉が出てまいりました。よく分かりませんが、とりあえず書き留めましょう。
それにしても、実家のお庭には出ておられたとは、やはり宮様は奇異姫であらせられます。
「よし! 決めたぞ、智子。これより女子は、貴賤を問わず、外に出ても良いことにする。あ、智子は顔は隠すように。顔を出すかどうかは個人や夫の裁量によりけりとしよう」
「……は?」
中宮様も唖然としていらっしゃいますが、それはわたくしたち女房も同じです。女が外に出ても良いとは、どういう意味なのでしょう?
貴族の女は部屋の中にいるものです。外に出て姿を晒すのははしたないこととされています。廊下など、やむを得ず外を通る時は、檜扇などで顔を隠しながら移動するのが貴い方のあり方です。
わたくしたちが呆然としておりますと、お二人のお話は進んでおりました。
「これで、女子の運動不足解消にもなれば、なお良し!」
「確かに。運動不足と健康維持の関係を立証するには、まだデータも時間も足りませんものね」
(はっ。『でいた』。新しい言葉です。書き留めねば)
そうこうしている内にもどんどんとお話は進んでいきます。
「では、今から行くぞ。用意せよ」
「そう急に仰られても、この衣装では外には出られません。沓や顔を隠すものも取りにやらねばなりません。少々お時間をいただきたく」
「それはどれくらいかかるのだ?」
「さあ? 半刻くらいでしょうか?」
帝がこてんと首を傾けてお尋ね遊ばすと、中宮様も同じ方向に首を傾けてお答えになります。用意に半刻かかるとお聞きになって、帝は眉を寄せられました。
「それでは、日が暮れて紅葉が見えぬではないか。十五分で何とかせよ」
「そのような無理を仰られても……」
しばらく口を尖らせて難しいお顔をなさっていた帝ですが、何かを思いつかれたのか、ふっと息を抜くと口角を上げて微笑まれました。
「よし、分かった。脱ごうか、智子。朕が運ぶ」
「はい!?」
「そなた一人ならなんてことは無いが、その上衣は邪魔で重い。脱ぐのだ」
「……そ、そんなはしたない格好、出来ません! 急いで取りに行かせますので、少々お待ちください。って、きゃぁ! 勝手に脱がそうとしないでくださいまし!」
「別に前の世界ではもっと薄着で出歩いていたであろう? 巫女服とたいして変わらぬと思うが。何を恥ずかしがるのだ?」
「だって、この格好はこちらの下着みたいなものなのですよ? スリップとかキャミソールとかペチコートで出歩くようなものなのです。インナ—ですインナー。……それに十数年もこういう露出度の低い衣装を着ていたら、なんだか肌を露出するのが恥ずかしくて」
上衣が肩からずり落ちて、中の白の着物が中宮様の玉の様な肌をわずかに透かしています。
両膝を曲げ両手を胸の前に交差させて体を隠し恥じらう中宮様をご覧遊ばして、帝の喉が上下に動いたのですが、下を向いておられた中宮様はお気づきにならなかったようです。
(……お上。でも、あまり強引なのはいけませんわ)
硬直から回復した摂津式部が、急ぎ中宮様たちの外出着を取りに行かせています。このままでは中宮様のお姿が他の殿方にも晒されてしまうことになります。
たった今、帝が決められたこととはいえ、周知されていない中、あられもない姿を見られてしまうと、中宮様ならびにご実家にとって悪い噂が流れることは避けられないでしょう。
ガシガシと前髪あたりをかきむしられた帝は、「ならばその上衣の一番外側の衣で良いから、纏って外に出られるようにせよ。その間に朕も直衣を脱ぐ」と仰り、女房に手伝わせて直衣を脱ぎ始め遊ばしました。
帝の直衣は後ろに引き摺る部分があったりしますが、下は狩衣に近い衣装で、比較的動きやすい装いです。
中宮様の衣は、外から小袿、表着、五衣となっているのですが、表着だけをまとわれ、裾を膝のあたりまで上げて細い帯で締められました。それから、女房達に針と糸をもたせて、ただのなみ縫いでザクザクと袴を裾上げし、髪はうなじのあたりで一つに結び、最後に小袿を頭からすっぽりと被られます。
正式な外出用の衣装ではありませんが、中宮様もできるだけ帝をお待たせしないほうが良いと思われたのでしょう。帝の前というのも忘れて、切羽詰まった形相で動き回っていた女房たちの中にもホッとした空気が流れています。思い出したかのように恥ずかしげに袖や扇で顔を隠している者もいます。
「お待たせいたしました! ひとまず、沓をお持ちしました!」
女房が一人部屋に駆け込んできました。肩で息をしていて、重い装束を引きずっての速足はどれほど大変だったことかが偲ばれます。
「行こう」
帝が中宮様の手を引いで庭へ誘われます。
わたくしも、ぼーっとしてはおられません。お二人の仲睦まじいお姿を間近に拝見し、記録しなくてはなりません。
「摂津式部、わたくし、宮様に付いてまいります」
摂津式部の返事も待たずに、わたくしは他の女房たちに白紐を借りると、中宮様を真似て表着をたくし上げ、袴の裾を足首の所で紐で結んで殿方の指貫袴のようにし、小袿を頭からかぶって庭へ飛び出しました。
(こんな絶好の機会、逃すわけにはまいりません)
お二人はすでに紅葉の真下までたどり着かれておりました。少し離れた所で止まって、筆と檜扇を持ってお二人を見守ります。
帝が曲げた左腕に中宮様がそっと手を添えて寄り添われています。朱を基調とした小袿に辛子色の表着、緋色の袴をお召しなので、まるで中宮様ご自身が竜田姫のようでございます。
「お上、ご覧になって。あんな所まで真っ赤です」
沈みゆく夕陽の茜の光が紅葉とお二人をいっそう紅く染め上げています。ハラリハラリと落ちる葉がお二人とわたくしたちの世界を隔てているかのようです。
中宮様の頭上に落ちた葉を帝が拾われました。
「ほら、こんな所にも落ちてきたぞ。ちょうど赤子の手のサイズだ」
「まあ、本当。可愛らしいですね。押し花の栞にでもしようかしら」
しばらくそうやって紅葉を堪能しておられましたが、ふいに帝がこちらに背を向けて、わたくしや護衛の武官から中宮様を隠すかのように腕の中に閉じ込め遊ばしました。
「智子、昼間の歌はたいそう情熱的だったな」
「……そうでしたか?」
「ああ、ご期待に添えずに申し訳ないが、子どもは二年程待ってくれ。今は智子に負担がかかる」
「え? !!!」
中宮様はどうやら驚きと恥じらいで声も出ないご様子と拝察いたします。
(……今頃気づかれたのですね。宮様、鈍いです)
「ふふ。今はこれで満足してくれ」
そう仰ると、中宮様の顎をつかまれ、ますます強く引き寄せ遊ばして、ちゅっという音とともにお二人の形が重なりました。
(まあぁ! このような場所でなんと大胆な!)
わたくしは咄嗟に口に手を当てて悲鳴を飲み込みます。後ろの中宮様のお部屋からは、お二人のご様子を伺っていた女房たちの華やいだ悲鳴が聞こえました。
口吸いなど、寝所だけで行われるものかと思っておりましたが、この胸の高鳴りはなんでしょうか。面映ゆくてお二人を直視しにくいのですが、しっかりと目に焼き付けねばなりません。
このような衆目の中での口吸いは中宮様がはしたないと思われるかもしれませんが、これが山奥の離宮へ行幸されるのに付き添われた時のことだとしたらどうでしょう。 お二人だけで見る紅葉、護衛や女房は遠く離れた場所でお二人を見守っています。お二人だけの秘密……素敵かもしれません。
(宮様、この雪式部が必ず皆が憧れる素敵な物語にしてみせますわ!)
わたくしは決意も新たに次の物語の構想を檜扇に書き始めました。
意外にアグレッシブな雪式部。
彼女は新しい湯殿を一般貴族に広めることにも大活躍します。
後の世に彼女のメモ書きが見つかることで、帝と奇異姫の謎は深まるばかりです。
昔の絹は、日本古来の蚕の糸が細いことから、今より薄くて軽かったそうです。
お読みいただき有り難うございました。
(追)こちらにもブックマーク・ポイント評価・感想等いただき、誠にありがとう存じます。