第六話
彼女は苛立っていた。
夕日のような赤い髪をなびかせ、瞳は燃える火の如く揺らめいた。元々鋭角な眉が更に上がり、真っ赤なルージュに彩られた唇を真一文字に結び、淑女らしからぬ早足で廊下を歩いていく。
「待って」
かくして、苛立ちつつも呼び止められて立ち止まったのは、マリアンナが庭園で出会った公爵令嬢クリスである。
クリスはマリアンナと会った時とドレスは同じだが、髪は何の飾りもなく下されていた。その姿はマリアンナが想像した通り、広がる赤い髪が苛烈な彼女の内面を表しているかのようで、強い華やかさがあった。
そして、クリスを呼び止めたのは彼女の侍女であるフェスタ。彼女はマリアンナと別れた時と同様に侍女らしからぬ美貌のままだったが、その顔に僅かに驚きの色を滲ませていた。
一見すると身長に差は無さそうに見える二人だが、並んだ瞬間にフェスタが大きくクリスを見上げる形になる。フェスタは比較的小柄だが、クリスは女性としてはかなり背が高いらしい。(均整のとれたスタイルをしているので、比較対象がないとあまり大柄には見えないようだ)
「何?」
「何って…いないはずの貴方がいるから、びっくりして呼び止めちゃったのよ」
貴族令嬢とその侍女というには、あまりに砕けたその会話のやり取りも、フェスタが侍女らしからぬ容貌と服装をしているため違和感はない。二人ともマリアンナの前とは、明らかに様子が違った。
「今、着いたばかりだから」
「私を迎えに来たんじゃないの?」
ここはプリメーラの屋敷だ。
マリアンナを見送った後、フェスタは公爵家からの迎えを待つために屋敷に残っていた。まさか、迎えにクリス本人が来るとは思っておらず驚いたらしい。
「それもある。正面玄関の前に馬車は停めたままにしてあるから、先に乗って待ってくれていてもいい。私も少ししたら馬車に戻るから」
告げるクリスの様子は無表情という訳ではないが、淡々とした雰囲気を隠しもしない。だが、彼女の侍女であるフェスタにとってはそれも当たり前なのか、特段気にした風でもなく言葉を返す。
「それ『も』あるってことは、何か他の用事もあるのよね?何?」
「言う必要は―――」
「あ・る・わ・よ・ね?」
恐らくというか、間違いなく『言う必要はない』と言い捨てるつもりであろうクリスの言葉を遮って、フェスタはその胸元に指を突き付けながら迫った。
「まったく!折角、パートナーとしての自覚が出て私を迎えに来たのかと思って見直してみれば、この態度!!いい加減にしないとプリメーラ様にチクるわよ?」
言いながら更にクリスの顔に自分の顔をギリギリまで近づけて言い放つフェスタに、マリアンナの前で見せた冷静な侍女的な要素は見当たらない。
そんな彼女の強気な態度に押されてか、クリスは彼女を見つめたまま仕方ないなというように僅かに息を吐いた。その間も二人の顔の距離感は非常に近い。
周囲には人がいないが、誰かがその様子を見たら何やら妖しげな様子に要らぬ噂が立ちそうである。
「プリメーラに確認したいことがある。それだけだ」
「プリメーラ様に?」
鸚鵡返しするフェスタに頷いて、クリスは急いでいるのか焦れたように体は既にフェスタとは反対方向に捻じっていて、すぐにでも走り出してしまいそうだ。
そんなクリスに少し考えるような素振りを見せて、フェスタはその腕を取って逃げさないようにすると、にっこりと笑って彼女を見上げた。
「私も行くわ。だって、私達、パートナーですもの。プリメーラ様への確認内容は私も知るべきでしょう?ね?」
可憐な笑顔に小悪魔のような子憎たらしさを全開にするフェスタに、クリスは何か言いたげな表情を浮かべたが、小さく「勝手にしたらいい」と告げただけでフェスタを腕に捕まらせたまま再び歩き出した。
彼女も学習したようで、反抗してもどうせフェスタに『チクるわよ?』と言われて従わされるのが目に浮かんだようである。
しかし、この二人の攻防はフェスタ完全勝利では終わらなかった。
プリメーラの自室は、屋敷の中で一番日当たりと景色がいい庭園に面した南向きの二階にある。屋敷の入り口からは奥まった場所にあり、広い屋敷をかなり歩かなくてはならない。
結果、走るのよりも早いのではないかというほどの速度で歩きながら、それでもドレスをもたつかせることも、高いヒールで足が覚束なくなることもなく進み続けるクリスと、完全にそれに置いていかれるフェスタという展開が待っていたのだ。
「あいつったら、本当にどんな運動神経しているのよ?」
フェスタも運動神経にはかなり自信があったのだが、こんなに明確に差をはっきりさせられては負けを認める他ない。
彼女がクリスに付いていくペースで歩けなくなると分かると、捕まえていた腕は容赦なく振り払われた。しかも、その後、フェスタは半ば全力疾走をしたにも関わらずクリスには追いつけなかったのだ。プリメーラの部屋に近づいた頃には完全に息が上がっていた。
かくして、息が上がりながら悪態をついてフェスタは悔しがる。負けを認めることと、負けたことを悔しがるのはまた別らしい。
そもそもクリスとはパートナーとはいえ貴族と使用人という身分差は埋めようもなく、彼女はしばしばフェスタを見下すような言動と行動をしてきた。それはクリスが悪い訳ではなく、それが当然の社会なのだから仕方ないと分かっている。
それでも…とフェスタは気持ちを新たに決意する。
見下すのは勝手だし、階級が違う事も致し方ない。それでも、『仕事』の最中にそれは関係なくなる。クリスはそれを了承してフェスタのパートナーになったのだ。
ならば、パートナーとして最低限の礼儀は弁えてもらわなくては。そして、自分もクリスのパートナーとして相応しい力を身につけなくては。
そう思いながらフェスタは大きく深呼吸して、息を整える。そして、彼女はプリメーラの部屋の扉を叩いた。