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探偵少女と幽霊マンション(4)

 廊下にいても喧騒が伝わるくらいに、朝のホームルーム前の教室は騒がしい。


 教室のドアを開けると、騒いでいた生徒が、全員こちらを見て黙る。一瞬の沈黙の後、全員が眼をそらす。

すぐに教室は騒がしくなる。だが、さっきまでとは違い、どこか緊張感をはらんでいる。

 俺のせいだ。

 申しわけなく思いつつ、俺はその喧騒の中を一番後ろの窓際にある自分の机まで、なるべく他の生徒に近付かないよう注意しながら歩く。席について、窓の外を眺める。誰とも話さず、窓の外を見てホームルームを待つのがいつものパターンだ。


 俺から少し遅れて麻滝が入ってくる。クラスメイト達は麻滝に群がって挨拶をする。変わり者ではあるが、見た目もいいし人当りも悪くない。端的に言えば麻滝は人気者なわけだ。

 麻滝も律儀に全てのクラスメイトに挨拶を返す。


 一通り挨拶が終わると、ちらりと麻滝が俺に目を向けてくる。

 無論、俺は無視する。他にどういう反応をしろというんだ。


 チャイムが鳴り、教師が入ってくる。

 

 ホームルーム、そして授業を真面目に受ける。

 俺は勉強に関しては真面目だし成績も悪くない。悪くない、というよりも、いい。期末のテストでは総合で常に学内で十位以内には入る。

 ちなみに成績で言えば麻滝も同じくらいだ。ただし、彼女の場合は勉強だけではなく運動能力も優れている。二年生になったというのに未だに陸上部の顧問がスカウトに来るくらいだ。

 俺は、運動は苦手だ。あの事故以来、壊れてしまった食生活のせいで体力がとんでもないことになっている。ウォーミングアップのランニングで倒れてえずくのが俺だ。


 午前中の授業が終わり昼休憩になると俺は即座に教室を出る。クラスメイトの皆も、昼休憩くらいリラックスして食べたいだろう。俺がいると邪魔になる。

 

 それに、今日は教室にいると麻滝から何らかのちょっかいを出されるかもしれない。あいつはしつこい。「しつこい」と面と向かって言ったこともあるが「タフだと言ってくれ」と自慢げに返された。


 屋上へ向かう。屋上で、持参したサプリメントとジュースをとるのが俺の昼食のいつものスタイルだ。

 ちなみに屋上への扉には鍵がかかっている。生徒が勝手に屋上に行けないようにしているわけだ。

 生徒の非行の場になるからなのか、生徒の飛び降り自殺の場になるからなのかは知らない。多分両方だ。

 高校一年生の頃、ある事件に関して俺は麻滝に協力した。その時に報酬として麻滝からもらったのが、その屋上の扉の鍵だ。あいつがどうやって手に入れたのかは知らないし、知りたくない。知らない方がいい気がする。正直ちょっと怖い。


 屋外で一人になれる場所、というのは俺にとって非常に貴重だ。

 屋内で一人だと『彼女』のことが気になって精神衛生上よくない。

 かといって人がいると、特に若い女性がいると俺は今にも割れそうなガラスと同じだ。そのこころは、双方にとって危険極まりない。

 だから屋上というのはうってつけの場所で、その鍵を手に入れたのは麻滝と知り合って唯一得をしたことと言っても過言ではない。


 ところが、ジュースを買って屋上に行こうとすると、屋上へと続く階段のすぐ傍で教師が二人、立ち話をしている。

 おいおいマジかよ。

 さすがにこの状況で階段を上れば、教師に呼び止められることは間違いない。ここの階段を上った先には屋上しかないから当たり前だ。

 屋上の鍵を取り上げられる展開だけは避けたい。

 仕方がない。

 俺はその階段をスルーして、教師の横を通り過ぎる。教師達は俺のことも眼に入らない様子で、深刻そうな顔で話をしている。声を潜めているので、何を話しているかまでは分からない。興味もないが。


 幽霊マンション、という単語が片方の教師から飛び出したのが聞きとれる。

 思わず振り返る。

 教師達は俺が振り返ったことに気が付かず、熱心に話を続けている。俺もすぐに興味を失って歩き出す。今朝聞いた単語が出てきたから反応してしまったが、俺には関係のないことだ。

 何が幽霊マンションだ。馬鹿馬鹿しい。


 まったく、予定が狂ってしまった。

 教師の視界から完全に外れたのを確認してからため息をひとつ、サプリメントを口に放り込んでジュースで流し込む。

 屋上でゆっくりできなかったというイラつきがあったのか手元が狂い、ジュースがかかって少し手が汚れる。


「げっ」


 とことんついていない。

 手を洗おうと目に付いたトイレに入る。清潔なトイレだ。俺以外誰もいない。

 妙な違和感がある。なんだろう、と首をひねりながら手を洗う。

 違和感の正体はすぐに知れる。ここは、職員専用のトイレだ。どうりで綺麗なはずだ。別に見られてるわけでもないからいいか。辺りに人の気配もしない。多分、教師が入ってくることもないだろう。


 ……人の気配がない?


 そう、確かに辺りに人の気配はない。そして、トイレという比較的狭い空間。そして、トイレだから当然に水と鏡が存在する。更に、俺は今朝、麻滝と接触している。


 ……まずい。これはまずい。


 人がいない状況、若い女との接触、水、鏡、狭い場所。

 俺がこれまでの経験から学んだ『まずい条件』をほとんど満たしている。これで夜だったらパーフェクトだ。昼間の校内だからといって油断していた。

 昼間とはいえ、こういう状況だと間違いなく『あいつ』が来る。

 思えば、朝、麻滝と近付きすぎた。喋りすぎた。


 俺の予想を裏付けるように、嫌な気配が漂ってきた。甘ったるく、同時に冷たい退廃的な気配。

 おいおい、これは本格的にまずい。

 慌てて蛇口をしめて、さっさと退散しようとして、いつもの習慣で不用意にも目の前にある鏡を見てしまう。

 鏡の中で、俺の背後にある個室の扉がゆっくりと開いていく。

 まずいと思いながらも、俺は硬直してしまって鏡の中の扉から目を離せない。

 扉がどんどんと開いていく。

 瞬時に、トイレの個室にまつわる怪談が俺の頭の中にいくつも浮かび上がってくる。トイレの花子さん、赤い紙・青い紙、エトセトラエトセトラ。あそこから出てくるのはそのどれでもない。そのどれよりも恐ろしい。


 扉の隙間から、細い腕がゆっくりと出てくる。病的に細く白い肌の腕だ。腕は曲がってはいけない方向にところどころ曲がっている。

 腕に続いて、ゆっくり、ゆっくりと頭が出てくる。ショートカットだった髪がセットされずにそのまま伸びたようなぼさぼさの頭。髪の間から覗く目が、鏡越しに俺を捉えている。


「リルカ」


 やらない方がいい、と思いつつもつい呼びかけてしまう。俺の声は固くなっている。


 振り向かず、鏡越しにその少女の、リルカの目を見つめ返す。

 

 リルカは腕と顔だけをトイレの個室から覗かせたまま、光を飲み込んでいるような真っ黒い瞳で、恨めしそうに見ている。

 実際に恨めしく思っているのかどうかは分からない。


 ああ、今日も出会ってしまったか。


 あの事故以来、リルカは俗に言う幽霊になった。

 幽霊という表現はオブラードに包んでいる。実のところ、怨霊だ。

 夜だったり、俺が一人だったり、狭い空間にいたりと、幽霊が出そうな条件が重なるとすぐに顔を見せる。


「ああ、今日、部活だから先に帰っていいよ――真一」


 凍えるような声でリルカは言って、口を半月のようにして笑う。


 背筋が凍る。

 幽霊となったリルカとは話せない。会話が成立しない。

 あの事故以来、リルカの幽霊とは何度も何度も遭遇しているが、慣れるということはない。

 俺はこういう見た目をしているから学校内では結構恐れられているが、実際のところは俺自身が怖がりだ。怪談やホラーなんて苦手も苦手だ。


「真一」


 リルカがまた俺の名を呼ぶ。


 恐怖で動悸が激しくなる。早く逃げたいのに、体が金縛りのように動かない。いや実際金縛りなのかもしれない。


「こっちに来てよ、ねえ」


 リルカが言う。当然行く気はない。行ったらそのままあの世へ連れて行かれるかもしれない。


「悪いが、断る」


「うん、じゃあ明後日、駅前で待ち合わせね……」


「断るって言ってるだろ」


「うん、ありがとう真一」


 闇色の目を見開いてリルカは言う。やはり会話が成立しない。


 だというのに、俺はどうしていつもリルカと会話しようとするんだろうか。我ながら不思議だ。


 体が動かない。いや、動く。望まない方向に。

 体が勝手に、後ろを向こうとしている。誘われるように、体がリルカに近づこうとしているのを感じる。自分がマリオネットになって、その糸を無理やりに引っ張られているかのような感覚。

 まずい、これは本当にまずい。そっちじゃあない。俺は出口に向かいたいんだ。

 だが体はリルカのいる個室へと向かおうとしている。俺は全力でその体を引き止める。


「ねえ、あたし、嫉妬深いし、好きになった人のこと、すぐ縛っちゃうタイプだと思うな。あんたは、そういう女の子ってどう思う?」


 リルカの声が聞こえる。

 この言葉は覚えがある。リルカが俺に告白してくる前、俺に冗談めかして言ったセリフだ。それを今になって繰り返している。壊れたテープレコーダーだ。


「嫌い? あたしみたいなタイプ、重たい女っていうかさ」


「――いや」


 嫌いじゃあない。嫌いじゃあない、が。


 ほんの一瞬だが、恐怖を忘れて純粋になんて答えようか迷う。


「ねえ、真い――」


 唐突にリルカの声が途切れた。

 同時に、さっきまで自分を縛っていた呪縛のようなものが消えたのを感じる。

 後ろを振り返ることもせず、トイレから全速力で飛び出る。


「おいっ」


 廊下に飛び出したとたん、横から声をかけられて体をびくりと硬直させる。


「ここは職員用のトイレだぞ。学生は向こうのトイレを――」


 声をかけてきたのは何度か校内で見たことのある教師だった。

 確か、三年の数学を担当しているんだったか。

 威勢よく声をかけてきたのはいいが、俺の顔を

確認したら声が急に弱弱しくなっていく。

 ただでさえ凶悪な面なのに、さっきまでの恐怖とストレスでおそらく悪鬼のような顔にでもなっているんだろう。仕方ない。あの直後ににこやかにできるわけがない。叫びだしたくなるのを抑えるので必死だ。


「――まあ、今度から向こうのトイレを使いなさいよ」


 気を取り直したように、教師が言う。


「すいません、ありがとうございました」


 謝罪だけでなく礼も言っておく。

 リルカが俺を逃がしたのはこの教師が近くに来たからだろう。

 当然、教師の方はそんなことを知っているわけもなく、何故礼を言われたのかと困惑した表情をしつつ去っていった。


 呼吸を何度が繰り返し、呼吸を整える。

 腕時計を見ると、既に昼休憩は終わりかけている。


「くそ、休憩なのに、なんか、どっと疲れたな……」


 ひとり呟いて、教室に戻るため歩く。

 今、この疲弊した状態でまたリルカと遭遇したらショック死する自信があるので、なるべく人のいそうな廊下を通って教室まで戻る。

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