探偵少女と幽霊マンション(3)
俺が住んでいる場所の話をする。
湯塚市。人口は確か三十万人程度だったはず。3つの区に分かれていて、俺はその中で一番発展している中央区に住んでいる。発展しているといってもそれは中央区の中心が、まあ都会と言えなくもない程度に発展しているというだけで、その中心からの距離と比例して人口とビルの数は減っていく。中央区でも外れの方は田園風景がのどかな、ドラマかなんかで二十年前のシーンを撮影されるのに使われてもおかしくない場所柄だ。
中心部から少し外れたところ、中心部ほどは発展していないが、自転車に乗れば欲しい物の大半は買うことができるくらいには発展している地域に俺は住んでいる。
静かだし生活には不便はないので気に入っている。
俺はそこで生まれて、そこで育った。一度も引越しはしていない。地元の幼稚園に通い、小学校に通い、中学校に通い、そして高校に通っている。
ちなみに幼馴染であるリルカも同じ幼稚園、小学校、中学校だ。
高校は同じではない。
当たり前だ、リルカは中学生で死んだ。
さて、現在俺が通っている彩文高校は、地元の高校ではあるが公立の高校ではない。私立のそこそこレベルの高い進学校だ。
俺は事故にあってから友達も離れたし、結構長い間入院していたしで暇な時間が死ぬほどあったので、その時間の大半をずっと勉強に使っていた。
意外と頭の方も悪くなかったみたいで彩文高校に合格できたわけだ。
その高校へ向かう途中、厚手のトレンチコートを着ている背の高い後姿を目撃する。
彩文高校ではブレザータイプの制服の着用が義務付けられている。だが、特例としてコート類に関してはその限りではない。
なので冬になると、己のファッションセンスを見せつけるつもりか派手なコートを着てくる学生も結構いる。
ほとんどの学生は無難なコートで間に合せてはいるが。
しかし、現在は五月だ。それも例年よりも生ぬるい五月。
制服も長袖を着ている生徒ともう半袖にしている生徒が半々くらいの割合。湯塚市広しといえどもこの陽気の中、トレンチコートを着ているのは、俺の知る限りは「あの女」か、もしくは冬のファッション特集のために撮影をする雑誌のモデルくらいだろう。
そしてあのトレンチコートは撮影されてはいない。
「あの女」というのは、常にトレンチコートを着ている俺のクラスメイトのことだ。
そして、俺はそのクラスメイトのことが得意ではない。
だからできるだけ顔を合わせたくない。とはいえ別のルートから迂回して学校に向かうような時間的な余裕はないし、このままずっと後ろを気付かれぬまま歩き続けることができるとは思えない。彼女は勘が鋭い。
「やあ、多々良君」
ほら、そう思っている間にトレンチコートの少女は振り向きもせずに挨拶をしてくる。
どうやら俺が後姿を見かけた瞬間に、もう俺の存在を察知していたらしい。
「おはよう、麻滝」
挨拶を返さないのもおかしいので、俺はきちんと朝の挨拶をする。俺は彼女が得意ではないだけであって、決して嫌っているわけではない。好きでもないが。
「ああ、おはよう」
ようやく彼女が振り返る。長い黒髪が揺れる。
トレンチコートを着た後姿からは想像もできない美しい顔がこちらを向く。無機物めいた冷たささえ感じる美貌。切れ長の眼が俺を捕らえる。睨み殺されるかと思われるような眼光だが、別に彼女は怒っているわけじゃあない。普段から厳しい顔をしているだけだ。
彼女の名は麻滝撫子。
麻滝という苗字で呼ばれることを好み、逆に名前の撫子で呼ばれることを嫌がる。
超がつくほどの美人だが、超がつくほどの変人。学内では男女問わずファンは多い。街を歩いているとよくモデルやタレントのスカウトを受けるらしいが、いつも断っているそうだ。
「君に少し話したいことがある」
麻滝が近寄ってくる。
俺に近寄ってくる数少ない人間のうちのひとりが、麻滝だ。
駅前のティッシュ配りすら俺を見ると自然と避けるというのに。
「俺には話したいことはない。近寄るな。『リルカ』が怒る」
「昨日のことなんだが」
俺の言葉は完全に無視だ。
「聞きたくない」
「例の幽霊マンションに行ったんだ」
「は?」
幽霊マンション?
「今、学校で話題になっているだろう。隣町の方にある幽霊マンションだよ」
当然なように言われる。
どうして芥川を知らないの、と言われるみたいな調子だ。
「知らない」
学校で話題になっていようが、俺は知らない。俺に話しかけてくる人間自体がいないんだから。
「幽霊なんて馬鹿馬鹿しいから気にも留めていなかったんだが――我が部に、依頼が入ってしまってね」
「はあ」
ため息と返事の中間。
あまりいい反応とは思えないけど、他の反応が思いつかない。
「依頼がある以上、調査しないわけにはいかない。探偵が仕事の選り好みをするのはハードボイルドじゃあない、そうだろ?」
「知らないよ」
麻滝の言う部とは、彩文高校にて彼女が所属している『探偵倶楽部』のことだ。
依頼を受けて調査することが部活内容。
彼女が創設者で部長だ。
部を作ったくせに、彼女は部員達とはあまり行動を共にしない。「群れるのはハードボイルドじゃあない」からだそうだ。
麻滝からはこの部に何度も誘われているが、部室に行ったことすらほとんどない。
「あまり趣味ではないが、一応お守りを持って行ってね。ほら、君も知ってるだろ、マリアだよ。幽霊マンションに行くと言ったら、彼女からお手製のお守りを無理やりに渡されたんだ」
「ああ、お前の助手の霊感少女か」
俺の脳裏にブロンドの少女の姿が浮かぶ。
「助手ではないよ。探偵倶楽部に所属してはいるがね。彼女が勝手に助手と名乗っているだけだ」
要するに、こいつの熱狂的なファンだ。
「そんなに毛嫌いしてやるなよ」
「失敬な。私は彼女のことを毛嫌いなどしていないよ。ただ、霊感を売りにしている彼女を助手と認めるわけにはいかない。幽霊なんてハードボイルドじゃあないだろう? 探偵たるもの、冷徹な論理とタフさだけで事件を解決するものさ」
言いながら、麻滝はトレンチコートのポケットから紙くずを取り出す。
「何それ?」
紙くずは、千円札ほどの大きさの一枚の紙がずたずたに切り裂かれ、ところどころ焦げているような代物だった。紙くずとしか表現の仕様がない。
「これが私がもらったお守りだよ」
「……多分、これはあれだな、嫌われてるんだ、お前、マリアに。これがお守りのわけないだろ。紙くずだよ、紙くず」
少なくともお守りじゃあない。
「正確には、お守りの成れの果て、だな。本来のお守りはこっちだ」
そう言って今度は別のポケットから折りたたまれた紙のようなものを取り出す。こちらは切り裂かれても焦げてもいない。毛筆らしき筆跡で何やら細かい文字がびっしりと書き込まれている。
なるほど、こっちはちゃんとしたお守りっぽい。
「例の幽霊マンションの調査をしているうちに、このお守りがどんどん紙くず状態になっていってね。十数個持たされたのに、帰る時には残り三つだったよ。他は全て紙くずだ」
「そうか。そりゃあ大変だったな」
話しながら歩いているうちに校門まで辿り着く。さっさと不毛な会話は打ち切りにしたい。
さっきから学生が俺と麻滝を横目で見てはひそひそと囁きあっている。麻滝は有名人だし、俺も悪い意味で有名人だから仕方がない。
とはいえ、いい気分ではない。
「興味を持ったかい?」
「幽霊マンションにか? 持つわけないだろ」
「持ったなら、是非放課後、部室に来てくれ」
全然話が噛み合っていないが、今に始まったことじゃあない。
俺は無視して足を進める。