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探偵少女と幽霊マンション(1)

 夢を見ている。

 それを夢だとは気付かずに、夢を見ている。


 夢の中で、中学生の俺は緊張している。

 口の中はからからだし、情けないことに体は震えている。平静を装っても、膝ががくがくと揺れているのだからばればれだ。

 どういう話かは予想できたけど、だからといって緊張しないわけじゃあない。


 もっとも、緊張は俺の向かいに立っている少女の方がしている。この幼馴染がこんなに緊張しているところを見たのは初めてだ。


 幼馴染の名前は岡上リルカ。

 クラスメイトで同い年、おまけに家もすぐ隣。

 漫画なんかでよくある設定の幼馴染だと思ってもらって問題ない。

 朝、学校に行く前に起こしに来るし、自分の分を作るついでだからと毎日弁当だって作ってくれる。とは言っても普段の行動は家庭的とは対極で、よく言えば快活、悪く言えばガサツだ。


 そんなリルカが、顔を真っ赤にして、口をもごもごとさせながら、、俺の前に突っ立っている。

 子どもの頃からの付き合いの俺も、こんな様子のリルカは初めて見る。何か言いたいらしいが、言葉がうまく出てこないようだ。もどかしそうに黙っている。


 学校帰り、夕暮れの歩道で、俺とリルカは五分以上無言のまま向き合っている。

 人通りがないからいいものの、もし誰かに見られたら心配して声をかけられてもおかしくない。そうなったら末代までの恥だ。


「あー……リ、リルカ」


 痺れを切らして俺は口を開く。


「その、話って、な、何?」


 我ながら白々しい。確かに「話があるんだけど」と振ってきたのはリルカだが、こっちとしても何の話か大体の見当はついている。

 とはいえ、ここで何の話か質問する以外にどういう手を使えばいいのか分からない。


「…………い、いや……その……」


 俺の言葉に反応してリルカは口を開いて何か言おうとしたが、すぐにまた口を閉じてもごもごと動かすだけになる。顔を真っ赤にしてうつむく。


 いや、本当に、誰だこれ?

 普段とのギャップが凄い。

 一言で言うと可愛らしい。


 ……しかし、どうしてだろう。どうしてこいつは、俺に惚れているんだろうか?


 リルカが俺に惚れているのは、多分俺の勘違いや自意識過剰じゃあない。

 物心がついた時から、リルカが俺に向ける態度は単なる幼馴染に見せるものとは違っていた。

 人といる時はいつも騒がしいのに、俺と二人きりの時だけ妙に静かになって頬を染める。昼休みが終わったらすぐに弁当の感想を聞いてきて日に日に弁当を俺好みに改良する。

 俺の友達も皆「見てるこっちがじれったい」とか「さっさと告白しろ」とか好き勝手言っている。言いたくなる気持ちも分かる。客観的に見て、俺とリルカの関係は既に恋人同士みたいなものだった。


 実際、告白したら受け入れてくれるだろうという自信はあった。

 それなのに告白しなかったのは、リルカにそういう感情を持てないから、というわけではない。むしろ逆だ。

 俺がはっきりとした行動を起こさなかったのは、怖かったからだ。

 リルカが俺のことを好きな理由が分からない。

 そう、理由の分からないものは怖い。お化けと一緒だ。よく分からないものは、それだけで怖い。


 リルカの顔は整っていてどことなく中性的で、そのせいか男子のみならず女子からさえ人気がある。

 ショートカットの髪型や彼女が好んでいたボーイッシュな服装も、その顔立ちによく似合っていた。

 スタイルも悪くない。背が特別高いわけではないが、手足が長いので実際よりも背が高くすらりとして見える。

 性格は多少賑やか過ぎる気もするが、人見知りせず誰とでもすぐに仲良くなるし、面倒見もいい。

 成績は常に上位でよくクラスメイトの勉強を見ているみたいだし、所属している陸上部では長距離で期待されている。


 さて、それに比べて俺はどうだろうか。

 容姿はどう贔屓目に見ても平凡、勉強が特別できるわけでもなく、運動も普通。

 帰宅部だし、性格も特に面白みがあるとは思わない。

 要するに、リルカとはどこをとっても釣り合わない。幼馴染である、という一点で奇跡的に親しかったようなものだ。


 そのリルカが、俺の目の前で告白しようとしている。しかも、緊張してそれができないでいる。


 都合のいい漫画か何かのような展開だ。古典的な方法だけど、頬をつねって夢じゃないか確かめたくなってしまう。


 しかし、相変わらずリルカは喋らないな。このままでいるのは、俺もつらいしリルカだってつらいだろう。


 俺は意を決する。


「あ、あのさ……」


 やっぱりこういうのは男から言うべきだろう。いささか変則気味だが、ここで俺から告白するというのはどうだ。

 そう思って口を開いたが「あのさ」から先が口から出てこない。


「……」


「……」


 またお互いに無言で見合ってしまっている。

 恥ずかしいのに視線をそらせず、何故か俺はリルカの顔をじっと見てしまう。

 リルカの瞳に映っている俺の顔がはっきりと見える。緊張で強張っている。顔色が赤いのは夕焼けのせいだけじゃあないだろう。

 自分がどんな顔をしているのか自覚したとたんに、余計に緊張してくる。


「あ、あ、あのさ、ほら……」


 それでも何か言わないと、と思うが口がうまく動いてくれない。


「あたし」


 悪あがきのように搾り出した意味のない俺の言葉を、リルカが遮った。


「あたし、あんたのこと、好きみたい」


 顔を真っ赤にして俯いたまま、リルカはそれだけ一気に言った。


 ……ああ。言われた。先に言われた。

 呆然とする。

 嬉しすぎるからだ。嬉しすぎて呆然とするなんて生まれて初めてだ。

 それでようやく、俺は自分で思っていたよりもずっとリルカのことを好きだったと今更気付く。


「あっ、別に、それだけだから。返事、すぐに聞かせてってわけでもないし」


 俺が黙っているのを見て、リルカは慌てたように言う。

 くるり、と俺に背を向ける。


 まずい、このままリルカと別れたらまずい。言わないと、何か言わないと。

 けど、何を言えばいい?


「俺も好きだ」


 俺が混乱して迷っている間に、俺の口が勝手に動いた気がする。


 時間が止まる。


 あれ、誰だ今ありきたりな、それでいて恥ずかしいセリフ言ったのは。

 俺? 俺か。口が勝手に動いていた。


 俺は固まっている。

 リルカも背を向けたまま固まっている。


 やばい、やばいやばいやばい。

 なんかやっちゃったのか、俺?

 こいつは、マジで取り返しのつかない失敗をしたのかもしれない。俺の短い人生で最大レベルの失敗を。


「いや、今のはそ――」


 不安で混乱しながらの言葉が途中で止まる。

 リルカが振り返ったからだ。


 泣いていた。リルカが泣いているのを見るのは久しぶりだ。

 まだ子どもの頃、満面の笑みで食べようとしていたチョコクッキー入りのアイスクリームを地面に落としてしまった時以来だ。


 泣いてる。

 リルカが。

 どうして? 俺のせいだよな。え、嫌だったのか? そんな馬鹿な。


「……嬉しい」


 混乱して棒立ちになる俺に、リルカが言う。泣きながら笑う。


「でも、いいの? 本当に、あたしで?」


 いやそれはむしろこっちのセリフでそっちが俺でいいのか、と言おうとしたが、口がぱくぱくと動くだけだ。


「あたし、凄い嫉妬するよ……束縛も」


「あ、ああ、それは――」


 それはなんとなく分かっていた。


 リルカはさっぱりとした性格で誰とでも気さくに話す、嫉妬なんて縁遠い奴に思える。

 しかし、実際は俺が他の女の子と喋っているだけで地獄の底のような目で睨みつけてくる。幼稚園の頃からだ。

 最初は、それがどういう意味か分からずにただただ困惑していたものだ。

 まさかリルカが嫉妬しているだなんて思いもしなかった。

 周りで浮いた話が出てきて、女の子を意識するようになって、それでリルカの目の意味も何となく分かって、それでもしばらくは俺なんかのためにあのリルカが嫉妬するなんて半信半疑だった。


 けど、正直なところ、それが嫉妬だと確信できた時、俺は飛び上がるくらいに嬉しかった。

 

「いいよ。それでも好きだ。付き合ってくれ」


 言ってしまった。勢いに任せて言ってしまった。言ってから自分で驚いている。


「えへへ」


 泣き笑いしたままリルカが笑う。可愛い。たまらない。


 これから、この娘と、リルカと付き合えるのか。最高だ。信じられない。

 泣き笑いを見ながら、俺は幸せだと全力で叫びたくなる。


「浮気したら刺すから」


 とびきりの泣き笑い顔でリルカが言う。


 ん? え?

 思考が止まる。


「あ、浮気っていうか、他の女に近づいたら刺すから」


 刺す?

 冗談、だよな。冗談のはずだ、笑ってるし。


 そう、リルカは泣き笑いから普通の笑顔に戻っている。笑顔もかわいい。たまらない。

 だから、冗談なんだろう。笑いながら、照れ隠しの冗談。

 だよな?


「ははは」


 意識して俺は笑うが、声が乾いていることが自分でも分かる。


「じゃ、じゃあ、俺の方がそんな気がなくても、向こうから迫ってきたら?」


 念のために訊いておく。

 念のためだ。あくまで念のため、リルカの冗談に乗っただけだ。


「馬鹿。あんた、そんなにもてないでしょ」


 笑いながら返される。ついでに肩にパンチ。いつものリルカだ。

 よかった、やっぱり冗談だったか。


「でも、もしそんな女がいたら、その女を刺すわ」


 笑顔のまま言われる。

 リルカの目が、沼みたいに光を失っている気がする。


「……」


「……」


 また無言で向き合う。

 けど、さっきまでのとは意味合いが違う。


 リルカは笑顔、俺の顔は多分強張っている。緊張ではなく恐怖で。


 冗談だろう。冗談のはずだ。リルカはちょっと嫉妬深いところはあるが、それだけでおかしいところはなかった。

 確かに俺が他の女の子と喋っているだけで睨まれるし、その後で何を話したのか詰問される。深夜までずっと。

 ん、やっぱりちょっとおかしいか? いや、しかし。

 考えがまとまらない。


「やっぱり」


 リルカの笑みに寂しさが混じる。


「ひくよね、こんな女。うん」


 瞬間、猛烈に腹が立つ。

 もちろん、自分にだ。


 さっきのリルカの発言が世間一般に見て受け入れられにくいことなんて、余程の馬鹿でない限り分かる。

 それなのにリルカは言った。どうして? 俺に隠したくないからだ。自分を隠したまま付き合ったりしなかったからだ。

 そういうリルカに対して、俺は何をしている。ここで何も言わずに突っ立っているなんて、どういう間抜けだ。


 リルカがどんなに嫉妬深かろうが、俺の感想は一つだ。


「俺は」


 意を決して叫ぶようにして言う。


「そんなの気にしない。付き合ってくれ」


 だって、好きなんだから、しょうがない。


 まあ、実際にはやや嘘が混じっている。

 気にしないというのはさすがに無理がある。気にはする。


「……本当?」


 リルカの瞳から再び涙が溢れつつある。


 やっぱり、可愛い。

 素直にそう思う。


「本当だよ」


「あたし、今までずっとあんたが女の子と喋る度に怒ってた」


「知ってたよ」


「あんたが他に好きな女の子いるんじゃないかって心配で、あんんたのこと見張ってた」


「なんとなく、気付いてた」


「家にいる時はずっと、窓からあんたの部屋を監視してた」


「知って……え、何? 監視?」


「それでも、こんなあたしでも、いいの?」


「あ……あ、ああ! もちろん!」


 カミングアウトに戸惑いながらも、はっきりと言い切る。ここで引いたら男が廃る。


「……うん、分かった。じゃあさ、付き合って!」


 涙をこぼしながら笑って、リルカは右手を差し出してくる。


 これは、付き合う第一歩として、まずは手を握れってことか。


 よし、やってやる。

 俺も右手を差し出す。

 これで、握手したらリルカは俺の彼女か……心拍数が上がってきた。ああ、おかしくなるくらい嬉しい。自分で浮かれているのが分かる。


「ちょ、ちょっと」


 リルカはもとから赤かった顔を更に赤くしている。


「あんたも右手だしたら、握手になっちゃうでしょ」


「あ、そうか」


 気付かなかった。相当に浮かれているらしい。


「ははは」


 照れ隠しに笑ってから、改めて左手を差し出す。


 俺の左手がリルカの右手が繋がろうとしたその時、音が聞こえる。


 何の音だ?

 金属がこすれるような音。テレビでよく聞く音だ。

 ブレーキ音?

 リルカから視線を外して、彼女の背後に目をやる。


 そこからは、スローモーションだ。


 車道にトラック。

 ふらついている。

 歩道に乗り上げる。

 すべるようにして俺とリルカにトラックが近づいてくる。

 リルカは後ろを見ていない。

 笑ったままだ、幸せそうに。

 俺は何も言えない。動くこともできない。

 凍り付いている。

 トラックが迫る。

 次の瞬間、俺とリルカが潰されるのが予想できる。

 でも、俺は動けない。

 トラックが更に迫る。

 ようやく、リルカが背後が騒がしいことに気付いて、俺から視線を外す。振り返ろうとする。振り返るのは間に合わない。

 トラックがもう、リルカのすぐ後ろにまで迫る。


 そして。

 衝撃。轟音。

 暗転。

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