10 贈り物
その一部始終、事の成り行きを見守っていたのは隣の部屋で、おにぎりを食べていたみすず達年長の園児だった。時折、大人の大きな声が聞こえ、子供たちを不安にさせてのだ。付き添っていた先生はいた。いつも子供たちを見守っているみすずの担任の遠藤先生と、パートの原先生だった。二人は、ドアのそばから子供を離そうとしたのだが、子供たちは、大人たちの唯ならぬ空気を察していた。そして、誰一人先生の言う事を聞かず、ドアの近くに立ちつくしていたのだった。
遠藤と原は、途中でその場から無理に子供を離すのを止めた。子供たちも、事の成り行きを見守る資格がある、と思ったからだった。緑川夫人が席を立つ頃、子供たちの中には、話が理解できるのか、涙をいっぱいためる子たちがいて、遠藤も原もたまらず、子供たちを抱きしめていたのだった。
子供と言うのは不思議なもので、親同士の刺々しい会話の中で、何が正しくて、何が間違っているのかを、理解できないだろう会話の中でも、しっかりと判断している時がある。子供だからと言って、親が言葉に注意しないと、子供から、まるで大人同士のように叱られてしまったりもする。今回の説明会も結局はそうなった。扉一枚隔てた向こうで、親がエキサイトするのと同時に、子供たちは親の無慈悲な会話に腹を立てていたのである。そうして、みすず達は、みすず達なりに実はある作戦を考えていたのであった。
翌日。
年長組の全員が、
「今日は歩いていきたい」
と言いだして、親を困らせた。車で通う全員が、
「ママ(パパ)車はパーキングに停めるんだよ。」
と、注意する。
そうしたある寒い日、子供たちが園庭で、西側のその木々の向こう側に向かって、
「きよ~し、この夜、星はひかり~。」
と大きな声で一斉に歌いだした。慌てた職員たちは、大きな声で静止しようとして、園庭は騒動になった。
「何を大きな声で。歌は中でうたうよ。」
遠藤先生は、声の主たちを抱きかかえるように、その場から離そうとした。「また、怒られちゃうから。静かにして。」そう子供たちに言い聞かせていた時だった。
「だから、煩いって言ってるだろ。」
そう言って、落合さんの窓が開き、中から、いつもの怖いおじいさんが、子供たちに怒鳴ったのだった。
「頼むから、静かにしてくれ。」
その日、子供たちのほとんどが、やはり、落合さんのおじいさんの声にしり込みをした。皆が、一斉に引いたのだった。でも、引かないそう決心して、まずは、みどりちゃんが大きな声を張り上げた。
「落合さん。ごめんなさい。」
みどりちゃんは、大きく深呼吸して、もう一度言った。
「落合さん。ごめんなさい。」
すると、その声に合わせるかのように、子供たちが、一斉に、
「落合さん。ごめんなさい。」
と言ったのだった。落合さんは咄嗟の事に声が出なかった。声の出ぬまま、窓の外を見降ろしていた。
「だめだ。子供を使うなんて。お前たちはおかしいぞ。」
落合さんの怒りは、やはり収まりそうにない。どうやら、その『ごめんなさい』は、大人に言わされていると思ったようで、さらに怒りが増幅しそうになったのだった。
「きよ~し、この夜、星はひかり~。
すくい~のみこは、みははの胸に~」
みどりちゃんの勇気のあとに、続いた子供たちの勇気が、クリスマスの歌となって園庭の西側に響き始めた時だった。
窓を閉めようとした落合さん手を、そっと止める細い手があった。
「幸恵…」
それは、子供を無くし、心を閉ざしていた落合さんの娘さんの細い手だった。
「眠りたもう、ゆ~めや~すく。」
まっすぐな瞳は、落合さんの東側の窓をじっと見据えていた。
「きよ~し、この夜、星はひかり~。
すくい~のみこは、みははの胸に~」
「ううっ…。」
落合さんの目から大きな涙があふれたのだった。
「泣いちゃった……。」
落合さん、泣いちゃったよ。
皆が口々に言いだしたとき、その窓の奥から、落合さんの娘さんが、そうっと、窓の外に顔をだして、折れそうな細い手を振りながら、
「ありがとう。」
そう呟くように言ったのだった。隣で、いつもの怖い落合さんは、その細い体を抱きながら、やっぱりいっぱいの涙を流していたのだった。
そんなこととは知らない大人たちは、
「やっぱり、そんな奴はほっておけない。」
「警察に相談した方がいい。」
そう言って、迎えにやってきたのだけど、子供たちの自信に満ちたその顔に、皆がびっくりしたのだった。
「ママ、きょうね。みどりちゃん、すごかったんだよ。アタシびっくりした。みどりちゃん、やっぱり凄い。」
「?」
でもそれはみどりも同じで、
「ママ、きいて。みすずちゃんね。すごくきれいな声でね、きよし、この夜って、すごく上手に歌えるんだよ。みんなで歌ったんだよ。」
「?」
「落合さんに歌ってあげたんだよ~。」
「!!」
あれから、ほんの少しずつだけど、大人がマナーを守り始めて、子供たちが近所の人に挨拶をするようになった。園庭にあったロープが解かれて、そうして、みすずがやりたくてたまらなかった雲梯で、こどもたちの、きゃっっきゃっとした笑い声が響くようになった。
「みて~。落合さん。みすず、うんていできるんだよ!。」
閉ざされていた落合さんちの東側の窓は、開け放たれている事が多くなった。
卒園の日。保育園に小さなバラのブーケが届いた。卒園時全員のそれぞれの胸につけられたそれは、隣の落合さんと緑川夫人からの贈り物だった。
皆が、その胸にバラのブーケをつけて、どの顔もその瞳を輝かして、そこに立っていたのだった。そうして、巣立った。




