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第100話 灰標団は一人ではない

 旧水車倉庫は、ベルディア東水路の端にあった。


 かつては粉挽きと荷捌きに使われていたらしい。

 今は水車の半分が朽ち、石造りの壁には苔が張り、屋根の一部は黒く焦げている。


 だが、立地は悪くなかった。


 東水路に面している。

 荷車が入れる裏口がある。

 地下に貯蔵室がある。

 表通りから少し外れているため、目立ちすぎない。

 ギルドからも亜人街からも、遠すぎない。


 灰信線の中継板を置くにも、救出者の一時保護にも、証拠箱の仮保管にも向いている。


 レオナは腕を組んで、古びた倉庫を見上げた。


「ボロいが、使える。元は黒鞭商会が荷の隠し置きに使っていた倉庫だ。差し押さえ後、ギルド管理になっている」


 バルザが鼻を鳴らす。


「黒鞭の匂いが残ってるな」


「だからこそ、洗う意味がある」


 レオナはそう返した。


 透は倉庫の前で、灰域を薄く広げた。


 朽ちた木。

 古い水。

 腐った縄。

 焦げた紙。

 黒鞭商会の所有権札の残滓。

 さらに奥に、白い目の気配が薄く混じっている。


 白倉そのものではない。


 だが、白倉と繋がった者が一度触れている。


 透は目を細めた。


「きれいな物件じゃないな」


 レオナが鼻で笑う。


「きれいな物件を、お前らが使うと思うか?」


「思わない」


「ならちょうどいい」


 オルガは倉庫の周囲を一周するように歩いていた。


 槍筒を背負い、足元の泥や壁の傷を見ている。

 Aランク冒険者の視線は、ただの物件確認ではなかった。


 侵入口。

 射線。

 逃走路。

 火を放たれた時の燃え方。

 水路からの接近。

 荷車を止める場所。


 その全部を見ている。


「正面入口は狭い。襲撃されたら詰まる。裏口は荷車に便利だが、敵も入れる。地下水路に蓋がいる」


 レオナが頷く。


「改修費は?」


「高い」


「だろうな」


 ダグラスが苦笑する。


「クラン作ったばかりで、いきなり金が飛ぶな」


 バルザが笑った。


「稼げばいい。白倉の連中がまだまだ仕事を運んでくるだろ」


 その言い方に、レオナは否定しなかった。


 相良たちも同行していた。


 相良、美琴、真由、黒瀬、芽衣、久世。

 それにアルマ。


 彼らは正式な灰標団員ではない。

 だが、白花の証拠を見届けた者として、地上支部候補の確認にも立ち会うことになった。


 久世は倉庫を見て、少し眉をひそめている。


「ここを拠点にするのか」


 アルマが答える。


「水路に近いのは強いです。物資運搬にも、退避にも使えます」


「敵にも使われるだろ」


「だから塞ぐ場所と残す場所を決めるんです」


 久世は黙った。


 以前なら、古い倉庫など「みすぼらしい」と切り捨てていたかもしれない。

 今は、そこに役割を見ようとしている。


 ルカは水車の下を覗き込んでいた。


 道番の板を抱え、小さな足で石の縁に立つ。


「水の道、二つ。ひとつは街の下。ひとつは古い荷の道」


 レオナがすぐに顔を向ける。


「荷の道?」


「うん。水じゃない。水の横に、乾いた道。小さい人なら通れる。箱も通った」


 シェラの右目が光る。


「地下水路横、隠し搬送路の可能性。黒鞭商会使用痕跡あり」


 レオナが舌打ちした。


「差し押さえ時に見落としたか」


 オルガが戻ってくる。


「見落としたというより、隠されていたんだろう。子どもか小柄な奴を運ぶ道だ」


 その言葉で、空気が少し冷えた。


 透は倉庫の扉へ向かった。


「中を見る」


 リィンが隣に立つ。


「扉に首輪」


「首輪?」


「建物用の所有権線。黒鞭式。あとから白い線が縫ってある」


 シェラが記録板を開く。


「黒鞭所有権札、白倉系追記線。建物を再取得または焼却するための仕込みと推定」


 レオナが顔をしかめた。


「差し押さえた後に仕込まれたか」


「可能性、高」


 透は扉へ灰糸を伸ばす。


 その前に、リィンの青い針が三本飛んだ。


 扉の木目に沿って、見えない線が浮き上がる。

 黒い線。

 白い線。

 赤く焦げかけた線。


 黒鞭の所有。

 白倉の監視。

 焼却命令。


 リィンは無詠唱で針を増やした。


 一つ、二つ、三つ。

 扉だけではない。


 壁。

 窓枠。

 水車軸。

 地下への階段。

 床板の節。


 青い封印針が、倉庫全体へ散っていく。


 真由が息を呑んだ。


「何本、同時に……?」


 シェラが即答する。


「現在、二十七本。干渉点、四十二。優先処理、焼却線十二、所有権線九、警報線六」


 美琴は自分の手首に残る封環痕を押さえた。


「リィンちゃん、あれ全部見えてるの……?」


 リィンは静かに言う。


「全部じゃない。必要なところだけ」


 オルガの目が細くなった。


「封印術師としては異常だな」


 リィンは返事をしなかった。


 透が灰糸を伸ばす。


「浮いた線から喰う」


「うん。外枠は残す」


 リィンが結び目を浮かせ、透が命令だけを灰にする。

 建物そのものは壊さない。

 黒鞭の所有権札も、白倉の追記線も、証拠として残る。


 扉が静かに開いた。


 倉庫の内部は暗かった。


 広い一階には、古い荷棚と空の樽が並んでいる。

 奥に朽ちた水車軸。

 右手に事務室らしき小部屋。

 床の一部は湿り、黒い縄の切れ端が落ちていた。


 その瞬間、シェラが一歩前へ出た。


「停止」


 全員が止まる。


 シェラの右目が細く光る。


「床下、圧力札。踏破時、地下水路の蓋を開放。侵入者を落下させ、同時に証拠焼却粉を散布」


 バルザが口笛を吹く。


「歓迎が手厚いな」


 シェラはしゃがみ、床板に指を置いた。


 灰殻の指先から細い保守糸が伸びる。

 床板の隙間へ入り、圧力札の構造を探る。


 カチ、と小さな音。


 シェラは床板を外さない。

 札を破らない。

 起動する命令だけを保守糸で固定する。


「圧力札、起動不能化。証拠性維持」


 レオナが呆れたように言う。


「ギルドの罠解除担当より早いな」


「記録役ですので」


「罠解除も記録役の仕事か?」


「記録のために必要です」


 オルガが低く笑った。


「便利な記録役だ」


 全員が中へ入る。


 その時だった。


 倉庫の奥、古い水車軸の影から、白い光が走った。


 警報線ではない。


 待機していた何かが、リィンと透の処理に反応して起動した。


 床下から、黒い縄が一斉に跳ね上がる。


 同時に、二階梁の影から人影が落ちた。


 剣杯私兵。

 黒鞭の縄使い。

 白い布を巻いた回収人。

 さらに、地下水路の暗がりから、鉄枷をつけた巨躯の男が這い出してくる。


 人ではある。


 だが、肩と腕に魔導具を埋め込まれ、黒鞭の強制札で動かされている。


 敵の数は十六。


 透は灰骸刀へ手を伸ばした。


 だが、抜くより先に指示を出す。


「リィン、建物の線。バルザ、巨体。シェラ、左と記録。ネイラ、火。ルカ、水車下。黒瀬、逃げ道。久世、証拠箱側へ出すな」


 全員が動いた。


 透が全部を斬る必要はなかった。


 リィンの青い針が、倉庫内を走る黒縄の命令線を縫い止める。


 黒鞭の縄は、ただの縄ではない。

 絡まった相手の職能や魔力を縛り、動きを奪う。


 だが、リィンは縄を切らない。


 縄に残った所有命令だけを浮かせ、絡む前に止める。


「右、三本。上、二本。床下、まだある」


 透の灰糸がその命令を喰う。


 縄は力を失って床へ落ちた。


 剣杯私兵が火札を投げる。


 ネイラが外套を払った。


 黒角が一瞬だけ見える。


 黒炎皿から細い火が伸びた。


「燃えるな」


 黒炎は火札そのものを焼かない。

 火を広げる命令だけを舐め取る。


 火札はただの紙片になって落ちた。


 次に投げ込まれた爆薬壺も同じだった。

 壺の中の粉を爆ぜさせる命令だけが、黒炎に食われる。


 壺は床で割れたが、火は出ない。


 ネイラは鼻を鳴らす。


「雑な火だ」


 オルガはそれを見て、低く言った。


「魔族だから危険なのではないな」


 レオナが横目で見る。


「何だ」


「あれをあの精度で扱えるから危険だ」


 その間に、鉄枷の巨躯がバルザへ突進した。


 肩に埋め込まれた魔導具が唸る。

 床板が砕けるほどの踏み込み。


 ダグラスが思わず剣を構えた。


「まずい、あれは――」


 バルザが真正面から受けた。


 両腕で巨躯の腕を掴み、足を踏みしめる。


 倉庫の床が軋む。


 巨躯の突進が止まった。


 バルザは笑っていた。


「軽いな」


 巨躯の男が唸る。

 強制札が赤く光る。


 さらに力が増す。


 バルザの足元の床が沈む。


 だが、下がらない。


 後ろには、リィンとルカがいる。

 さらに奥には証拠箱を置く予定の部屋がある。


 抜かせない。


 バルザは巨躯の腕を捻った。


 骨ではなく、肩に埋め込まれた魔導具の軸を狙う。


「ここか」


 ばきん、と金属が折れた。


 巨躯の強化が一瞬乱れる。


 バルザはその隙に膝を蹴り、体勢を崩した相手を床へ叩きつけた。


 殺さない。


 だが、立てない。


「重い荷は俺の仕事だ」


 ダグラスが唖然とする。


「今の、B級前衛二人でも止まるか怪しいぞ」


 バルザは肩を回す。


「そりゃどうも」


 一方、敵の中で最も冷静だった者たちは、シェラを狙った。


 記録役を潰せ。


 白花で得た教訓なのだろう。


 証拠を残す機兵を壊せば、灰標団の力は半分落ちると考えた。


 三人の暗殺者が、梁の上から同時に落ちる。


 一人は短剣。

 一人は針。

 一人は記録核を狙う細い槍。


 シェラは振り返らなかった。


 右手には記録板。

 左目は倉庫全体を映し続けている。


「敵性三、記録妨害目的」


 灰殻の左腕が開いた。


 少女の腕に見えていた部分から、薄い灰色の装甲板がずれ、内側から短い骨杭が三本射出される。


 一発目が短剣使いの袖を梁に縫う。

 二発目が針使いの足甲を床に固定する。

 三発目が細槍の軌道を弾いた。


 それだけでは終わらない。


 シェラの腰から、細い保守糸が伸びる。


 倒れかけた暗殺者二人の手首を絡め、互いに引き寄せる。

 二人は空中で衝突し、床へ落ちた。


 三人目が背後へ回り込む。


 シェラの首が、人間ではあり得ない滑らかさでわずかに回った。


 右目の記録光が強く発光する。


 暗殺者の視界が白く潰れる。


 次の瞬間、シェラの膝が相手の腹部へ入った。


 鎧越しに衝撃が抜ける。


 暗殺者は息を吐いて崩れ落ちた。


 シェラは記録板から手を離していない。


「敵性三、制圧。記録継続」


 オルガが初めて、わずかに眉を上げた。


「記録役じゃないのか」


 シェラは淡々と答えた。


「記録役です」


「なら、なぜ前衛を三人潰している」


「記録の妨害でしたので」


 レオナが額を押さえた。


「……中央ギルドにどう報告すればいいんだ、これは」


 オルガは短く言う。


「そのまま書け。記録役が近接制圧可能、と」


「査定欄が壊れる」


 透はそのやり取りを聞きながら、倉庫中央へ進んでいた。


 敵の白布回収人が、奥の事務室へ逃げ込もうとしている。


 そこには古い帳簿棚がある。


 おそらく、倉庫の隠し搬送記録が残っている。


 燃やすつもりだ。


 透が動こうとした瞬間、ルカが叫んだ。


「そっちじゃない! 下に逃げる!」


 白布回収人は事務室の扉へ向かったように見えた。

 だが、足元の床板が沈む。


 隠し搬送路。


 黒瀬がすでに動いていた。


「見えた」


 彼女は床板の影へ短剣を差し込み、開きかけた蓋を止める。

 だが、内側から強い力が蓋を押す。


 その瞬間、ルカが水車下を指した。


「出口、あっち!」


 透は灰糸を水車軸の下へ走らせた。


 隠し搬送路は、事務室の下から水車軸の下へ繋がっている。

 敵は床下へ潜り、外の水路へ逃げるつもりだった。


 だが、道番が先に見ていた。


 水車下の暗がりから白布回収人が這い出した瞬間、透の灰糸がその両腕を縛った。


 回収人は驚愕する。


「なぜ、ここが――」


 ルカが真剣に言った。


「道が言ってた」


 回収人の顔が歪む。


 透は灰糸を引いた。


 回収人の体が床へ叩きつけられる。


 自害札が起動する前に、リィンの針が喉元へ飛ぶ。

 透の灰が命令を喰う。


「死ねない」


 透は短く言った。


「吐け」


 回収人は震えた。


 戦闘は長く続かなかった。


 黒鞭の縄使いはリィンに命令を抜かれ、バルザに床へ積まれた。

 剣杯私兵の火札はネイラに無力化された。

 暗殺者はシェラに制圧された。

 隠し搬送路はルカに見破られ、黒瀬と透が塞いだ。

 久世とアルマは入口側を守り、抜けようとした敵だけを止めた。

 ダグラスは証拠棚の前に立ち、誰も近づけなかった。


 透が灰骸刀を抜いたのは、一度だけだった。


 倉庫中央の床下に隠されていた白倉の小型印。

 建物を再取得し、灰標団の拠点化を失敗させるための命令。


 それだけを、リィンが浮かせ、透が斬った。


 倉庫は壊れなかった。


 証拠も残った。


 捕縛者も生きている。


 そして、灰標団の仲間たちは、それぞれの役割で敵を潰していた。


 オルガは倉庫の中央に立ち、しばらく黙っていた。


 その視線は、透だけを見ていない。


 リィンの針。

 バルザの腕。

 シェラの灰殻。

 ネイラの黒炎。

 ルカの道番の板。

 黒瀬の足。

 久世とアルマの後方防衛。


 全部を見ていた。


「なるほど」


 オルガは低く言った。


 レオナが捕縛者を縛りながら問う。


「何がだ」


「灰喰い一人が危険なんじゃない」


 その言葉に、倉庫内の何人かが顔を上げた。


 オルガは続ける。


「この団は、役割の質がおかしい。前衛、封印、記録、道、火、証拠保全、後方防衛。全部が噛み合っている」


 バルザがにやりと笑う。


「褒めてるのか」


「警戒している」


「そりゃ上等だ」


 オルガは透を見る。


「お前が強いのはわかっていた。だが、それだけではない。お前の周りも、地上基準ではまとめて異常だ」


 久世はその言葉に、強く拳を握った。


 透だけではない。


 リィンの封印。

 バルザの前衛。

 シェラの制圧。

 ネイラの火。

 ルカの道。


 久世は、また見せつけられた。


 自分は篠宮透だけを見ていた。


 だが、その周囲も全部、戦える。


 しかも、それぞれが違う形で。


 相良は倉庫の入口で、静かに呟いた。


「勇者組より、役割が噛み合ってる……」


 美琴が何も言えずに頷く。


 真由は記録を見ながら、顔を引き締めた。


「これは、普通のクランじゃない」


 レオナがため息を吐く。


「普通のクラン登録用紙で通したばかりなんだがな」


 シェラが淡々と言う。


「修正申請が必要ですか」


「やめろ。仕事を増やすな」


 少しだけ空気が緩む。


 だが、オルガはまだ真剣だった。


「灰標団をC級どころか、通常査定に入れるのは無理がある」


 レオナが苦い顔をする。


「中央ギルドに同じことを言ってくれ」


「言う」


 オルガは即答した。


「これはパーティではない。小さな軍に近い」


 その言葉に、透は目を細めた。


「軍じゃない」


「今はな」


「その言い方をやめろ」


「事実を言っている」


 オルガは倉庫を見回した。


 倒れた敵。

 残された罠。

 壊れなかった証拠。

 守られた建物。

 役割ごとに動いた仲間たち。


「軍でないと言うなら、なおさら規約を整えろ。力がある集団は、外から勝手に名前をつけられる」


 透は黙った。


 地上に打った灰標。


 その最初の場所で、もう敵は来た。


 だが、灰標団は崩れなかった。


 透一人が蹂躙したわけではない。


 リィンが線を止めた。

 バルザが重い敵を止めた。

 シェラが記録を守りながら敵を制圧した。

 ネイラが火を殺した。

 ルカが道を見た。

 ほかの者も、それぞれの位置を守った。


 透は倉庫の奥へ歩いた。


 事務室の棚に、古い帳簿が残っている。

 黒鞭の荷。

 剣杯への横流し。

 白倉の追記。

 水路下の搬送路。


 ここも、名前を消す場所だった。


 なら、ここを名前を戻す場所に変える。


 透は振り返った。


「ここを使う」


 レオナが問う。


「本気か? 罠だらけだぞ」


「外せばいい」


 リィンが頷く。


「線は見えた」


 シェラが続ける。


「改修案を作成可能。圧力札を警報床へ転用。地下搬送路は封鎖または監視路へ変更。水車軸は灰信線中継に使用可能」


 ネイラが言う。


「燃え線は全部焼く。だが、火除けには使える」


 バルザが笑う。


「正面の床は補強だな。俺が踏むと抜ける」


 ルカが水車下を指す。


「あそこ、灰標置ける。水の道と帰る道、つながる」


 透は頷いた。


「なら決まりだ」


 オルガが腕を組む。


「ずいぶん早いな」


「使えるものは使う」


「敵の罠があった場所だぞ」


「だからいい」


 透は倉庫の暗い床を見た。


「ここで人を運んだなら、ここで人を戻す。名前を消す荷道だったなら、戻る道に変える」


 ルカが小さく頷いた。


「荷の道じゃなくて、人の道」


「そうだ」


 レオナはしばらく黙っていた。


 やがて、深く息を吐く。


「わかった。旧水車倉庫、灰標団ベルディア支部として仮貸与する。罠の解除と証拠回収が終わってから正式契約だ」


 シェラが記録する。


「灰標団ベルディア支部、仮決定」


 バルザが手を叩いた。


「よし。まず掃除だな」


 ネイラが嫌そうに顔をしかめる。


「燃やしていいか」


「駄目だ」


 リィンと透が同時に言った。


 ネイラは舌打ちした。


 倉庫の外では、東水路の水が静かに流れている。


 かつて黒鞭が荷を隠した場所。

 白倉が再利用しようとした場所。

 罠と所有権線で縛られていた場所。


 そこに、灰標団の最初の地上支部が置かれる。


 透は水車の朽ちた輪を見上げた。


 まだ回らない。


 だが、直せば動く。


 水が流れ、灰信線が灯り、名簿棚が置かれ、救出者が一晩眠れる部屋ができる。


 地上にも、戻る場所が増える。


 透の腰で、サリカの骨玉とリザの白布、ノイの細糸が揺れた。


 灰標団は、透一人ではない。


 そのことを、古い倉庫の中にいた全員が見た。


 そしてたぶん、敵も見た。


 だから次は、もっと強く潰しに来る。


 透はそれをわかっていた。


 それでも、ここに灰標を打つ。


 奪われた道を、戻る道へ変えるために。


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