一話:じょしこうって何?
街が、ぐにゃりと歪んだ。
それが、透が見た最後の景色だった。
山奥の村から歩いて三日目。
アスファルトというものは、どうやら地面のくせに熱を持つらしい。
「……罠か」
呟いた瞬間、視界が白く弾けた。
次に目を覚ましたとき、天井が知らない模様をしていた。
◇
「起きたー!」
元気すぎる声が鼓膜を叩く。
透の視界いっぱいに、少女の顔。
距離が近い。近すぎる。
「……敵か?」
「ちがうよ! 味方だよ!」
少女はくるりと回転して距離を取る。
肩までの髪がふわりと揺れ、陽の光を弾いた。
「朝倉陽菜。あなたを拾った人です」
「……拾われたのか」
「うん。道の真ん中で倒れてた。びっくりしたー」
どうやら熱中症らしい。
水を飲まされ、塩タブレットなるものを口に放り込まれ、額には冷却シート。
現代文明は容赦がない。
「ここは?」
「うち!」
「なぜ」
「倒れてたから!」
理屈は通っている。
やがて部屋に入ってきたのは、穏やかな女性と、長い銀髪の少女だった。
「母の澄江です」
「姉の紗夜です」
二人とも、透を見て一瞬だけ目を丸くしたが、すぐに柔らかく微笑んだ。
人は街に出ると、知らない人間を家に入れるらしい。
都会、恐るべし。
事情を話すと、澄江は困ったように笑った。
「行くあてがないのね」
「はい」
「……空いている部屋があるわ」
案内されたのは、廊下の一番奥。
扉が静かに開く。
整いすぎている。
机の上に埃はない。
本棚は几帳面。
ベッドは、今日寝る人を待っているように綺麗だ。
「綺麗ですね」
透が言うと、澄江は一瞬だけ目を伏せた。
「ええ。たまに掃除してるの」
それだけ。
◇
夜。
布団の中で、透は天井を見つめていた。
静かすぎる部屋。
誰かの生活の名残が、わずかに残っている。
翌朝、廊下で足を止める。
澄江が、この部屋の前で一瞬だけ立ち止まり、そっと扉に触れた。
そして何事もなかったように笑顔で振り向く。
「透、朝ごはんよ」
居間の写真立て。
四人家族。
中央に立つ男性。
優しそうな目をしている。
「パパね、事故でねー」
陽菜があっさり言う。
「陽菜」
紗夜が小さく制する。
透は理解する。
ここは父の部屋だ。
空いているのではない。
“残されている”。
箸を持つ手が止まる。
――気を使わせている。
透は、それが嫌いだった。
◇
その日の夜。
透は決める。
居候は、距離を生む。
距離は、遠慮を生む。
遠慮は、面倒だ。
翌朝。
朝食の席で、透は言った。
「″僕は、この家の長男の朝倉透だ″」
沈黙。
味噌汁の湯気が止まった気がした。
「″陽菜の兄で、紗夜の弟で、母さんの息子だ″」
言葉が落ちる。
空気が、わずかに波打つ。
澄江が瞬きをする。
「……透?」
「″前まで一緒に住んでいなかったのは、感染症で隔離されていたからです″」
陽菜が「えっ」と声を漏らす。
「″感染させる可能性があったので面会はなかった。だが治った。だから帰ってきた″」
数秒の空白。
そして。
「……そうだったわね」
澄江の目に涙が浮かぶ。
「よく頑張ったわね」
「え、じゃあほんとにお兄ちゃんずっと入院してたの!?」
陽菜がテーブルを叩く。
「かわいそー! でも帰ってきたからいいよね!」
紗夜はじっと透を見つめ、それから小さく微笑んだ。
「おかえりなさい、兄さん」
透は小さく息を吐く。
整った。
これで遠慮はない。
「ところで」
陽菜が箸を振る。
「学校どうするの?」
透は答える。
「通う」
「どこに?」
「陽菜と同じところに」
「……じょしこうだけど?」
じょしこう。
初めて聞く響き。
「それは学校名か?」
「え?」
陽菜が説明しようと口を開く。
だが透は、結論を出す。
「″僕がじょしこうに通うのは、何の問題もない″」
陽菜が一瞬固まる。
「……まあ、うん?」
澄江も頷く。
「兄妹で通えるのはいいことね」
紗夜も言う。
「楽しそう」
透は満足する。
じょしこう。
よくわからないが、問題はない。
そのとき彼は、まだ知らない。
“じょしこう”という単語の意味を
◇
じょしこう、という場所に行くことになった。
陽菜の説明を待つという選択肢は、透の中にはなかった。
なぜなら。
「問題はない」と既に結論を出したからである。
◇
今日は夏休みとやらの最終日で、学校は休みらしい
「ほんとに今日行くの?」
門の前で陽菜が聞く。
「休みの日だよ?」
「人が少ないほうが効率的だ」
「何の効率?」
「交渉の」
校門は開いていた。
どうやら部活というものがあるらしく、休みの日でも学校に行く人がいるらしい
◇
職員棟に入ると、廊下の向こうに二人の大人がいた。
年配の女性と、眼鏡をかけた厳しそうな女性。
「あ、校長先生と二年の学年主任だ」
陽菜が小声で言う。
「この人が校長で、この人が兄さんが通うことになる二年で一番偉い人」
一番偉い人。
ふむ、つまりこいつに言霊をかければ良いのか
「″転校の手続きをしたい″」
透は言った。
二人は、透を見て、止まった。
そして
「わかったわ。では、校長室に来なさい」
校長が言う。
「″陽菜はここで待ってろ″」
「わかった」
◇
校長室。
重厚な机。
歴代校長の写真。
“品位と伝統”という額縁。
「で、転校……?」
学年主任が、恐る恐る言う。
透は立ったまま、静かに告げる。
「″僕は明日からこの学校に転校する″」
沈黙。
「″この学校に通うことは、何の問題もない″」
言葉が落ちる。
空気が揺れる。
校長が、はっと瞬きをする。
「……ええ、そうですね」
学年主任も頷く。
「何の問題も……ありませんね」
透は座らない。
立ったまま、淡々と述べる。
「″僕の転校に必要なものを準備しろ″」
校長が頷き、学年主任に命令する
「では、教科書と男子の制服を用意して!確か、昔に共学だった時の男子の制服が残っているはずだわ」
「わかりました」
再び沈黙。
十数分後。
透は、男子用ブレザー一式と教科書の束を抱えていた。
「陽菜帰るぞ」
「え?もう準備できたの?」
「まぁな」
◇
翌日。
透は、完璧に着こなした男子制服で家を出た。
ネクタイよし。
校章よし。
心構え――問題なし。
「兄さん、ほんとにそれで行くんだね」
陽菜が横を歩く。
「制服だからな」
「うん、制服なんだけどね……」
歯切れが悪い。
しかし透は深く追及しない。
なぜなら。
「僕がこの学校に通うのは何の問題もない」
すでに確定事項だからだ。
◇
校門をくぐった瞬間。
空気が、止まった。
視線。
視線。
視線。
女子生徒Aが立ち止まる。
女子生徒Bが二度見する。
女子生徒Cが友達の肩を叩く。
「……男子?」
「え、え?」
「何あれ、演劇部?」
透は思う。
転校生は珍しいのだろう。
◇
職員室。
入った瞬間、ざわりと波が立った。
「ほ、本当に……?」
「聞いてはいましたが……」
「男子が……?」
コソコソ声が飛び交う。
透は思う。
やはり転校生は珍しいのだ。
なので。
「″僕がこの学校に転校するのは何の問題もない″」
言葉が落ちる。
ざわざわが、ぴたりと止む。
「あ、ええ。もちろん」
「何の問題も……ありませんね」
教員たちが急に落ち着く。
便利。
そして学年主任と、若い女の人がやって来た。
「こちらがあなたが通うことになる二年A組の担任の早乙女先生よ」
緊張した感じで早乙女先生が言う。
「早乙女ひよりです。私はずっと女子校で、家族以外の男の人とはあまり接したことがなくて…至らぬ点も多々あると思いますが、よ、よろしくお願いします!」
(うーん。担任の先生ってことは、ずっとお世話になるんだよね…そしたらもう少し気軽に接して欲しいなぁ〜)
「朝倉透です。よろしくお願いします。″僕のことは弟みたいに気軽に接してください″」
「うん。わかったよ。じゃあ透くんって呼ぶね!じゃあ教室に行こっか!」
◇
二年A組。
早乙女先生が扉を開ける。
ガラッ。
三十二人。
全員、女子。
視線が一斉に刺さる。
時間停止。
透は思考する。
……あれ?
教室を見渡す。
スカート。
スカート。
スカート。
スカート。
ズボン、ゼロ。
ここで、ようやく。
透の脳内で単語が繋がる。
じょしこう。
女子校。
女子の学校。
女子しかいない学校。
「……もしかして」
担任が小声で言う。
「自己紹介を」
透は前に出る。
視線が痛い。
女子生徒Dが囁く。
「ほんもの……?」
「男子って都市伝説じゃなかったんだ」
「触ると消えるのかな」
扱いが未確認生物。
透は結論を出す。
――なるほど。
「″僕がこの学校に通うのは何の問題もない″」
教室が、すっと静まる。
「……そう、だよね?」
「うん、問題ない……よね?」
空気が収束する。
「朝倉透だ。よろしく」
以上。
短い。
用意された席は、一番後ろの窓側。
なぜか一席だけ孤立している。
座る。
考える。
やってしまったのでは?
だが。
転校手続き完了。
制服用意済み。
教科書支給済み。
母は喜んだ。
陽菜は納得した。
ここで言霊を使い、
“やっぱり別の学校にします”は――
申し訳ない。
「……しゃあない」
透は覚悟を決める。
女子校に、男子一人。
「まぁ、なんとかなるだろ」
僕は小声でそう呟いた
◇
そして始業式。
体育館。
見渡す限り、女子。
圧倒的スカート率。
「伝統あるこの私立セレスティア・ルミナリエ統合女子高等学院の……」
壇上の校長が挨拶を始めるが、視線はすべて透に向いている。
「……何か言うかね?」
校長が小声で囁く。
透は前に出る。
ざわざわざわざわ。
深呼吸。
「″僕がこの学校に通うことは、何の問題もない。″」
体育館の空気が、すっと整う。
「……問題ないよね」
「うん、問題ない」
全校生徒が納得した顔になる。
◇
放課後。
始業式だけの日なので、早く終わる。
帰宅。
もともとは父の部屋で、今は僕の部屋
ベッドに倒れ込む。
天井を見上げる。
「……どうしてこうなった」
原因は明確。
じょしこうの意味を確認しなかったこと。
だが。
もう遅い。
朝倉透、十七歳。
女子校に通うことが、確定した。
合理性よりも先に、
勢いで人生は決まるらしい。
透は目を閉じる。
明日からが、本番だ。
そしてまだ彼は知らない。
女子三十二人という環境が、
どれほど面倒で、
どれほど騒がしく、
どれほど優しい場所なのかを。
面白いと感じましたら、ブクマ、評価、コメント等をよろしくお願いします。




