参拝者
交差点の角にあった豆の専門店が建て替え工事のために更地になっていることに驚いた。駅からまっすぐに伸びた道をこの交差点で左折して蔵前橋通りをもう少し歩けばいい。毎年2度ほどくるこの亀戸に初めて来たのは、15年前ほどで、当時に大ハマりしていたアーティストの出身地であると知ったからだった。そして、その時に亀戸天神の藤棚と池を泳ぐカメの存在を知った。藤まつりの時期に改めて訪れて、僕は亀戸天神の境内がたまらなく好きになった。個人的に好きで手軽に行ける神社は、その瞬間までは上総の玉前神社と川越の氷川神社だったが、それを亀戸天神はぶち抜いていった。大学の合格祈願のお参りに湯島天神へ誘われたが、なにか浮気をするような気分だったので、その日の帰りにひとり亀戸に降り立ってごめんなさいをしに行ったりもした。
まもなくクリスマスを迎える寒い日の午前10時、教え子の合格祈念のために今年も亀さんに会いに来た。蔵前橋通りの平日は通勤ラッシュも終えた後でゆったりとスムーズな流れができていた。すぐに鳥居があるが騙されてはいけない。こちらは亀戸香取神社の表参道だ。亀さんはもう少し先、川に架かる何とか橋に向けて道が勾配をつけ始めたころになって、右手に大きな看板、その路地の奥に赤い鳥居と奥の太鼓橋が見える。
何語かもわからない言語が飛びながら赤い鳥居越しに太鼓橋の中ほどに立つガールフレンドを写真に収めている観光客に遠慮もせず、鳥居の柱によって深く一礼をした。それを見たのかわからないが、外国カップルはさっきまでのキャッキャウフフを抑えて柱に手を当ててみたり太鼓橋の側面を覗いたりし始めた。橋をのぼって頂点に立つと一面に茶のツルが巻き付いている。見上げれば天にスカイツリーが伸びているが、なぜだかここから見るスカイツリーはいつも高く見えない。緑の瓦の社殿は低いはずなのに周りの少し高い建物よりも包容力がある。太鼓橋を下って池を眺めても、いつもいるはずのカメは岩場にも水の中にも見当たらない。二つ目の太鼓橋も渡り終え、手水舎で手を流した。指先を刺しにくる水はその冷徹さで穢れを落としてくれるに違いなかった。本殿に上る石段にも本殿の賽銭箱の前にも誰もいなかった。さっき鳥居で写真を撮っていた外国人カップルが太鼓橋を渡り終えたところから本殿を見上げてワァオ的なことを言っているようで、それ以外にチラホラ地元の人なのであろう老夫婦が太鼓橋の写真を撮っていた。
本殿に上り握りしめた100円玉を賽銭箱に放った。僕の投げた100円玉は賽銭箱の中でつかえていた1000円札にあたり、それを巻き込んで箱の底へと消えていった。90度の二礼というのは、思っているより深い礼であると知っているので、僕の感覚では前屈に近い勢いが必要だ。まだ清らかで凍てつく両手をみぞおちの前で一度合わせ一つ息を吐いてから恥じることなく柏手を打った。外国人カップルはどんな顔をしているだろうか。少しよぎったが、亀さんへの挨拶を心の中で唱えた。
今年も恥ずかしながら亀さんの力を頂きにきました。今年の生徒たちも毎年のごとく呑気なものです。不安ですね。やっとエンジンがかかってきました。ええ、大変ですとも。ですので、毎年のお願いではございますが、今年もどうかお願いしますよ。合格しますように、なんて祈りません。やってきたことが本番で出せますように。
また一礼をしてそのあと小さく頷いてから回れ右をした。外国人カップルが本殿のすぐ下で僕の一連の祈りを見ていた。こういうのには最近になってやっと慣れた。興味さえあれば参拝の方法を拙い英語で教えることもあるが、今日はやめておこう。
社務所の前まで来るのは年に一度だ。冬期講習を前にした時だけ、絵馬と鉛筆を頂いて帰る。年を経る度に絵馬のバリエーションが増えたり変わったりしているようだが、僕の貰う絵馬は一度目から変わらず藤の花の物だ。大事にカバンにしまって、また太鼓橋を二つ渡り鳥居に戻った。赤い鳥居の柱のそばで振り返り小さな会釈をして亀戸天神を後にした。これで今年も安心して講習に向かえる。精神的に揺れる受験生たちに最初の授業でいつものセリフが言える。
君たちは勉強するだけでいい。神頼みは信頼できる方に僕がしてきたから。君たちはそれに掬ってもらえるような努力を積むだけ。大丈夫、答えさえ合っていれば受かるから。




