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52.出口

 大型との戦いの後も、砦はすぐには静かにならなかった。残った湧きの警戒が数日続き、補給動線が完全に戻ったのはその後だった。

 それでも、第三小隊の正面が持ったことで迎撃線全体が崩れずに済んだこと、想定より損耗が少なかったことを、リュシアはアデルからの報告で知った。

 緊迫した砦の空気が少しだけ緩んできていた。







 第三射場は空いていた。雨上がりの土がまだ柔らかく、標的の足元だけが少し濃く沈んでいる。


 リーナはいつもより固い敬礼で立っていた。


「第四中隊第一小隊長より許可をいただきました。本日はよろしくお願いします」


「始めましょう」


 リュシアは的との距離を測った。小型想定の標的を三つ。中央の一つを指す。


「まず、普段通りに撃ってください」


 リーナはうなずいた。雷は中心に当たった。だが、標的に埋め込まれた魔石の光は消えなかった。


 リュシアは言った。


「今のは当たっています。でも、仕留め切れていません」


 リーナの顔がわずかに曇る。


「はい」


 リュシアは標的から目を離さずに続けた。


「焦ると命中を優先して、出力を出し切れないことがあります。一拍遅くなったとしても核は一撃で壊すべきです」


 リーナは黙って聞いていた。


「もう一度。同じ距離で、流さずに当て切るつもりで撃ってください」


 リーナは息を整え直した。今度は一拍長い。雷が標的を貫き、魔石の光が消える。


「今のです」


 リーナが小さく息を吐いた。


「……はい」


「次は五歩下がります」


 距離を取る。もう一度撃つ。魔石に命中はしたが光がかすかに残った。


 リュシアはそこで言った。


「ここから先は、あなたの確実圏ではありません」


「確実圏」


「はい。一撃で仕留め切れる距離と角度です」


 リーナは標的を見たまま、ゆっくりうなずいた。


「当たるかもしれないけど、落とし切れない」


「ここまでなら落とせるという確実な範囲しか任務では使えません」


 リュシアは少し間を置いた。


「この距離、この角度なら落とせる。それを知っていれば、足りない時に待てます」


 リーナはしばらく黙っていた。


「少尉は、待てる時と待てない時が最初からわかったんですか」


「いいえ」


 リュシアはすぐに答えた。


「教えてくれる人がいました。だから今、これを言っています」


 リーナはその言葉をまっすぐ受け取ったようだった。少しの沈黙の後視線を変えた。


「もう一回、やります」


「はい。体が覚えるまでやります」


「はい」


 リーナは姿勢を整えた。急がずに撃つ。魔石の光が消える。


 今度は、迷いのない消え方だった。





 夜、官舎の部屋は静かだった。


 エリカは寝台の脇に座って、脚を伸ばし、腿裏をゆっくりと伸ばしていた。巡回の後によくやる動きだった。机の上には封の切られた手紙が一通、伏せて置かれている。


 リュシアは巡回記録の整理をしていた。羽ペンを置いた時、エリカが手紙の方を見たまま言った。


「縁談が決まりそう」


 リュシアは顔を上げた。


「そうですか」


「うん。まあまあ年上で、前の奥様とは死別。領地は大きくはないけど安定はしてる。人柄も一見した限りでは悪くない」


 言い方は乾いていた。嫌そうでも、浮かれているわけでもない。ただ条件を並べて確認している声だった。


「会ったことはあるのですか」


「一度だけ」


 エリカはそこで手紙を裏返した。封筒の端が少し折れている。何度か触った跡だった。


「前の奥様との間に子はいないらしい」


 リュシアは少し考えた。


「それはいい縁談ですか」


「かなりいい方。私の条件で拾える相手としては、たぶん最良に近い」


「そうなのですか」


「そう。再婚でも子爵家の当主だからね。貧乏男爵家としてはかなりの格上」


 エリカはそこで少しだけ肩をすくめた。


「まあ、まだ決定ではないけどね」


 リュシアはうなずいた。慎重なエリカが言うのだから決定に近い状態ではあるのだろうと思った。

 エリカはしばらく黙っていた。それから、何でもないことのように聞いた。


「あんたはどうなの?」


 リュシアは答える前に一拍置いた。


「ありません」


「まあまだ若いしね」


 エリカは頷いた。ただ予想通りだと確認しただけの顔だった。


「考えたことはあるの?軍を降りた後のこと」


「ありません」


「家が決めるから」


「はい」


 リュシアは当然のこととして答えた。フォルティス公爵家の娘の婚姻は、本人だけで決まる話ではない。軍で結果を出すことは自分の役目だが、その先は家の管轄だ。そういうものだと思っている。


 エリカは膝を抱え直した。


「家が決めるのはわかる。でもそれだけでもないでしょう?家のためにこんなとこまで来て、家の決めたままに結婚するの?」


 リュシアはその意味をすぐには取れなかった。


「私は、自分の意思でここに来ました」


「まあ、そうなんだろうとは思う。でもさ、たまにあんた見てると歯痒くなるよ。公爵令嬢がこんなとこに来て休みもとらずに仕事ばっかりして」


「休みはとっています」


「そうじゃなくてさ」


 エリカは呆れたように言った。


「まあ、先のことは考えといた方がいいよ」


 リュシアは黙った。


 軍で結果を出す。今はそれだけで手一杯だ。次の巡回、次の任務、次の報告。そこまでは考えられる。だが、その先は輪郭がない。見えていないというより、見ようとしていなかった。


 エリカは声を少し落とした。


「私もさ、そこまで好き勝手が許される立場じゃない。選択肢は決められてる」


 手紙に視線が落ちる。端を摘む指先が白い。


「それでも、自分で取るつもりで見てるよ。流されるだけじゃなくて」


 リュシアはその言葉を頭の中で反芻した。


 流されるだけではなく、自分で取るつもりで見る。

 考えたことのない見方だった。


「先輩は、その方と結婚したいのですか」


 エリカは少しだけ目を細めた。


「一度しか会ってない人に、そこまでは言えないよ」


 それから、小さく息を吐く。


「ただ、ここで決めるのが一番いいと思ってる。うちの家と、私の年齢と、前線に長くはいられないことを全部並べた上で、かなり良い話」


 リュシアはうなずいた。


 条件、時間、家、軍歴、その全部を並べて考える話だった。エリカは諦めたような顔ではない。それがリュシアには少し印象に残った。


「……あんたも、家に確認したっていいと思うよ」


 エリカが言った。


「公爵家のことはわからないけどさ、自分の中に希望を持っておくのは悪くないと思うよ」


 リュシアは返事をしなかった。


 希望があるのかどうか、自分でもよくわからなかったからだ。

 ただ、今ここで軍務が最優先なのは変わらない。そこだけははっきりしている。


 エリカはそれ以上は言わなかった。手紙を机の引き出しにしまい、灯りを少しだけ寄せた。


 部屋の中はまた静かになった。

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