51.継ぎ目
第二十八話 継ぎ目
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最初の報告は、まだ朝靄の残る時間に上がった。
南西の前哨線から戻った斥候が、泥を跳ね上げたまま指揮所へ駆け込んできた。第七中隊受け持ち区域、内側寄りに高密度の湧き。想定位置より砦に近い。しかも群れの芯がある。
その二報が入る前に、補給便の停止命令が出た。三報で、外で薄く削るいつもの運用は捨てられた。
リュシアが持ち場へ向かう頃には、迎撃帯そのものが組み替えられ始めていた。
工兵が杭を打つ。土嚢が積まれる。担架班が後ろへ下がる。伝令が走る。隣の小隊が位置をずらし、さらにその向こうで別の小隊が前へ詰める。第三小隊の前だけが戦場ではないと、視界の端だけでわかった。
レインズ少佐は全体図の前に立ったまま、命令を短く切っていた。
「外処理はやめる。第二迎撃帯で受ける。東寄りを厚くしろ。工兵は継ぎ目を締める。補給動線は一段下げる。第三小隊はそのまま前へ」
その一言で、第三小隊の正面が決まった。
迎撃線の継ぎ目。岩場と低地の境目。そこを抜かれると、そのまま後ろの補給動線に触る。
アデルが小隊を集めた。
「ここを抜かせるな。大型が来たら引きつける。先に切るのは中型だ。小型に手を取られるな。ラウル、交代を回せ。ロウソンは近い方を拾え。マーカスは地形だけ見ろ。フォルティス」
「はい」
「全部を見るな。厚いところだけ拾え」
「了解です」
それだけだった。
それで十分だった。全貌はわからない。だが、ここが決定点なのだということはわかった。
第一波は小型だった。
濃い。数が多い。だが、まだ読みやすい。
工兵が前日に残した浅い溝と、今朝打ち足された杭列で、群れの横幅が削られている。低地に流れ込もうとした個体が泥に足を取られ、岩場に寄ろうとした個体が杭にぶつかる。前線兵がそこへ槍を突き込み、盾で押し返し、足を払う。倒れきらないものは後列で魔法騎士が核だけを抜く。
リュシアは最初の数分、広域索敵を維持したまま、小型そのものには深入りしなかった。
群れの後ろに何がいるかを見るためだ。
「正面三百、まだ小型です。右寄りが濃い。左は薄い」
「右へ寄せる。左は捨てていい」
アデルの判断で前線が半歩動く。ラウルが交代の声を飛ばす。ロウソンの風が、杭の外へ抜けようとした数体を押し戻す。
第一波が杭列に詰まったところで、火が一度だけ走った。
乾季なら使わない幅だった。長雨期の湿りがあるからこそ、火は広がらず、その場の熱だけを残す。倒れた小型が重なり、進路が一瞬だけ塞がる。前線兵がそこで息を継いだ。
その短い間に、リュシアは群れの奥に混じり始めた別の反応を掴んだ。
「中型、二。正面後方、四百。小型の陰です」
アデルの声がすぐに返る。
「小型は持たせる。フォルティス、中型を切れ」
雷に切り替える。
前の小型はまだ動いている。だが今落とすべきではない。小型は線を忙しくする。中型は線を壊す。
一体は直進型だった。核は胸奥。小型の波に紛れていたが、足の運びに迷いがない。そこだけが群れの流れと違う。
雷を通す。中型が崩れる。
もう一体は盾崩し型。前脚が太く、低く沈んだ姿勢のまま真っ直ぐに来る。杭に触れたところで一度だけ頭を振った。その角度で核の位置がずれた。
ロウソンの風が横から入る。ほんの少しだけ肩が開く。リュシアはそこへ二発目を通した。
盾崩し型が横倒しになる。
第一波がようやく薄くなった。
誰も勝ったと思わなかった。そういう薄れ方ではなかった。
第二波は、来る前から嫌な気配がしていた。
遠くの火力音が一つ減り、伝令が二人続けて東寄りへ走った。隣の線も楽ではない。工兵が継ぎ目の後ろで、もう一列杭を打ち足している。
リュシアに全体像は見えない。だが、知っている断片で十分だった。
正面だけではない。周囲も薄く苦しい。だからこそ、ここを抜かせられない。
「隊長。正面五百、大型の反応を確認。後続に中型三」
空気が変わった。
前線兵の呼吸が一段浅くなる。ラウルがすぐに交代幅を詰めた。ロウソンが岩場寄りへ寄る。マーカスは低地側ではなく、継ぎ目そのものの地形を見始めた。
大型は遅い。だが重い。鈍重だが、止まりにくい。
その前に処理すべきものがある。
「中型、内訳。回り込み一、遠距離一、正面押し込み一。大型の陰で接近中」
アデルが即座に切る。
「大型はまだ撃つな。回り込みを先。ロウソン、継ぎ目。マーカス、どこを取る」
マーカスが答える。
「岩場の切れ目です。右に三歩ずれると裏へ入れます」
「フォルティス、そこだけ見ろ」
「はい」
大型はまだ遠い。だが、遠距離型が嫌な位置にいた。
索敵の端に引っかかる。核反応は拾える。だが、丘の張り出しと大型の陰で線が通らない。こちらの盾列と工兵に対してだけ、ぎりぎり届く角度を取っている。
連携しているわけではない。ただ、最悪の噛み合い方だった。
棘が飛ぶ。盾が上がる。工兵が半歩下がる。その一瞬、回り込み型が継ぎ目へ流れた。
「右、三十。入ります」
ロウソンが先に拾った。
風が岩の裏へ回り込み、回り込み型の頭をわずかに振らせる。核が見えたのは一瞬だった。リュシアはそこへ雷を落とす。
間に合った。だが、遠距離型がまだいる。
今落としたい。だが大型が近づく。大型の前に手を割きすぎると正面が潰れる。正面だけ見ていれば遠距離型が盾列と工兵を削る。
前を見ると横が裂ける。横を見ると前が押される。
それが、この戦いの山だった。
「遠距離、まだ線が通りません」
リュシアが言うと、アデルは一瞬だけ沈黙した。
「いい。捨てろ。正面を保つ。ラウル、下げるな」
「了解」
判断は冷たかった。だが正しかった。
遠距離型の嫌さは、本隊を止める力ではない。大型ともう一体の中型が線へ触る方が先だ。
盾崩し型が正面へ入る。前線兵が受ける。槍の柄が軋む。ラウルが交代の窓を二息だけ作る。ロウソンがその窓に風を差し込み、押し込みの角度をずらす。
リュシアはそこで中型を抜いた。
遠距離型がなおも撃つ。今度は工兵の一人が低く身を伏せた。補修班ではない、迎撃帯の障害を維持していた工兵だ。棘は当たらなかったが、作業が止まる。
ギャレットが怒鳴った。
「そこ止めるな。その杭は残せ」
返事はない。だが工兵は戻った。
大型が、そこでようやく迎撃帯に触れた。
大きい。
速くはない。だが、巨大が近づく圧がある。
ヒグマほどの体躯が泥を押しのけて進む。胸の装甲は厚い。核は見えている。だが見えているだけだ。そのままでは抜けない。
工兵が用意した障害は、止めるためのものではない。歩幅を狂わせるためのものだった。
岩場寄りを狭め、低地側を浅い溝で削り、さらに杭列の角度を半端にずらしてある。大型が真っ直ぐ来れば、どこかで一歩だけ合わなくなる。
だが、その一歩まで線を保たせなければ意味がない。
大型の陰に、遠距離型がまだいる。
「まだいます。正面後方、六十」
今度は近い。近すぎる。大型の陰から撃つ気だ。
ロウソンが舌打ちのように息を吐いた。
「ずらす」
風が大型の顔へ入る。ほんの少しだけ頭が振れる。同時に、遠距離型の射線もぶれる。
棘は盾列を外れ、杭の一本に刺さった。
その瞬間、大型の右前脚が浅い溝を踏み外した。
完全に転ぶほどではない。だが、一歩だけ深く沈む。体勢が崩れ、胸がわずかに開く。装甲の継ぎ目が見えた。
工兵の障害が作った、一瞬の窓だった。
「撃て」
アデルの声は短かった。
リュシアはそこで初めて、大型だけを見た。
心臓の位置。硬い核。厚い装甲。その全部に、今だけ線が通る。
雷が走る。
一発では足りない。継ぎ目に刺し込み、同じ線へ二発目を重ねる。核が砕ける手応えが、遅れて返った。
大型が前へ一歩だけ出て、それで終わった。膝が落ちる。重い音が迎撃帯全体に響く。
遠距離型が、そこでようやく大型の陰を失った。
ロウソンが位置をずらし、リュシアが短く核を抜く。後は前線兵が押さえ込んだ。
正面が静かになる。
その静けさは、勝利の静けさではなかった。
主波が止まった静けさだった。
午後、雨が少し弱まった。
迎撃線は残った。継ぎ目も裂けなかった。後ろの補給動線は生きていた。担架は通れた。水も届いた。工兵は障害の応急修復に入っている。
伝令が走る。残敵警戒。左持ち直し。補給便はまだ戻さない。主波停止。残り湧きあり。
全部終わったわけではない。だが、一番きついところは越えたのだと、それだけはわかった。
リュシアは索敵を広げた。散りがまだいる。小型の残りが点在している。主波は潰した。発生源はまだ死んでいない。
だから立ち止まけなかった。
ラウルが横を通りすがりに言った。
「立てるか」
「立てます」
「なら、次だ」
「はい」
アデルは少し離れた場所で、伝令に何かを返していた。こちらを見ない。見ないまま、次の正面へ命令を落としている。
それでよかった。
リュシアは大型の倒れた場所を一度だけ見た。
あれを倒したのは自分の雷だ。
だが、あの一撃は、自分だけでは撃てなかった。
工兵の障害が角度を作った。ロウソンが嫌な射線をずらした。ラウルが線を保たせた。マーカスが継ぎ目を読んだ。隊長が、大型より先に切るものを間違えなかった。
それで、ようやく通った。
前へ向き直る。残り湧きの位置を拾う。まだ仕事がある。




