47.休暇
ラウルが休暇を取った。
正確には、取らされた。
朝の点呼の後、アデルがラウルを呼び止めたのをリュシアは見ていた。二人は少し離れた場所で話していた。声は聞こえなかったが、ラウルの背中が硬くなったのはわかった。
五分ほどで戻ってきたラウルは、リュシアに短く言った。
「十日休む。隊長の命令だ」
「はい」
「代役には大隊から曹長が来る。巡回の段取りは引き継いである。索敵データの提出先は直接隊長に変わる。わかったか」
「はい」
リュシアは一拍置いてから聞いた。
「曹長がいない間、私が気をつけることはありますか」
ラウルは少しだけ考えた。
「俺の分まで見ようとするな。いつも通りでいい」
「はい」
「気負うと碌なことにならん」
ラウルは何か言いたそうにして、やめた。
「じゃあな。十日で戻る」
ラウルがいない初日の巡回は、空気が違った。
代役の曹長は有能だったが、ラウルではなかった。ラウルなら索敵の報告を聞いて即座に経路を微調整する。オルトンはリュシアの報告を受けてから、少し考える間がある。
巡回後、リュシアはアデルの執務室に索敵データを持って行った。普段はラウルがまとめて提出する。直接渡すのは初めてだった。
「失礼します。本日の索敵記録です」
アデルは書類から顔を上げた。
「ここに置け。座れ」
「はい」
アデルがデータに目を通した。リュシアは座って待った。普段ならラウルが間に入って重要箇所を要約する。リュシアは黙っていた。全部そのまま渡した。
「南南西の出現頻度が先月より上がっている」
「はい。三割増です。地盤が緩んでいる区画と重なっています」
「工兵の補修スケジュールは」
「照合済みです。次回補修は三日後です」
アデルは少し間を置いた。
「崩れてないな」
リュシアは何に対して言われたのか、一瞬わからなかった。データの話か。配置の話か。
「……曹長がいないと、報告のルートが変わります」
「止まってないという意味だ。仕事の中身は回ってる」
「……はい」
アデルはデータを机の端に置いた。
「明日の巡回、組み方を変える」
翌朝、アデルが巡回の配置を説明した。
「ロウソンを後方に下げる。フォルティスを先行配置にする」
代役の曹長が少し驚いた顔をした。リュシアも一瞬、意外に思った。普段はロウソンの風の索敵が前方、リュシアの索敵が中央から広域を見る形だった。
「フォルティスの索敵範囲は九百。ロウソンは四百。フォルティスが前に出れば、前方九百と後方四百で全方位をカバーできる」
アデルは続けた。
「ヴァイスがいた時は、前へ出る情報をあいつが整理していた。だからお前は中央でよかった。今は俺がそれを受ける。だからお前は前で拾え」
リュシアは頷いた。
「マーカス。お前はフォルティスの横につけ。地形と天候はお前が見る。フォルティスは索敵に集中しろ」
「了解」
「ロウソン。後方で拾い漏れを見ろ。フォルティスの索敵に死角はほぼないが、ゼロではない」
ロウソンが静かに頷いた。
「前線兵の交代と速度管理はヴァイスが抜けた分、崩れやすい。そこを見ろ」
「了解です」
アデルは全員を見た。
「ヴァイスがいない十日間は、普段と違う組み方で回す。各自の持ち場は変わるが、やることの本質は同じだ。出るぞ」
先行配置は、リュシアにとって扱いやすかった。
前に味方の魔力反応が重ならない分、反応の分離がしやすい。中央にいた時より、近距離を拾うのが早い。拾った異常を、その場でマーカスの地形読みと合わせられるのも大きかった。
マーカスが横で地形を見ている。
「この先、左に窪地があります。足場が悪い」
リュシアは索敵に集中できた。地形の判断はマーカスに任せられる。
小型が二体、南東に現れた。
「南東、六百五十。小型二体。接近中」
「速度は」
「遅い。巡回型です」
「迂回する。マーカス、北に逃げ道は」
「あります。百先に岩場。視界は切れますが、足場は硬い」
「そっちに回る」
小隊が動いた。アデルの判断は速かった。リュシアの索敵、マーカスの地形読み、オルトンの速度管理。ラウルがいなくても歯車は回った。回り方が違うだけだった。
三日目の巡回後、アデルがリュシアを呼び止めた。
「フォルティス」
「はい」
「先行配置の感触はどうだ」
「索敵の精度が上がっています。前に味方の反応が重ならない分、分離しやすいです。この配置の方が合っています」
「そうか」
アデルは少し考えてから言った。
「ヴァイスが戻ったら元に戻す。だが状況次第で先行配置を使う場面は出てくる。覚えておけ」
「はい」
アデルは椅子の背にもたれた。
「ヴァイスに休暇を取らせた理由はわかるか」
「疲労の蓄積だと思います」
「それもある。だが、あいつには家族がいる。妻と、子供が一人。長く前線にいると、家のことが頭の隅に溜まる。本人は平気な顔をしているが、溜まれば判断に出る」
リュシアは黙って聞いていた。
「体が動くうちは本人は休まない。だから上が見て、切る。家庭持ちは家庭ごと戦力だ。覚えとけ」
「隊長は、そこまで見ているのですね」
「見ないと崩れる。俺は独りだから勘定に入れなくていいが、部下は別だ」
リュシアは頷いた。独りという言葉が、少しだけ耳に残った。
「もう一つ。お前、休み札の日も動いてるな」
「休みは取っています」
「取ってるだけだ。仕事を増やしてる」
「問題ありません。体調管理はしています」
アデルは一拍置いた。押し返すでも、説教でもない。確認する間だった。
「問題ないならいい」
それで終わるかと思ったところで、低く付け足した。
「ただし、外に出るなら報告だけしとけ」
「了解です」
「以上だ」
その休み札の午後、リュシアは医務室にいた。
衛生兵の指示で、軽傷兵の前腕を固定しているところだった。包帯を回し、木片を当て、結び目を整える。以前より手が止まらない。以前より、ずっとましだった。
アメリアが横から覗き込んで、包帯の端を指で押さえた。
「前よりは上達したんじゃない」
「ありがとうございます」
アメリアは固定した腕を一度見てから、何気ない調子で言った。
「そういえば第三、ヴァイス曹長いないらしいね」
「休暇です」
「あの人いないと、傷を黙って来る兵がいるから気をつけて。今日はちょっと手間取ったし」
リュシアは一瞬だけ顔を上げた。
「重かったですか」
「そういう日もあるってこと」
アメリアはそれ以上言わなかった。リュシアも聞かなかった。
ただ、ヴァイスの不在は前線だけでなく、後方にも小さく影を落としているのだと知った。
ラウルが戻ってきたのは十日後だった。日に焼けていた。
「どうでしたか?」
リュシアが聞くと、ラウルは少し意外そうな顔をした。
「お前から聞いてくるのか」
「曹長がいない間、隊長に索敵データを直接渡していました。先行配置も経験しました。報告することが多いので、先に曹長の状況を聞いておきたかっただけです」
「……相変わらずだな」
ラウルは小さく笑った。
「まあ、悪くなかった。最初は落ち着かなかったが、途中からはもういいかと思えた。お前は。困ったか?」
「困りませんでした。隊長が全部組み替えてくれたので」
「そうか。あの人はそういう人だからな」
ラウルが荷物を置きながら、背中越しに続けた。
「先行配置にお前を使う案は、多分前から考えてたんだろうな。俺がいる間はそうする理由がなかっただけだ」
リュシアは少し考えた。
「曹長がいなくなることを、想定していた?」
「想定じゃない。準備だ。誰がいなくなっても回るようにな」
夜、リュシアは索敵データの記録を書いていた。ラウルが戻って、明日からは通常の配置に戻る。先行配置は終わりだ。
十日間、アデルと直接やりとりする時間が増えた。報告のたびに執務室へ行った。データを渡して、短い会話をして、戻った。ラウルがいた時には起きなかったことだ。
何かが変わったわけではない。任務は回った。索敵の精度は上がった。先行配置も覚えた。全て業務の範囲だ。
ただ、元に戻ったことが、少しだけ。
リュシアは次の行に補修スケジュールとの照合予定を書き足した。明日の巡回は南側。やることがある方が楽だった。




