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45.別の地図

 夕方の点呼が終わった後、アデルに呼び止められた。


「明後日から五日間、第一小隊の護衛任務に魔法騎士枠で入ってくれ」


 臨時派遣。聞いたことはあったが、自分に来るのは初めてだった。

 第一小隊が明後日から、魔石採掘の護衛任務に当たる。経路上に新しい湧きの報告が入っており、護衛を厚くしたい。第一小隊には魔法騎士がおらず、前線兵だけで護衛を組むことになる。そこにリュシアが火力兼索敵係として入る。


「主任務は護衛だ。湧きの調査は、護衛中に拾えた分だけでいい。異常反応があれば位置と規模を第一小隊長に報告しろ。単独で踏み込むな」


 アデルの指示はいつも通り明確だった。何をして、何をするな。


「はい」


「第一小隊長はアルヴェイン中尉だ。前線兵の運用に長けている。指示には素直に従え」


 それだけだった。

 だが、その短さの中に一つだけ、重い事実があった。自分一人で行かせる、という判断だ。


 信頼された。

 同時に、失敗できない。


 中尉にこれ以上泥を被せない。第三小隊の顔にも泥を塗らない。向こうの隊の足を引っ張らない。

 考え始めると、確認すべき項目が次々に浮かんだ。






 宿舎に戻ってから、リュシアはノートを開いた。明日の経路を頭の中で辿りながら、確認すべきことを整理する。


 護衛対象の人数。移動速度。経路上の地形。湧きが報告された地点との距離。異常反応があった場合の連絡手順。


 一つずつ確認し、不明な点はないことを確かめた。


 エリカが寝台の上から声をかける。


「準備するのはいいけど、寝不足は危ないよ」


「はい」


 ノートの端に短く書いた。


 ——独断しない。護衛対象優先。異常反応は即報告。


 ペンを置いて、灯りを消した。






 翌朝、集合地点に行くと、第一小隊はすでに準備を終えていた。


 アルヴェイン中尉は背が高く落ち着いた男だった。リュシアを見て軽くうなずき、簡潔に配置を伝えた。


「魔法騎士は中衛だ。基本は火力支援。接敵したら前線兵の後ろから撃ってくれ」


 それだけだった。

 歩き始めてすぐに、空気の違いがわかった。

 第三小隊では、リュシアが索敵で拾った情報がそのまま隊の動きに反映される。アデルが聞く順番は決まっていて、リュシアはその順番に合わせて情報を整理する癖がついていた。

第一小隊ではそれがそもそも存在しない。魔法騎士のいない隊だから、索敵は斥候の目視と足音で行う。リュシアの感知能力は、この隊の運用の中に組み込まれていない。

 リュシアは自分から報告した。


「右前方、反応が二つあります。距離およそ三百」


 アルヴェイン中尉は一瞬だけ不思議そうな顔をして、それからうなずいた。


「……了解。前衛、右を厚くしろ」


 判断は速かった。ただ、リュシアが報告した二つの反応がどの程度の大きさなのか、確認は来なかった。索敵で何がわかるのか、手触りがないのだ。

 リュシアは次から、数だけでなく大きさと移動の有無も自分から付け加えるようにした。中尉はそのたびにうなずいて、前線兵の配置を調整した。使える情報だとわかれば、きちんと使う人だった。

 初日の夕方、湧きの兆候らしい低い異常反応を拾った。位置と規模を報告すると、アルヴェイン中尉は「詳しく確認できるか」と聞いた。近づけば拾える情報は増える。だが自分が中衛を離れれば火力に穴が開く。そう伝えると、中尉は少し考えてから「位置だけ記録しておいてくれ」と言った。


 二日目からは、アルヴェイン中尉もリュシアの索敵報告の使い方に慣れてきた。「さっきの反応、まだ動いていないか」と確認を入れるようになり、前線兵の配置にリュシアの報告を反映させる動きが出てきた。飲み込みの速い人だった。


 三日目には、リュシアの方も第一小隊の動き方に馴染んできた。指示通りに動くことに不自由はない。前線兵の練度は高く、アルヴェイン中尉の捌き方は見事だった。


 それでも、五日間を通して、ずっと薄い違和感が残った。


 悪い隊ではなかった。指揮は的確で、練度も高い。アルヴェイン中尉は部下の信頼も厚く、隊の規律は行き届いている。ただ、第三小隊とは空気が違った。

 第三小隊では、誰かが拾った情報は自然と隊の中を回る。斥候のマーカスが天候の変化に気づけば、それを聞いたロウソンが風の使い方を調整する。リュシアの索敵報告がラウルの配置判断に反映され、その配置がまた次の索敵の精度に返ってくる。個人の持ち分が隊の動きに組み込まれる循環があって、だから新しく拾ったことを報告しやすいし、わからないことを聞きやすい。

 それが当たり前だと思っていた。第一小隊に来て初めて、あの空気が勝手にできたものではなかったと気づいた。


 五日目の任務を終えて、第三小隊に戻った。

 アルヴェイン中尉には丁寧に礼を言われた。


「助かった。索敵の報告は正直驚いた。ああいうことができる騎士は初めてだ」


「ありがとうございます」


「正式な報告はうちの方でまとめる。お前の分は明日でいい」


 リュシアはうなずいた。

 ただ、帰還の報告だけは今日のうちにしておきたかった。任務に問題がなかったという一言だけでも。


 指揮所の方に歩いていくと、隊長室に灯りが見えた。


 扉を叩くと、少し間があってから「入れ」と声がした。


 入ると、アデルは机に向かっていた。書類が積まれている。今日は第三小隊も通常任務があったはずで、その処理だろう。顔を上げたアデルは、いつもより少し疲れて見えた。目の下の影が濃い。


「戻ったか」


「はい。任務は問題なく完了しました。護衛対象の被害なし、経路上で異常反応を四件確認し、位置情報は第一小隊長に引き渡しました。正式な報告は明日提出します」


「了解した」


 アデルはペンを置いた。


「どうだった」


「アルヴェイン中尉は前線兵の運用が非常にうまい方でした。隊全体の動きに無駄がなく、勉強になりました」


 本心だった。前線兵だけであれだけの護衛を組めるのは、指揮官として優秀なのだと思った。


「お前は動けたか」


「はい。指示通りに動くことは問題ありませんでした」


 そこでリュシアは少し言葉を探した。報告としてはこれで十分だった。でも、一日歩きながらずっと感じていたことが、口の中に残っている。


「——ただ、第三小隊の方が、私には動きやすいです」


 アデルが少し目を細めた。


「どういう意味だ」


「隊長は、私が距離を報告したら、次に何を聞くか決まっています。大きさ、動き、数。自分もその順番で整理する癖がついているので、報告が速くなります。今回はその流れがなかったので、毎回、何を先に言えばいいか自分で判断していました」


 アデルは黙って聞いていた。


「それに、隊長の隊は、誰が何を見るかがわかりやすいので。自分が出した情報を、一人で抱えなくて済みます」


 言い終えてから、少し喋りすぎたかもしれないと思った。報告ではなく、ほとんど感想だった。


 一瞬の沈黙があった。

 その沈黙の端で、アデルの肩から少しだけ力が抜けた。


 口元が、ほんのわずかに緩んだ。


 笑った。

 本当に一瞬だった。すぐに戻った。だが、見間違いではなかった。


「——明日、報告書を出せ。湧きの件は、位置情報の精度も書いておけ」


「はい」


「下がっていい」


 敬礼して部屋を出た。

 廊下を歩きながら、さっきの一瞬を何度も思い返した。笑った顔と、その前の、力が抜ける瞬間を。


 官舎に戻って帳面を開く。

 任務内容と異常反応の位置を書き終えた後、最後に一行だけ足した。


 隊長の指示は動きやすい


 書いてから、そこでようやく、自分がさっき自然に隊長と呼んでいたことに気づいた。

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