44.後輩
着任から一年が経った頃、砦に新任の魔法騎士が何名か配属された。
その中に、リーナ・カーターがいた。
女性兵は砦全体でも少なく、女子寮はひとつの棟にまとめられている。中隊が違っても、寮は同じだ。リーナはリュシアとエリカの部屋の隣に入った。
初日の夕方、隣の部屋の扉が開いて、栗色の髪の少女が顔を出した。リュシアより少し背が低い。目が大きくて、よく動く。
「すみません、隣に入りましたリーナ・カーターです。第四中隊第一小隊に配属されました。よろしくお願いします」
「フォルティスです」
「フォルティス少尉。訓練校で名前を聞きました。索敵ができる魔法騎士って、本当にいたんだって」
言ってから、リーナは慌てて頭を下げた。
「すみません。失礼でした」
「隣の部屋なので、何かあれば声をかけてください」
「はい。ありがとうございます」
後ろでエリカが小さく笑った。
「元気な子だね」
翌日から、リーナは食堂でリュシアの隣に座るようになった。
中隊が違うので任務は別だが、食事の時間は重なる。リーナはよく喋った。自分の小隊の話。訓練校との違い。砦の水が冷たいこと。食堂の芋が硬いこと。
ある時、リーナが聞いた。
「少尉の小隊長はどんな方ですか」
「ベネット中尉。厳しいです。でも、必要なことしか言いません」
「怖くないですか」
「最初は怖かったです。今は、怖くはありません」
「信頼してるんですね」
リュシアは少し考えた。
「……たぶん、そうだと思います」
三日目の夜、リーナが部屋に来た。
「ダルトン少尉、フォルティス少尉。お邪魔します」
「どうぞ」
本を読んでいたエリカが顔を上げる。リュシアもメモを書く手を止めて視線を向けた。
リーナは床に座って、足を抱えた。周囲を一度見回してから声を落とす。普段の明るさが、ほんの少しだけ薄い。
「どうしました」
「最近、食堂とか補給の窓口で、声を掛けられることが増えて。断ってるんですけど、断り方を間違えると空気が悪くなりそうで、困ってます」
愚痴というより相談だった。言い方も丁寧で、誰かを下げる匂いがない。
リュシアは頷いた。
「それは困りますね。任務に支障が出ます」
「はい。小隊の中で変な感じになるのも嫌で。好かれるのは嬉しいですけど、私が原因でギスギスしたら最悪なので」
リーナは困った顔で笑った。
「少尉も、そういうのありますよね。断るの、面倒じゃないですか」
部屋の空気が一瞬だけ硬くなった。
リュシアは少し間を置いてから答えた。
「ありません」
「え」
「言い寄られたことはありません」
リーナの目が丸くなる。
「えっ、でも、少尉……」
リュシアは続けた。
「断る必要がないので、断り方も知りません。申し訳ありません」
「少尉、すみません。今の、私の言い方が良くなかったです」
リーナは両手を振って、先に謝った。自慢したつもりはないのに、結果だけが最悪だ。
リュシアは淡々と頷いた。
「意図は理解しています。困りごととして正しいです」
リーナが何か言おうとしていた。口が動いて、止まって、また動いた。
「でも、それ、少尉が気づいてないだけですよ」
言ってから、リーナの顔が変わった。自分の言葉に自分で驚いたような顔だった。
リュシアが首を傾げる。
「何に、気づいていないのでしょうか」
リーナが慌てた。
「いや、その、ここ、女性が少ないじゃないですか。だから、少尉みたいな人、絶対ほっとかないです。話しかけるけど上手く言えないだけで」
リュシアは一拍置いて言った。
「そもそも業務以外で話しかけられることはありません」
リーナが口を開けたまま固まった。
「あっ……えっと……」
リーナの目が泳いだ。何かを取り繕おうとしている。リュシアにはその意味は正確にはわからなかったが、困っていることはわかった。
「少尉は、その……近づきにくいんです。悪い意味じゃなくて。話しかけたら、何か、失礼をしてしまいそうで」
言い終わった後のリーナの顔が、さらに困ったものになった。フォローのつもりがそうなっていないことに、自分で気づいたらしい。
リュシアは少しだけ目を細めた。
「それは、対人の距離の話ですか」
「はい。そうです。すみません」
リュシアは淡々と続ける。
「把握しています。私が誰からも話しかけられないのは昔からです」
「ちがっ……」
リーナが否定しかけて、止まった。声が震えていた。
「違うんです。少尉は、綺麗だし、すごいし……だから……」
言えば言うほど苦しくなっているのが、リュシアにもわかった。悪意はない。ただ、言葉がうまく選べていない。
リュシアは膝の上で手を組み直した。
「カーター少尉、今困っているのはあなたです。あなたの困りごとを解消する方が先です。私の件は後回しで良いです」
リーナの目が一瞬だけ潤んだように見えた。
「……はい」
部屋の空気はまだ硬かった。リュシアには、この空気を和らげる方法がわからなかった。
エリカが、そこでようやく口を開いた。
「カーター少尉。困ってるなら、小隊長に相談しなさい」
「小隊長に、ですか」
「自分で断ると角が立つでしょ。小隊長から一言あれば、大体は収まる。個人の問題にしないで、組織の問題にするの」
リーナの目が少し明るくなった。
「……そっか。そうですよね。これくらい、自分でなんとかしなきゃって思ってました」
「前線は男社会だから、女一人で対処しようとすると消耗するだけだよ。上を使いなさい。使えるものは使う」
「はい。ありがとうございます、エリカ先輩」
リーナが頭を下げた。
少ししてから、リーナがまたリュシアの方を見た。
「あの、少尉。訓練校の教官に言われたんです。南方にフォルティス少尉がいるなら、一度は見ておけって」
「なぜですか」
「失敗した後の立て直し方が、一番役に立つからって」
リュシアは少し驚いた。もうそこまで伝わっているのかと思った。
「……私は、見本になるような人間ではありません。着任してすぐに大きな失敗をしています」
「でも教官が見ろって言ったのは、その後の方です」
エリカがリュシアの方を見た。リュシアはその視線に気づいたが、何を読み取ればいいのかまではわからなかった。
「……中隊が違うので、私にできることは多くありません。でも、聞きたいことがあれば答えます」
「はい。よろしくお願いします」
リーナは笑った。屈託のない笑い方だった。人に向ける笑顔を持っている子だ、とリュシアは思った。自分にはないものだった。
リーナが去った後、エリカが言った。
「なんか、感慨深いね」
「何がですか」
「一年前のあんたを思い出してる。あんたも最初、何も聞かないし、一人で突っ走ろうとしてた」
「はい」
「あの子は逆だね。聞きすぎるし、喋りすぎるし、人懐っこすぎる。空気読みすぎて苦労しそう」
「はい。明日から毎日隣に座るんでしょうか」
「座るだろうね」
エリカが笑った。
「でも、あんたに懐いてくる子が現れるとは思わなかった」
リュシアは何と答えていいかわからなかった。
ただ、リーナの笑顔は嫌ではなかった。




