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41.盾

 長雨期の晴れ間は貴重だった。

 視界が通る。地面が乾く。索敵の精度が上がる。雨に閉じ込められていた分、魔獣も動く。こちらも動く。晴れた日に、できるだけ落としておく。それが長雨期の基本方針だった。


 南方の風は砂を含んでいた。喉の奥がざらつく。空気が乾いている分、索敵の通りがいい。


 今日の巡回はアデルが後方の指揮所に残り、リンク越しに指示を出す形だった。前線はラウルが仕切る。リュシアの索敵情報をリンクで中継し、アデルが判断を返す。






 定点二を過ぎたところで、索敵に反応が出た。


「南南東、六百。小型。——多い。三十以上。群れです。こちらに向かっています」


 ラウルがリンクを開いた。


「隊長。小型三十以上、六百、南南東。接近中」


 アデルの声がリンク越しに返った。ノイズが混じるが、聞き取れる。


『迎え撃て。盾列を前に。フォルティスは核抜きを優先。面を焼くな。クレイは風壁で群れの横幅を絞れ。正面に集めろ』


「了解」


 ラウルが指示を伝える。盾兵が前に出た。ハミルトンが中央、もう一人が右に並ぶ。盾が地面に据えられる音。


 ロウソンが両手を前に出した。風が動いた。左右から押し込むように、薄い壁が広がる。群れの進路を正面に絞る。散開されると盾列が持たない。正面に集めれば、リュシアの射線が通る。


「長くなる。フォルティスの火線は途切れない可能性がある。勝手に前に出るな」


 ラウルの声に、ハミルトンが頷いた。


 魔獣が来た。

 ロウソンの風壁に押し込まれて、群れが正面に集まってくる。地面を覆うように広がりかけた波が、一本の帯に絞られた。


 リュシアは核を見た。

 見える、というより読む。魔力の偏り、核の位置、動きの方向。視界の中に答えが浮かぶ。


 一体目。直進型。速い。核は胸腔の中央。まっすぐ来る。一番簡単だ。雷が核を貫いた。膝が折れる。


 二体目。跳躍型。地面を蹴って高低差を使おうとする。だがロウソンの風壁で横に逃げられない。跳んだ頂点で一瞬止まる。そこを撃つ。落ちた。


 三体目。四体目。直進型が二体並んで来る。前後ではなく横並び。核の位置が微妙にずれている。前の個体の核を抜いた瞬間、後ろの個体が前に出る。出た瞬間を撃つ。間は一秒もない。


 五体目。回り込み型。風壁の隙間を探って横に流れようとする。進路を塞ぐ一発を左に撃った。当てなくていい。進路が変わる。直進に変わった瞬間、核を抜く。


 十体目を超えた。群れはまだ来る。

 直進型、跳躍型、回り込み型。速度も動きも違う。だが全て予測できた。種類を見て、地形を見て、次の動きがわかる。わかれば撃てる。


 十五体目。二十体目。リュシアの呼吸は変わらなかった。反動がほとんど来ない。魔力の流れが滑らかだった。


 ロウソンの額に汗が浮いていた。風壁の維持は消耗する。三十体分の進路を絞り続けるのは軽い仕事ではない。だがロウソンは壁を落とさなかった。リュシアの射線を作り続けた。


 盾列が動けなくなっていた。


 本来なら、ここで火線に一瞬の間が入る。魔法の反動で雷が途切れた瞬間に、盾兵が半歩引いて体勢を整え、また前に出る。その間が、呼吸になる。


 だがリュシアの雷は途切れない。敵が倒れ続ける。前が空く。空くと次が来る。来る前に核を抜く。空く。来る。抜く。


 盾兵にとって、それは「休めない」を意味する。動かないのではなく、動けない。今動けば盾が薄くなる。薄くなった瞬間に、核が残った個体が一体でも突っ込めば、列が崩れる。


 二十五体目。ハミルトンの腕が震えていた。盾の角度がわずかに落ちた。本人にしかわからない程度だ。握力が落ちている。肩が熱い。交代の窓がない。


 二十八。三十。


 最後の一体の核を貫いた。群れが消えた。ロウソンが風壁を落とした。息が荒い。


 リュシアは索敵を広げた。九百以内——


「南、七百。中型。二体。接近中」


 ラウルの顔が変わった。リンクを開く。


「隊長。中型二体、七百、南。接近中。群れの直後です」


 リンクの向こうで、アデルが一拍だけ間を置いた。


『……フォルティス。撃てるか』


 一人で小型三十体を落とした。普通の魔法騎士ならとうに魔力が底をついている。中型二体を相手にできる状態ではない。


「撃てます。魔力は十分残っています」


 リュシアの声は平坦だった。事実を述べているだけだった。


 ラウルがリュシアの顔を見た。嘘がない。この目を、ラウルは知っている。本当に平気なのだ。三十体落とした後で、息も乱れていない。


『——行かせろ。盾列はそのまま維持。クレイ少尉、風壁は落としていい。温存しろ』


「了解」


 中型が見えた。二体。一体は直進型、もう一体は遠距離型。背中に棘の列がある。


 直進型が先に来た。速い。小型とは桁が違う。リュシアは核の位置を読んだ。胸腔の奥、連絡機関の根元。一撃で止めるならそこだ。


 雷が走った。核を貫く。直進型が崩れ落ちた。


 遠距離型が棘を飛ばした。

 盾列に向かって、低い角度で来た。ハミルトンが盾を構えた。一射目を受けた。金属が鳴る。二射目。盾の下端に突き刺さる。三射目。角度を変えてきた。


 ハミルトンの腕は、既に限界だった。

 群れの三十体を盾を構え続けた腕だ。握力が残っていない。三射目で盾がずれた。


 四射目は盾の上を越えた。

 ハミルトンの右肩に棘が突き刺さった。


 短い呻き。膝が揺れた。だが盾は落とさなかった。左手一本で盾を支え、右肩から血を流しながら、リュシアの前に立ち続けた。


 リュシアの雷が遠距離型の核を貫いた。中型が崩れ落ちる。


「他の反応なし。九百以内クリア」


「ハミルトン!」


 ラウルがハミルトンに駆け寄った。右肩に棘が刺さっている。血が腕を伝って、盾の取っ手を濡らしていた。


「抜くな。このまま戻る。歩けるか」


「歩けます」


 ハミルトンは歩いた。リュシアは索敵を維持しながら、その後ろを歩いた。ハミルトンの背中を見ていた。右肩の棘が、一歩ごとに揺れていた。


 小型三十体と中型二体。リュシアは全て落とした。

 だが、リュシアが平気だったから続行した。続行したから、限界を超えた盾兵が四射目を受けた。





 拠点に戻り、ハミルトンは治療室に運ばれた。

 リュシアは治療室の前で立っていた。入れとは言われていない。だが、離れられなかった。


 隣の長椅子に、若い前線兵が座っていた。左手に包帯を巻いている。軽傷の処置待ちらしい。


「手、大丈夫ですか」


 若い兵が顔を上げた。リュシアの肩章を見て、少し慌てた。


「しょ、少尉。お疲れ様です。これくらいなら平気です。縫うほどでもないんで」


 若い兵は落ち着かない様子で包帯の端をいじっている。


「早く処置してもらって戻らないと。今月あと三回巡回に入れば、前線手当の満額が出るんで」


 リュシアは一瞬だけ考えてから聞いた。


「巡回を外れると、手当が減るんですか」


 若い兵は少しだけ肩をすくめた。


「ええ。規定回数がありますから。外れると減ります」


 処置室から名前を呼ばれて、若い兵は立ち上がった。


「……巡回、外れると結構きついんですよ」


 少しだけ笑って、頭を下げた。


「失礼します」


 若い兵はそのまま処置室の中に入っていった。

 リュシアは一人になった。

 前線手当。巡回回数で変わる。怪我で巡回に出られなくなれば減額される。

 前線兵にとって怪我は、体の問題だけではない。生活の問題になる。

 ハミルトンの右肩は治る。だが完治まで巡回には出られない。その間の手当はどうなるのか。家族がいるのかどうかも、リュシアは知らなかった。






 しばらくして、アメリアが出てきた。袖をまくっていて、額に汗が浮いていた。


「フォルティス少尉。あなたの盾兵?」


「はい」


「棘は抜いた。右肩の筋が裂けてる。骨には届いていない。命に別状はない」


「治癒で治せますか」


「治せるよ。治す」


 アメリアはそこで言葉を切って、長椅子を指した。


「座りなさい」


 リュシアは座った。アメリアも隣に座った。


「今日は一人で済んだ。ハミルトンの傷は治す。問題ない。でも、一つ知っておいてほしいことがある」


「はい」


「治癒魔法には一日の上限がある。私の場合、重傷なら一日に二人が限界。中程度の怪我なら四、五人。軽傷はもっと診られるけど、重傷を一人診たら、その分だけ残りに回す力が減る」


「前線が安定している時は問題にならない。怪我人は一日に一人、二人。でも、荒れた日に五人、六人と来ることがある。そうなったら、誰を先に治して、誰を後に回すか——私が決めることになる」


「……トリアージ」


「そう呼ぶ人もいる。私は嫌いな言葉だけどね」


 アメリアの声は静かだった。


「だから、急な損耗が一番困るの。前線兵が一度に何人も倒れるような事態は、私にとっては最悪。一人ずつなら治せる。でも一度に来たら、全員は治せない」


「だから、少尉。あなたが無事でいること、盾兵が無事でいること、それは私の仕事に直結してる。あなたたちが怪我を一つ減らしてくれれば、私はその分、本当に危ない人のために力を残せる。——わかるよね」


「……はい」


「今日は一人で済んだ。ありがたいよ。ハミルトンによろしくね」


 アメリアは治療室に戻っていった。





廊下を歩いていると、ラウルが壁にもたれて立っていた。待っていたらしい。


「ハミルトンの状態は」


「右肩の筋が裂けてます。命に別状はないと」


「そうか」


 ラウルはしばらく黙っていた。それからリュシアを見た。


「お前の火力に文句はない。今日の群れも中型も全部落とした。それは事実だ」


「はい」


「だがな。お前が撃ち続ける間、ハミルトンは交代できなかった。俺も窓を作れなかった。お前の火線に間がないから、盾を引くタイミングがなかった」


 リュシアは黙って聞いていた。


「お前が平気でも、盾兵は平気じゃない。お前の魔力が切れなくても、盾を持つ腕は限界がある」


「次からは、お前の方から間を作れ。五体に一回でいい。二秒止めろ。合図は俺が出す。その二秒で盾兵が息をつける」


「……はい」


「お前は強い。だから余計に、周りが止まれなくなる。お前が止まらないと、誰も止まれないんだよ」


 ラウルの声は静かだった。叱っているのではなかった。次に同じことが起きないようにしている。


「わかりました。次から、間を作ります」


「よし」






 夜、リュシアはノートを開いた。

 小型三十体と中型二体。全て落とした。一体も盾列に触れさせなかった。それは正しかった。だが、射線が途切れなかったことで、ハミルトンは交代の窓を失った。腕が震えていた。盾の角度が落ちていた。それに気づかなかった。


 中型が出た時、自分は「撃てます」と答えた。事実だった。魔力は十分残っていた。だがラウルは盾兵の限界を見ていたはずだ。それでも続行を選んだのは、自分が「撃てる」と言ったからだ。


 自分が平気だったから、全員が止まれなかった。


 治療室の前で聞いた若い前線兵の声を思い出した。働けなくなるのが怖い。


 自分が前線に立つということは、誰かが自分の前に立つということだ。そしてその人が傷つけば、治す側の力も削られる。全部が繋がっている。


 盾兵の交代を、自分から確認する。火線に間を作る。止まる時間を作る。


 それは小さなことだ。だが、歯車が噛み合うとはそういうことだ。

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