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40.巡回

 長雨期に入ってから、巡回の景色が変わった。

 足場が滑る。視界が落ちる。匂いと音が紛れる。反応の出方も変わる。小型の移動は読みにくくなり、哨戒線の外での無理はそのまま負傷に繋がる。


 それでも巡回は止まらない。

 リュシアは索敵を広く薄くで拾い、反応が出たら狭く深くへ切り替えて距離と向きを確定する。ラウルは報告を短く整え、マーカスは地形と足場を見て回避線を作る。アデルは拾う情報と捨てる情報を即座に決め、その日の最適で経路を微調整した。


 魔獣を叩けると思うことは何度もあった。

 だがリュシアは、以前のように叩けますと言わなくなった。目的が巡回である限り、倒すことは手段でしかない。そう割り切る手順が体に入ってきていた。





  長雨期に入った最初の巡回。朝から空が低かった。

 マーカスが出発前に言った。


「一刻で降ります。南風が湿ってる」


 アデルは巡回を短縮した。南側の定点二つだけ回って帰投する判断。普段なら四つ回る。


 一刻後、マーカスの予報通りに雨が来た。定点を一つ回ったところで、索敵に小型三体。南東、六百。


「フォルティス。撃てるか」


「撃てます。核だけ壊せる出力に絞ります。余剰を出しません。散らしません」


 アデルが短く言った。


「外したら止める。いいな」


「了解です」


「頼む」


 三体。三発。核を全て貫いた。






 帰投後、詰所の机に地図が広げられた。

 アデルが赤鉛筆を置き、指で哨戒線の内側を叩く。


「迎撃地点を更新する」


 ラウルとマーカス、ロウソンが覗き込む。前線兵も二人だけ残った。


 アデルは南側の旧迎撃位置を指した。低地で水が溜まりやすい。


「ここは捨てる。長雨期は足が死ぬ。押し込まれたら線が崩れる」


 指が少し内側へ移る。岩場の縁。背に取れる場所。足場が硬い微高地。


「今後はここで受ける。線の外で勝負しない。拾ったらここへ寄せる」


 リュシアが地図を見た。射線が取りやすい。水の溜まりが少ない。後退線も引ける。雷の条件が揃う。


 アデルが続けた。


「長雨期の雷は条件付きで使う。使える場所を先に用意する。使えない場所で撃たせない」


 ロウソンが小さく頷いた。ラウルも何も言わない。反論が出ないのは、命令が現場の都合に合っているからだ。


 アデルは紙を一枚取り、短い箇条書きを走らせた。


 迎撃地点は三つ

 水たまりは踏まない

 距離を取ってから撃つ

 雷は許可が出た時のみ

 外したら止める


 紙が壁に貼られた。地図の横。全員が毎日見る場所。

 それが小隊の新しい手順になった。

 




 巡回を重ねるうちに、小隊の中での動き方が変わっていった。


 マーカスとは言葉が少なくても通じるようになった。リュシアが「南東、四百に反応」と言えば、マーカスは何も聞かずに南東の地形を確認する。「足場は硬い、退路あり」。それだけで、アデルの判断材料が揃う。


 ロウソンとは索敵の分担が自然にできた。リュシアが前方の広域を見ている間、ロウソンは近距離の細かい反応を拾う。風の索敵は精度は高いが範囲が狭い。リュシアの魔力読みは範囲が広いが、近距離の微細な反応はロウソンの方が正確だった。二人の索敵を重ねると、死角がほぼ消える。


 ロウソンは口数が少ない。だが、ある巡回の後、珍しく声をかけてきた。


「フォルティス。今日の南の反応、俺の方では取れなかった。助かった」


「クレイ少尉の近距離の精度に何度も助けられています」


 ロウソンは少し驚いた顔をして、それから小さく頷いた。それだけだった。だが、翌日から索敵の情報共有が少し増えた。


 帰投後、アデルに索敵データを渡す。ラウルがまとめたものをアデルが見て、一言だけ返す。


「南側の出現パターンが先月と変わってきてる。経路の見直しを入れる」


 リュシアのデータが、巡回経路の変更に反映される。自分が集めた情報が、小隊の動きを変える。それは命令でも評価でもなく、ただ歯車が噛み合っている感覚だった。


 ある日、データを渡した時にアデルが言った。


「精度が上がってるな」


 それだけだった。リュシアは「はい」と答えた。アデルはもう次の書類に目を落としていた。


 短い。だが、それで十分だった。この人は必要なことしか言わない。必要なことしか言わない人が「上がっている」と言った。それは、上がっているということだ。





 霧の日。七百付近に中型の反応が出た。休眠中。


「現在の経路なら最接近五百です」


「五百なら起きない。このまま行く」


 以前の自分なら「叩けます」と言っていた。それは事実だ。だが、今日の任務は巡回で、中型を倒すことが目的ではない。言わなかった。アデルもそれについて何も言わなかった。


 こういう瞬間が増えた。言葉にしなくても通じることが。リュシアが出した情報に対して、アデルがどう判断するか。逆に、アデルが何を聞いてくるかで、何を考えているかがわかる。


 同じ状況でも、同じ判断をしない人だった。天候、地形、小隊の疲労度、前日のデータ。全部を頭に入れて、その日の最適を出す。毎回違う。毎回速い。





 ある巡回で、小型が三体引っかかった。東、四百。進路が交差する。


 リュシアはアデルを見た。


 アデルが口を開く前に、半歩右に動いていた。射線を確保する動き。小型三体、四百、進路交差、晴天。避けるより叩く方が速い。アデルならそう判断する。


「——叩け」


 アデルの声と、リュシアの雷はほぼ同時だった。三体。三発。


 ラウルが後ろで小さく口笛を吹いた。


「言う前に動いたな」


 アデルの声には、咎める色はなかった。


「中尉がそう判断すると思いました」


「根拠は」


「これまでの巡回で、中尉の判断を見てきました。同じ条件なら同じ結論に至ると確信がありました」


 アデルは少しの間、リュシアを見ていた。


「確信がある時はそれでいい。ない時は待て」


「はい」


 ラウルがリュシアの横に並んで、小声で言った。


「中尉の癖、掴んだな」


「癖ではなく、判断基準の確認です」


「同じだ。掴めたなら十分だ」





 官舎に戻って、巡回の記録を書いた。索敵データ、出現位置、判断結果。いつもと同じだ。

 だが、今日の記録には一行だけ、いつもと違うことを書き足した。


「指示前に行動。結果は適切。隊長の判断パターンを把握済み」


 書いてから気づいた。「中尉」ではなく「隊長」と書いていた。

 直そうかと思った。だが、そのままにした。

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