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4.魔法騎士という選択

  窓辺の机の上には、閉じられた王子妃ノートと、白紙の新しいノートが並べられていた。


 向かいの椅子には、フォルティス公爵家分家出身で、公爵家付きの魔術顧問を務める魔法騎士、兼リュシア・フォルティスの家庭教師――ユリウス・フォルティスが座っている。


「――以上が、昨日までの状況です」


 リュシアが簡潔にまとめると、ユリウスはしばらく黙っていた。

 眼鏡の位置を指先で直し、小さく息を吐く。


「状況の整理は、もう済んでいるのですね」


「はい。王子妃候補の件は破談、王妃陛下との関係は悪化、フォルティス家への影響は一時的。感情面については――評価保留としています」


 最後だけ少し間があったが、声は平坦に保てた。


「評価保留」


 ユリウスが繰り返した。責めるような響きではなかった。ただ、その言葉を卓の上に置くような言い方だった。


「はい。今すぐ結論を出す必要がない項目です」


「そうですか」


 ユリウスはそれ以上踏み込まなかった。代わりに、閉じられた王子妃ノートにちらりと目をやった。


「で、あなたは今朝、新しいノートを用意した」


「はい」


「つまり、もう次を考えている」


「考えています」


 リュシアは白紙のノートの表紙に指を置いた。


「父上と兄上が、当面は王宮から距離を置くという方針を決めてくださいました。領地に下げて家の戦力に組み込む案も出ていると聞いています」


「ええ。私にも打診がありました」


「その上で、ユリウス先生にご相談したいことがあります」


 リュシアは背筋を伸ばした。姿勢を正すときの癖だ。何かを報告するときと同じ動作で、何かを願い出る。


「私は、王国軍の魔法騎士に志願したいです」


 ユリウスの表情は、読み取れなかった。


「家の隊ではなく、王国軍」


「はい。魔獣との戦いは王国全体の問題です。家単独で対処できる範囲には限界があります。私の魔力量と制御能力を考えると、王国軍という枠組みで運用していただく方が、国全体に対する貢献度は高くなるはずです」


 筋は通っている。自分でもそう思う。


「王子妃の役目がなくなった以上、残る選択肢の中で、私が最も役に立てるのはそこだと判断しました」


 ユリウスは頷きもせず、否定もしなかった。

 眼鏡の奥の目が、こちらをまっすぐ見ている。


「それは――今でなければならないものですか」


 予想していなかった問いだった。


「……と、言いますと」


「急ぐ理由があるのかと聞いています。判断自体は悪くない。ただ、昨日の今日です」


 昨日の今日。

 その言い方が、何かに触れた気がした。何に触れたのかは分からない。


「早い方が、損失は少ないはずです。長く停滞していても意味がありません」


「……そうですね」


 ユリウスは頷いた。

 ただ、頷くまでに一拍あった。その一拍が何を含んでいたのか、リュシアにはうまく読めなかった。


「志願の件、私から公爵閣下に進言します。王国軍の直接採用試験を受ける方向で」


「ありがとうございます」


「礼なら合格してからにしなさい」


 ユリウスは白紙のノートを引き寄せ、ペンを取った。


「年齢、身分、推薦状、魔力測定、筆記、体力。条件の多くはすでに満たしています。残りを詰めます」


「必要な項目を列挙してください。順番に処理します」


「よろしい」


 ペン先が紙の上を走り始める。

 リュシアは新しいノートの表紙の内側に、一行だけ書き込んだ。


 王国軍直接採用試験対策


 王子妃ノートの最初のページは、字が震えていた。

 今の字は、震えていない。迷いもない。

 それは良いことのはずだ。


 ふと顔を上げると、ユリウスがこちらを見ていた。

 ペンは止まっていない。書きながら、視線だけがこちらにあった。


 何か言いたそうな顔ではなかった。

 ただ、見ていた。


 その視線の意味は、リュシアには分からなかった。




 




 短い打ち合わせの後、ユリウスはその足でレオンハルトの執務室に向かった。


「――というわけでして、公爵閣下」


 説明を聞き終えたレオンハルトは、腕を組んだまましばし目を閉じる。


「家の隊ではなく、王国軍の直接採用で出す、か」


 低い声だった。


「……あそこは最前線だ。命を削る場所だぞ、ユリウス」


「承知しております」


 ユリウスは落ち着いたまま答える。


「素材としては、このまま家の中で眠らせておくにはあまりに惜しい」


 ユリウスは言葉を選びながら続ける。


「フォルティス家の私設兵として抱え込めば、安全ではありますが――王国軍に出して国の戦力として認めさせておいた方が、 いざという時の手札になります」


 レオンハルトが片眉を上げる。


「手札、か」


「はい。方面軍に、フォルティス公爵家直系のエースがいる、という事実は、 外交にも内政にも使えます」


 レオンハルトの視線が、窓の外から書類の上に戻る。


「家の戦力として見れば、領地に置いておく方が計算はしやすい。……王家との関係はどうだ」


「今回の件については、陛下と王太子殿下がきちんとけじめをつけるおつもりということですから。王国軍としても、フォルティス家からの有力な人材を 正面から迎え入れることで、むしろ関係は安定するでしょう」


 一度言葉を切り、静かに続ける。


「何より、これはリュシア嬢自身の選択です。自分が最も役に立てる場所として、王国軍を挙げました」


 レオンハルトは、深く息を吐いた。


「父親としては、反対したいところだな」


 ぽつりと本音が漏れる。


「王都で王子妃をやらせるのも酷だが、前線で命のやり取りをさせるのも、意味は違うが酷すぎる」


 机の上の書類を軽く指で叩き、それから小さく首を振る。


「だが、公爵としては――使える才を家だけで眠らせておくこともできん。身体を張って得た成果が、その後の人生の糧になることも、私が一番よく知っている」


 ユリウスは、黙って頭を垂れた。

 レオンハルトはしばし考え込んだ末に、決意を固めたように言う。


「王国軍への推薦状は、フォルティス公爵として私が出そう。ただし一つだけ条件をつける」


「条件、でございますか」


「リュシアが、いつでも家に戻れる道は残しておく。国のために使われる前に、まずフォルティス家の娘だということは忘れん」


 それは、父としての最後の保険のようなものだった。


「了解いたしました、公爵閣下」


 ユリウスは深く頭を下げた。

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