39.洗濯場
女子寮の洗濯場は、夕方が一番混む。
任務が終わった女性兵が汗と泥を落としに来る。洗濯場といっても、井戸水を桶に汲んで、石鹸で手洗いするだけの場所だ。干し紐が何本も渡してあって、軍服やら下着やらが雑然と並んでいる。
リュシアは端の桶で黙々と洗っていた。洗濯は嫌いではない。やることが明確で、手順が決まっていて、終わりがわかる。飲み会より楽だ。
「ブリッグス伍長」
声をかけたのは、隣の桶にいた女に気づいたからだった。ザビーナ・ブリッグス。工兵。ギャレットとは別の工兵班に所属している。顔は知っていたが、話したことはなかった。
ザビーナは振り返って、リュシアの顔を見た。一瞬、目が警戒の色になった。
「……フォルティス少尉。何か」
声が硬い。リュシアは気にしなかった。
「工兵の補修作業で、接合部の強度を出すために使っている材料について聞きたいのですが。今お時間ありますか」
「……今、ですか。洗濯中ですけど」
「洗濯しながらでも構いません。私も洗っていますので」
ザビーナは少しの間リュシアを見ていた。何を考えているのかわからない顔だった。
「……接合部の強度、ですか」
「はい。哨戒線の補修で、杭と杭の間を繋ぐ横木の固定方法が班によって違うように見えたので。強度に差が出るのか知りたいんです」
ザビーナの表情が少し変わった。警戒が薄れたわけではない。だが、質問の内容が本当に仕事のことだったので、構えていたものが少しずれた感じだった。
「……うちの班は縄と楔の併用です。縄だけだと雨季に緩むので。ギャレット伍長のところは縄だけでやってますけど、あっちは地盤が硬いからそれで持つんです。うちの区画は地盤が柔らかいから、楔を打たないと横木がずれる」
「地盤の硬さで工法が変わる」
「ええ。同じ哨戒線でも区画によって全然違います。南側は粘土質で水を含むと緩む。北側は砂利混じりで硬い」
リュシアは洗濯物を絞りながら聞いていた。
「それは、補修の優先順位にも影響しますか」
「当然です。南側は雨が降るたびに点検が必要です。北側は月一回で十分」
「南側の補修頻度が高い。——私の索敵でも、南南西からの個体が一番多いんです。地盤が弱い区画と、魔獣の密度が高い方角が重なっている」
ザビーナの手が止まった。
「……それ、中尉に報告してますか」
「しています。巡回経路の変更にも反映されています」
「じゃあ、うちの班の補修スケジュールとも照合した方がいいかもしれない。南側の補修が入る日に、索敵の頻度を上げてもらえたら助かります。補修中は護衛が来ますけど、前もって周囲の状況がわかっていた方が安心できるので」
「わかりました。ベネット中尉に提案してみます」
ザビーナは頷いて、洗濯に戻った。リュシアも洗濯に戻った。それ以上の会話はなかった。
三日後、リュシアはザビーナの工兵班の詰所を訪ねた。
「ブリッグス伍長。先日の件ですが、ベネット中尉に提案したところ、南側の補修日に合わせて定点索敵を追加することになりました。補修スケジュールを共有していただけると助かります」
ザビーナは少し驚いた顔をした。
「……本当に来たんですね」
「来ると言いましたが」
「いえ、そうなんですけど」
ザビーナは補修スケジュールの写しを出してくれた。リュシアは受け取って目を通した。
「ありがとうございます。索敵の定点記録と照合して、結果はまたお伝えします」
「少尉」
ザビーナの声が少し変わった。丁寧だが、壁のある声だった。
「今後、こういう話は、うちの班長を通していただけますか」
「……班長を」
「はい。私の判断で答えていい範囲を超えている可能性があるので。それに、少尉と私が直接やりとりしていると、後で誰が何を言ったかの話になった時に困ります」
リュシアは黙った。ザビーナの言っていることは、筋が通っている。補修スケジュールは班長が管理しているものだ。伍長が勝手に外部に出していいかどうかは、班長が判断することだ。
「失礼しました。次からは班長を通します」
「お願いします」
ザビーナは丁寧に頭を下げた。リュシアも頭を下げて、詰所を出た。
官舎に戻って、リュシアはしばらく考えた。
ザビーナの声は丁寧だった。言葉遣いも正しかった。だが、最初に工法を教えてくれた時とは明らかに違っていた。何が変わったのか。
自分は工兵の仕事を知りたかっただけだ。だが、組織にはルートがある。ルートを飛ばすと、相手を困らせることがある。悪意がなくても、相手の時間を奪い、意見を言わせることで相手にリスクを背負わせる。それを軽視しすぎていたかもしれない。
一週間後、ラウルが紙を持ってきた。
「工兵班の班長から来てた。フォルティス少尉宛だ」
補修スケジュールの修正版だった。南側の次回補修日が前倒しになっている。余白に、班長の字で短い文が書かれていた。
「索敵との照合、助かります。次回補修前にデータをいただけると調整しやすいです」
その下、追伸のように小さな字が添えられていた。
「先日の工法の件、的確なご質問でした。——ブリッグス」
リュシアはその一行を二度読んだ。
ザビーナはルートを通して返してきた。班長経由で。直接は言いに来なかった。でも、自分の言葉で一行だけ書いてくれた。
あの時の声の変化は、拒絶ではなかった。筋を通しただけだった。そして、筋を通した上で、返してくれた。
組織の中での距離の取り方を、また一つ覚えた。




