38.距離感
索敵主務に就いてから、リュシアは巡回のたびに前線兵の動きを観察するようになった。
以前は魔獣しか見ていなかった。哨戒線の外に意識を向け、反応を追い、群れがいれば叩く。それが自分の仕事だと思っていた。今は違う。魔力読みを展開しながらも、視線は哨戒線の内側に向くことが増えた。
前線兵が何をしているのか。どう動いているのか。
巡回中、盾兵の動きを見ていて気づいたことがあった。
盾兵は魔法騎士の前に立つ。魔獣が突進してきた時に盾で受け止め、魔法騎士が術を打つ間を作る。それは知っていた。だが、盾兵が立つ位置は毎回同じではなかった。地形によって変わる。足場が悪ければ半歩下がる。視界が開けていれば前に出る。魔法騎士の射線を遮らないように、だが魔獣の突進は確実に受けられる位置に。
それを、考えながらやっている。
「いつも思うんですが、立ち位置をどうやって決めているんですか」
巡回の休憩中、盾兵のハミルトン軍曹に聞いた。三十代前半の、がっしりした男だった。
「経験です。地形見て、少尉の位置見て、獣が来そうな方角見て。全部同時にはできないんで、一番まずいのから潰します」
「一番まずいのは何ですか」
「少尉の射線を塞ぐことですね。俺が邪魔になったら術が打てない。打てなきゃ獣が来る。来たら俺が死ぬ」
冗談めかして言った。リュシアは笑わずに真っ直ぐにハミルトンを見据える。
「あなたが斜線を作ってくれるから私は撃てます。助かります」
ハミルトンが一拍止まった。返しづらそうに鼻を鳴らす。
「……まあ。仕事なんで」
隣で水筒の蓋を締める音がした。ラウルは何も言わないまま、視線だけを外した。
前線兵への質問は日常になった。
哨戒線の補修をしている兵に、杭の打ち方を聞いた。地面の硬さで打ち込む角度が変わること、雨季の前は深く打つことを教わった。
伝令を担当する兵に、拠点間の連絡の仕組みを聞いた。伝令が走る経路は三本あり、魔獣の出現状況で使い分けていることを知った。
炊事を担当する兵に、食事の量がどう決まっているか聞いた。前線の消耗が激しい時期は肉の配分を増やし、後方は減らすという判断を炊事班長がしていると知った。
どれも、リュシアが見えていなかったものだった。自分の索敵の外側で、軍という生き物を動かしている仕組みだった。
問題が起きたのは、ひと月ほど経った頃だった。
ヒューゴ・ベインズ軍曹。第七中隊の前線兵で、哨戒線の定期補修の当番に入っている。南側の補修区画は第三小隊の巡回経路と重なるため、顔を合わせる機会があった。
リュシアが最初に話しかけたのは、補修作業の見学中だった。杭の間隔をどう決めているのか。質問は純粋に仕事のことだった。ベインズは手を止めずに答えた。
翌日、リュシアはその情報を元に索敵の定点位置を調整し、結果を一言だけ伝えた。
「ベインズ軍曹に教えていただいた劣化速度を考慮して、南側の定点を五十ずらしました。ありがとうございました」
ベインズは俯いて「いえ」と言った。リュシアは気にしなかった。
数日後、補修の優先順位について再び聞きに行った。ベインズはまた丁寧に教えてくれた。リュシアはまたお礼を言いに行った。
さらに数日後、地形と補修頻度の関係を聞いた。三度目だった。ベインズは説明を細かくした。具体例が増えた。リュシアは教え方がうまい人だと思った。
四度目に聞きに行った時、ベインズの方から昼食に誘ってきた。
「少尉、あの、補修の優先順位のところ」
「はい」
「紙にすると分かりやすいんで。食堂で、図、書いてもいいですか。今度。……いや、今度っていうか、空いてる時で」
「ありがとうございます。ですが昼は索敵の記録整理があるので」
「……了解です。急にすみません」
「構いません。仕事のことで聞きたいことがあればまた伺います」
リュシアにとっては、ただそれだけのやり取りだった。
五度目はなかった。
リュシアが補修区画に向かおうとした時、ラウルが声をかけた。
「少尉。補修のことなら、マーカスに聞け。あいつも補修スケジュールは把握している」
「マーカス伍長に、ですか。ベインズ軍曹の方が詳しいと思いますが」
「マーカスに聞け」
ラウルの声はいつもと変わらず、ただ繰り返した。リュシアは頷いた。
「わかりました」
それ以降、リュシアがベインズに話しかけることはなくなった。マーカスも補修のことは十分知っていたし、ベインズでなければならない理由はなかった。
その日の夜、寝台に横になって、天井を見つめる。ラウルがなぜベインズではなくマーカスに聞けと言ったのか、リュシアにはわからなかった。わからないことがあっても、ラウルがそう言うならそうする。それは学んだ。
自分に見えないものがある。目の前で起きていることが見えないことがある。王宮にいる時からずっと。それを変えることはできない。ただ、見えている人が近くにいることは、ありがたいと思った。




