32.同室
エリカが戻ってきたのは、日が落ちてからだった。
扉が開く音で顔を上げると、エリカが外套を脱ぎながらこちらを見ていた。同室になって二ヶ月になるが、任務の時間帯が違うので、顔を合わせるのは朝と夜だけだった。
「フォルティス少尉」
エリカの声は穏やかだったが、目が探っていた。
「今日、ベネット中尉と一緒にレインズ少佐の部屋に入ってくの、見えたんですけど」
リュシアは黙っていた。嘘をつくつもりはなかったが、どこから話せばいいかがわからなかった。
「……何かありました?」
エリカは寝台の端に腰を下ろし、ブーツの紐を解きながら待った。急かさない。いつもそうだった。リュシアが言葉を探している間を、黙って待てる人だった。
「——任務中に、命令違反をしました」
エリカの手が一瞬止まった。ブーツの紐を解く動きが再開するまで、二拍あった。
「聞いていいですか?」
「はい」
リュシアは話した。
工兵護衛の任務中に、哨戒線の外に中型の群れを感知したこと。ヴァイス曹長の制止を無視して、単独で哨戒線を越えたこと。九体を掃討したこと。そして——護衛対象の工兵を置き去りにしたこと。
処分はベネット中尉が監督不行届きとして被ったこと。自分を罰してくれと言ったが通らなかったこと。
話し終えると、エリカはしばらく黙っていた。ブーツはとっくに脱ぎ終わっていて、両手を膝の上に置いたまま、天井の一点を見ていた。
「……それは、やらかしたね」
言い方は軽かった。だが、目は笑っていなかった。
「ベネット中尉が被ったの」
「はい」
「訓戒?」
「はい」
エリカは小さく息を吐いた。
「きついな、それは。——中尉の経歴に残る」
リュシアは頷くことしかできなかった。
「怒られた内容は?」
「護衛対象を放り出して戦果を挙げることを、軍では手柄とは言わない、と」
「任務放棄か」
「はい」
エリカは膝の上で指を組んだ。考えている顔だった。
「フォルティス少尉。一つ聞いていい?」
「はい」
「九体倒したのは、本当にすごいと思う。中型三体を単独で、でしょ。——それは事実として認める。その上で聞くけど」
エリカがリュシアの方を向いた。
「あなた、自分が何を間違えたか、わかってる?」
「……自分の判断で動いたことです。任務は工兵の護衛で、群れを叩くことではなかった。自分の視座が低かった」
「うん。それはそう。——でも、もう一段あると思う」
リュシアは首を傾げた。
「あなたがやったのは、『自分ならできる』を根拠に動いたこと。自分の能力を信じて、自分の判断で、自分一人で完結させた。——それ、誰にも頼ってないよね」
「……はい」
「軍って、一人でできることを一人でやる場所じゃないんだよ。一人でできることでも、組織として動く場所。あなたが群れの情報を報告して、それを中尉が判断して、編成を組んで叩く。それが軍の動き方。あなたはその流れの中の一部分なの。索敵の報告を上げるっていう、すごく大事な一部分」
エリカの声は説教の調子ではなかった。自分が知っていることを、隣に座って話しているだけの声だった。
「あなたの索敵がなかったら、群れは見つかってなかった。それは中尉の判断じゃできない。あなたにしかできないことだよ。——でもあなたは、自分にしかできないことじゃなくて、自分でもできることの方をやっちゃった」
リュシアは口を開きかけて、閉じた。
自分にしかできないことと、自分でもできること。その区別を、リュシアはつけていなかった。索敵も、戦闘も、核の処理も、全部「自分ができること」として同列に扱っていた。
「群れを叩くのは、中尉でもクレイ少尉でもできる。でも、九百先の群れを正確に感知して報告できるのは、あなただけ。——それが、あなたの仕事。少なくとも今は」
少なくとも今は。その言葉に、棘はなかった。
「……ダルトン少尉」
「エリカでいいよ。同室なんだし」
「エリカ先輩」
「先輩もいらない。——まあいいけど」
エリカは苦笑した。
「あなたね、たぶん全部自分でやりたいタイプでしょう。できちゃうから、全部自分でやった方が早いって思う。——気持ちはわかる。私もそういう時期あった」
「エリカ先輩も?」
「私はあなたほど派手にはやらかしてないけどね。でも、自分の判断が上より正しいって思ったことはある。結果的に正しかったこともある。でも、正しかったから良かったって話じゃないんだよ。それやると、次に間違えた時に誰も助けてくれなくなる」
リュシアは黙って聞いていた。
「あなたは今、ベネット中尉に一回助けてもらった。中尉が被ってくれた。——次はない。だから、次をどうするかだよ。何を変えて、どう戻るか」
「……まだわかりません」
「うん。わからなくていい。今すぐ答えが出る方がおかしい」
エリカは立ち上がって、洗面道具を取りに行った。背中を向けたまま、付け足すように言った。
「とりあえず、雑務は真面目にやんなさい。掃除でも整備でも、やれって言われたことを、やれって言われた通りにやる。それが今のあなたの仕事。——地味だけど、大事だよ。やれって言われたことをやれる人間じゃないと、任せてもらえないから」
「……はい」
「それと」
エリカが振り返った。
「寝なさい。明日も早いでしょ。考えるのは明日でいい」
リュシアは「はい」と答えて、寝台に横になった。天井を見つめる。今日も、天井は同じだった。だが、見え方が少しだけ違った。
——自分にしかできないことと、自分でもできること。
エリカの言葉が残っている。答えはまだ出ない。でも、問いの形が見えた気がした。




