31.代価
前線任務の停止は、翌日から始まった。
巡回にも出ない。哨戒線にも出ない。小隊の装備管理と記録整理。
リュシアは与えられた仕事を黙々とこなした。言い訳をする相手がいなかった。言い訳をする権利もなかった。
翌朝、ラウルが来た。
「少尉。中隊正面に出ろ。レインズ少佐の前だ」
処分が決まった。リュシアはそう理解した。
中隊正面の一角に、簡易の机が置かれていた。レインズ少佐が座り、副官が横に立っている。正式な軍法会議ではない。中隊長の裁量で処理できる範囲の案件だということだ。
リュシアは少佐の前に立った。その横に、アデルがいた。
アデルの顔はいつもと変わらなかった。仕事の顔だ。
レインズ少佐が書類に目を落としたまま言った。
「第三小隊、フォルティス少尉の件。報告書は読んだ。ベネット中尉、口頭で補足しろ」
「はい」
アデルが一歩前に出た。
「巡回任務中、フォルティス少尉の索敵により、哨戒線外に中型三体を含む魔獣の群れを感知。同少尉はヴァイス曹長の制止に反して単独で哨戒線を越え、交戦。中型三体、小型六体の計九体を掃討し、帰還。被害はありません」
「戦果は確認済みか」
「はい。ヴァイス曹長の報告と、掃討地点の事後確認で裏取り済みです」
レインズ少佐が書類から目を上げた。視線がリュシアに向く。
「フォルティス少尉。言い分はあるか」
「ありません。命令なく哨戒線を越え、上官の制止を無視しました。弁解の余地はありません」
「群れが哨戒線に到達する前に叩く必要があったと判断した——そう報告書にはある」
「判断したのは事実です。ですが、その判断権が私にないことは承知しています」
レインズ少佐は短く頷いた。リュシアの返答に興味がないわけではないが、そこで終わりだという頷きだった。
「ベネット中尉」
「はい」
「処分の進言は」
アデルが口を開いた。リュシアは、当然自分への処分が告げられるものと思っていた。
「本件は、小隊長である自分の監督不行届きです」
リュシアの呼吸が止まった。
「フォルティス少尉は着任二ヶ月の新任です。前線経験は浅く、判断基準が未熟だった。新任の魔法騎士が単独行動を選択肢として持てる状況を作ったのは、自分の指導と管理が不十分だったためです。任務の段階を急ぎすぎた。少尉の焦りに対する対処も遅れました」
アデルの声に揺れはなかった。
「フォルティス少尉への処分は、小隊内での任務制限で対応します。前線任務の停止は既に実施中です。再発防止は自分が責任を持ちます。中隊への報告としては、小隊長である自分への処分をお願いします」
レインズ少佐はしばらくアデルを見ていた。表情は変わらない。
「少尉」
リュシアの方に向き直った。
「お前の上官がこう言っているが」
「——少佐」
リュシアは一歩前に出た。声が震えた。今度は、止められなかった。
「少佐。命令に違反したのは私です。哨戒線を越えた判断も、交戦の決定も、全て私の独断です。指揮の不備ではありません。責任は私にあります」
レインズ少佐は黙っていた。リュシアは続けた。
「中尉の経歴に傷をつけるのは——私の行動の結果として、間違っています」
「少尉」
レインズ少佐の声は静かだった。
「お前が処分を受けたいという気持ちは理解した。だが、処分の判断は俺がする。お前がするんじゃない。——それも、自分の判断で決めていい範囲じゃないと、今ならわかるな」
リュシアは口を閉じた。返す言葉がなかった。処分すら自分では受けられない。ここでも、自分の判断には何の力もなかった。
レインズ少佐がアデルを見た。
「ベネット中尉。お前の進言は受け取った。——訓戒。記録は中隊内に留める」
「了解です」
「フォルティス少尉。お前の上官が何をしたか、わかっているな」
「……はい」
「二度目はない。下がれ」
中隊正面を出た後、リュシアはアデルの後を追った。
「中尉」
アデルは足を止めなかった。
「中尉。なぜ——」
「なぜ、じゃない」
アデルが振り返った。
「お前を処分したら、第三小隊の魔法騎士が一人減る。減俸ならまだいい。降格や転属になったら、戦力が落ちる。南方は人が足りない。使える人間を自分の失態で失うほど、俺は馬鹿じゃない」
「でも、失態は私の——」
「お前の失態だ。だから俺が怒った。だが、新任がやらかす前に止めるのは小隊長の仕事だ。止められなかった俺の落ち度は事実だ。嘘は言ってない」
感情ではなかった。計算だった。だが、計算の中に、嘘がないことがリュシアには痛かった。アデルは本当に自分の管理が甘かったと思っている。リュシアの焦りに気づいていながら、手が遅れたと。
「お前が二度目をやったら、次は俺じゃ被れない。わかったな」
「……はい」
「いい返事だ。雑務に戻れ」
アデルは背を向けて歩き出した。
リュシアはその場に立っていた。
自分は、何をしたのか。
実力があると思った。自分ならできると思った。群れを一人で叩けると判断して、実際に叩いた。戦闘だけを見れば、成功した。
だが、その後始末を自分ではできなかった。
命令違反の処分を、アデルが引き受けた。リュシアはそれを止めようとした。自分を罰してくれと言った。それすら通らなかった。処分を受けることさえ、自分の判断ではできなかった。
責任を引き受けきれないのに、勝手に動いた。それが、リュシアがやったことの全てだった。
——実力がある?
あるのは魔力だけだ。魔獣を倒す力だけだ。それ以外の何も、自分にはなかった。判断の重さも、行動の結果を引き受ける力も。何もない人間が「自分ならできる」と思い込んで飛び出した。
ラウルの顔が浮かんだ。あの時、振り返って見た顔。止められないとわかった人間の目。あの顔を見た上で、背を向けた。「すみません」と言って走った。謝って済む話ではなかった。
アデルの経歴に傷がついた。ラウルの信頼を裏切った。それが、リュシアの雷が残した傷だ。
官舎に戻り、寝台に座った。手のひらを見た。昨日まで疼いていた手が、今は何も感じなかった。




