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29.線の向こう

 初陣の後、任務は確かに増えた。

 小型種の掃討が週に二度。哨戒線の補修護衛が一度。いずれもラウルが同行し、アデルかロウソンのどちらかがついた。編成はアデルが組み、任務の規模はアデルが選んだ。

 リュシアに与えられるのは、小型種だけだった。


 三回目の掃討では、索敵から核の処理まで一人で完結した。アデルは後方で見ているだけだった。ラウルも動かなかった。動く必要がなかったからだ。小型種二体。雷を二発ずつ、計四発。魔力の消耗は全体の一割にも満たない。

 四回目。同じ。小型種三体。索敵、接敵、核の処理。手順通り。教本通り。ミスはない。ミスをしようがない。


「精度が上がってるな」


 四回目の帰り、ロウソンがぽつりと言った。リュシアと言葉を交わしたのは、これが初めてだった。


「風で拾う索敵と、お前の魔力読みは探れるものが違う。組めば死角が減る。ベネット中尉もそう考えてるはずだ」


 ロウソンはそれだけ言って、前を向いた。褒めているのか、事実を述べているのか、おそらく両方だった。

 リュシアは「ありがとうございます」と返した。それ以上の言葉が出なかった。ロウソンの言葉は正しい。組めば死角が減る。だが、今の任務で死角を気にする場面はない。小型種三体に死角も何もない。




 五回目の任務は、中型が一体混じっていた。

 狼型。体長は人の胸ほど。小型種とは動きの質が違った。反応が速く、跳躍の距離が長い。魔力も段違いに強い。核は胸腔の奥。分厚い筋肉と骨に守られている。

 アデルが前に出た。


「見ていろ」


 アデルの火が狼型を追い込む。一射目で退路を断ち、二射目で動きを止め、三射目で核を焼き潰した。三手。無駄がない。中型を相手にしても、アデルの手順は変わらなかった。力で押すのではなく、選択肢を削って詰める。

 リュシアは後方で索敵を維持していた。周囲に他の個体がいないことを確認し続ける。それが、今のリュシアに与えられた役割だった。


「小型はお前が処理しろ」


 中型の随伴で出てきた小型種二体を、リュシアが片づけた。いつもと同じだった。




 拠点に戻る途中で、ライオットとすれ違った。

 別の中隊の区画から出てきたところだった。外套に返り血がついている。任務帰りだ。リュシアたちも任務帰りだが、リュシアの外套は汚れていない。小型種二体に返り血は飛ばない。

 ライオットが足を止めた。


「フォルティスか。まだ小型か」


 リュシアの編成と、アデルの存在と、汚れのない外套を一目で読んだのだろう。リュシアの状況を正確に把握する目を持っていた。


「……ええ。今日は中型が一体いましたが、中尉が処理しました」


「お前は見てただけか」


「索敵を維持していました」


「索敵な」


 ライオットの声に棘はなかった。ただ、乾いていた。自分が前線で泥と血にまみれている横で、同期が後方で索敵だけをしている。その差を、ライオットは感じている。


 リュシアは、気づけば口を開いていた。


「——私がこんなところで足踏みしているのは、国家の損失だと思います」


「おい!」


 ライオットの目が鋭くなる。


「それ、俺っていうか同期以外の前では言うなよ」


「はい。あなたの前なので言いました」

 

 リュシアは表情を変えない。

 ライオットは一瞬固まった。口の端が一瞬だけ引き攣って止まる。


「同期には何でも言っていいって意味ではないからな」


 ライオットは額を押さえた。


「言葉が強すぎる。俺たち相手ならただの不遜で済むけど、相手によっては規律の否定と取られてもおかしくない。命令系統を軽んじてると思われるぞ」


 リュシアは黙った。考えたことがなかった。


「じゃあな」


 ライオットはそれだけ言って、自分の中隊の方へ戻っていった。




 夜、寝台の上で天井を見つめる。エリカの寝息が聞こえる。規則正しく、穏やかな呼吸だ。

 五回目の任務を思い返していた。中型が出たとき、アデルは「見ていろ」と言った。見ていろ。まだ、見ている側だ。

 アデルの火は確かに正確だった。三手で仕留める判断と技術は、実戦経験に裏打ちされている。だが——リュシアは、あの狼型の核の位置が見えていた。アデルの一射目が放たれる前に、胸腔の奥の核を、連絡機関の走り方ごと読み取っていた。

 見えていた。見えていたのに、何もしなかった。「見ていろ」と言われたから。

 正しい判断だ。まだ中型との実戦経験がない。アデルが仕留めるのが最も安全で確実な選択だ。正しい。正しいのは、わかっている。

 わかっていても、手が疼いている。


 あの狼型を、自分なら一手で仕留められた。


 核の位置が見えている。連絡機関の根元が見えている。索敵を維持したまま、雷を一本通せば終わる。三手もいらない。一手でいい。

 ——こんなものじゃない。

 五回繰り返して、その確信は強くなるばかりだった。




 六回目の任務は、哨戒線の補修護衛だった。

 工兵が哨戒線の柵と防壁を補修する間、魔獣の接近を警戒する。編成はリュシアとラウル、前線兵三名。アデルもロウソンもいない。工兵の護衛に魔法騎士が二名つくことはない。リュシアとラウルだけで十分だとアデルが判断した。それ自体は、信頼の証だった。

 工兵たちは黙々と作業していた。柵の杭を打ち直し、崩れた防壁の土を盛る。地味で、重要な仕事だ。哨戒線が破れれば、魔獣が内側に入る。この線を維持しているのは、前線の魔法騎士ではない。工兵だ。

 休憩の合間に、工兵の一人がリュシアの横に座った。大柄な、日に焼けた男だった。手のひらが分厚い。杭を打ち続けてきた手だ。


「少尉が護衛についてくれると助かります。前は魔法騎士がつかない日もあって、そういう日は気が気じゃなかった」


「……そうなんですか」


「柵を打ってる間は周りが見えないんです。音も立てるから、近づかれても気づけない。護衛がいるだけで、手元に集中できる」


 男は水筒の水を一口飲んで、防壁の方を見た。


「この壁、去年の秋に一度やられてるんです。中型が突っ込んできて、半分崩れた。直すのに二週間かかった。その間、この区画は哨戒線なしで凌いだ。——だから、ここだけは早く直したいんです」


 リュシアは頷いた。自分が守っているのは、この工兵と、この工兵が直している壁なのだと、初めて実感した。

 工兵が立ち上がり、作業に戻っていった。リュシアは護衛として、習慣になった魔力読みを薄く展開した。

 哨戒線の内側には反応がない。小型種の一体もいない。今日は静かな日だ。

 ——哨戒線の、外。

 足が止まった。

 南南西。哨戒線の向こう、およそ九百の地点。反応がある。中型。一体ではない。三体。密集している。動いていない。

 ラウルが振り返った。


「どうした」


「……九百先に反応があります。中型、三体。哨戒線の外です」


 ラウルの目が細くなった。


「外か」


「はい。動いていません。ですが——」


 リュシアは言葉を切った。もう少し意識を伸ばす。三体の周囲に、もっと小さな反応が散っている。小型種。四、五体。群れだ。中型を中心に、小型が周囲に張りついている。


「中型三体と、小型が四から五体。群れです。移動の気配はありませんが、この距離なら哨戒線まで半日もかかりません」


 ラウルはしばらく黙っていた。それから、短く言った。


「報告する。拠点に戻るぞ」


「——はい」


 リュシアは歩き出した。ラウルの後ろを、一般兵と同じ速度で。工兵たちが補修道具をまとめ始める。護衛が撤退するなら、工兵も下がる。

 背中の向こうに、反応がある。中型三体。小型が五体。自分の魔力読みで、正確に位置も数も強さも見えている。報告して、拠点に戻って、アデルの判断を待つ。それが正しい手順だ。

 正しい手順は、わかっている。

 けれど、歩きながらリュシアは考えていた。

 あの群れを、自分なら——。

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